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【小説】 嫌われ者の質屋 【ショートショート】

 曇り空の多い街に在る石畳の商店街。昼は観光客や地元の買い物客で活気が溢れているが、夜になると通りは静まり返り、仄暗い瓦斯灯が濡れた地面を薄っすらと照らし、辺りはたちまち寂れた雰囲気に包まれる。
 ひと気のない通りの一番奥に立つ質屋に、街の人々は夜になると訪れる。

「どうだ? このコートは英国で仕立ててもらったんだ。特別も特別な品さ」

 老齢の店主は銀縁眼鏡を光らせ、男の持ち込んだコートをロクに見もせずただ一言、

「銀貨二枚だ」

 とつまらなそうに呟き、伸ばしっぱなしの白い顎鬚を触り始める。
 客の男は焦りの表情を滲ませ、店主に詰め寄る。

「いくら何でも銀貨二枚はないだろう! いくらしたと思っているんだ!」
「私はこのコートの「今」の価値を言ったまでだ。嫌なら他所へ持っていけ。どうせ断られるのがオチだろうがね」
「クソッ、分かった……二枚でいい」
「毎度」

 店主の営む質店は他ではおおよそ質草にならないような商品で溢れ返っている。某映画女優が愛用していたというボロボロのハイヒール。謎の大型魚の骨。知らない誰かの願いごとが山ほど書かれた羊皮紙。天使の落としたティアラ……等々。店内には嘘も本当もごちゃまぜになった商品達が所狭しと並べられていた。

 はした金で引き取り、質流れした物を高額で売りつける店主の手法に街の人々は散々文句を吐き散らしていたのだが、街の人々は夜になるとわずかな金を求めこうしてひっそりと来店するのだった。
 
 雨の激しい夜のことだった。早々に店をしまおうと店主が立ち上がると、傘も持たないズブ濡れの母娘が店の扉を押し開いた。
 母は齢三十ほどで、赤毛で美しい顔立ちをしていた。娘も母と同じく天使のような顔立ちをしていて、カールの掛かった赤毛をしている。
 母娘共に濡れた継ぎ接ぎだらけの茶色いローブを被っていたが、どう見ても時代遅れの格好に店主はほんのわずかだが心を痛めた。

 店主は遠い昔、馬車の事故により娘を亡くしていた。

 母はローブを脱ぎ、震える身体でポケットからある物を取り出した。
 鼻を啜りながら、光を失くしたような目でこう言った。

「亡くなった夫からもらったもので……幾らになりますか……」

 差し出されたのはルビーと思しき指輪で、金具には錆が浮かんでいた。
 娘は下を向いたまま、母の袖を離すまいといった様子で握り続けている。

 店主は咳払いをひとつ、作業台の上に落とした。灯りを点けて指輪を光に透かす。良く出来たとも言えないような、何の価値もない偽物のルビーだった。
 すぐに灯りを落とした店主は、明るい声を意識しながらこう告げる。

「奥様。これは非常に貴重な品です……フランス王朝時代の、滅多に出回ることのない品です」
「それで……あの、どれほどに……」
「金貨五枚でどうでしょうか?」

 すると、母娘は顔を見合わせ、雨に濡れた震える身体で互いを抱き締め、喜びを伝え合った。
 
「これでしばらく食べていかれます……」

 店を出る前に、母は店主に丁寧に礼を行って店を出た。娘が暗い瓦斯灯の下で、スキップを踏んでいた。
 偽物の指輪を眺めながら、店主は溜息をついてそれを机に仕舞った。

――――金貨は返ってこないだろう。しかし、流石にこんな物を店に出す訳にはいかない。実につまらないことをしてしまった。明日から商品の値段を一割上げよう。

 そう思いながら、重い腰を上げて店のカーテンを閉めた。

 それから数年の月日が流れた。

 あの日金貨五枚を手にした母娘はとある金持ちの男と出会い、街の中心地で新たな生活を送り始めていた。雨に震えていた夜をもう思い出す事もなく、母は今日も夫が片手間で営む大通りに立つ質店で店番をしていた。

 夜。ボロボロのローブを纏った老人が咳き込みながら、店のドアを開いた。母は怪訝な顔を浮かべながら、老人に声を掛けた。

「ご用件は?」

 老人は白く伸ばしっぱなしの顎鬚を触りながら、さも自慢げにポケットの中から古びた指輪を取り出した。

「これは貴重な品でね……いくらに……なるかね」

 咳き込む老人から手渡された指輪を手に取ると、それが偽者のルビーだと母はすぐに気が付いた。迂闊に追い払うと何をされるか分からない、という恐怖を覚えた母は老人に引き取り値を告げる。

「これですと……銀貨二枚です」

 すると、老人は実に満足気な表情を浮かべて微笑んだ。

「それで、いい……。これで今日、明日は食べていかれる。ありがとう」

 銀貨二枚を受け取った老人は、店を出ると暗い大通りを歩いて行った。
 その姿に母は何故か見覚えがある気がしたのだが、思い出すのをすぐ止めた。

「こんな偽物……どこで拾ったのかしら」

 そうひとりごちて指輪をゴミ箱へ投げ捨てようとした手前、母はその指輪のことを思い出した。
 その途端に次から次へと涙が溢れ出て、止まらなくなった。

 このままでは取り返しのつかない後悔をしてしまう。そう思い、母は店を飛び出して老人を探し始めた。
 しかし、老人の姿はもう大通りの何処にも、街の中の何処にも見えなかった。

 呆然と立ち尽くし、通りを眺める母。仄暗い瓦斯灯の下。その手に戻された偽物のルビーが安っぽい光を微かに弾いていた。

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