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【連載小説】 この素晴らしい世界を 【第二回/全五回】

 朝方、聞き覚えのないスマホからの緊急ブザーの音で叩き起こされた。送り主は『日本政府』。
テレビをつけると大統領がこう言った。あと24時間で人類は突然の終わりを迎える事になったと。
僕は彼女と最後の日常を過ごす為に、旅へ出た。

 四時間後。朝十時。

 電波マークが消えたスマホを何気なく眺めると、電波が四本立っているのに気が付いて、僕はすぐに紗希に知らせた。

「紗希、スマホ見てみろ!」
「えっ、嘘……ちょっと、掛かるかな? ……もしもし? お母さん?」

 実家に電話を掛け始めた紗希の隣で、僕は実家の父親に電話を掛けた。ここは千葉。両親が住む僕の実家は北海道だ。

 もう二度と会えない事は、きっと向こうも分かっているはずだ。呼び出し音がしばらく続いたが、電話の向こうから無事、父親の声が聞こえて来た。

「之彦、そっちは大丈夫なのか?」
「まぁ、うん。外は静かなもんだよ」
「そうか。今、母さんに代わるから」
「之彦なの!? どうしたらいいのよもう、こんなことになるなんて……」
「母さん、何て言ったらいいか……最後に、最後になるのかな、こんな急に……」

 僕も母親も、それ以上言葉が出なかった。考えるよりも先に、嗚咽で喉が詰まってしまう。別れの言葉も満足に伝えられないまま、電波が不安定になり、やがて電話は切れた。

 傍に立っていた紗希に抱き締められながら、僕はしばらくの間泣き続けた。

 六時間後。正午。

 ラジオでは今朝の発表を裏付ける各界からの証言が多数寄せられていて、明日の朝に巨大な質量を持った物体が地球に落下する事はどうやら確実なようだった。

 僕らは最低限の荷物をバッグに詰め、出掛ける準備をした。もう戻っては来れないであろう部屋に鍵は掛けなかった。どうせ明日の朝には全て失くなってしまうのだから。

 生きる時間が限られたものだと理解してから、僕は紗希の為に残りの時間を使う事にした。
 今さら何をどう足掻いても、出来る事は限られている。なら、出来る事を精一杯やるしかない。

 部屋を出て周囲を警戒しながら駐車場へ向かったが、辺り一帯は何事も起きていないかのように静まり返っていた。
 いつものように鳥が鳴き、塀の上では猫が背伸びをしていた。騒がしいのは同盟社が延々と垂れ流す宗教演説だけだった。

 車に乗り込み、エンジンを掛けて紗希に訊ねた。

「真理ちゃんの所へ迎えば良い?」
「うん、お願い。やっぱり最後に会っておきたいの。私ばっかり、ごめん」
「いや、いいんだ。どのみち北海道じゃ飛行機もないだろうし」
「ごめん」
「謝らなくていいよ、俺は大丈夫だから」

 本当の事を言えば両親、地元の仲間達に最後くらい会いたかった。地元連中に何度か連絡を取ろうとしたけど、父親に一度電話が繋がったきり、二度と電話が繋がる事は無かった。諦めが肝心、とは言うが心残りは酷いものだ。今日という日の何もかもが、酷いものとなったのだ。

 国道に出ると渋滞はおろか、恐ろしいほど交通量が少なかった。まるで映画のセットのような街を辺りの様子を伺いながら車を走らせた。

 スーパーもコンビニも灯りは点いておらず、かといって荒されている様子も無かった。
 大型スーパーの駐車場を若者連中がバイクで走り回っていたくらいで、信じられないほど街は平和そのものだった。

 唯一異様だったのが同盟社の支部前だった。支部の前を通ると数え切れないほど大勢の人達が集まっているのが見えた。人々は数珠を手にし、空に向かって一心不乱に念仏のような言葉を喚いていた。
 僕は窓を少し開けて、同盟社の前をゆっくりと走った。

「隕石に念仏が通用すると思ってるのかな?」
「あの世に祈ってるんじゃないの?」
「だとしたら、少し気の早い挨拶だな」
「皆一斉に逝くんだもの、あの世に行くのだって早い者勝ちかもしれないわよ」
「あの世も競走社会なのかな、そんなの嫌だな」

 そんな事を言いながら同盟社の集団に目を向けていると、一人の老婆が僕らをジッと眺めているのに気が付いた。
 頭に紫のバンダナを巻いて、こちらに向かって微笑んでいる。口元に歯が無いのが遠目でも分かった。
 いらっしゃい、とでも言いたいのだろうか。しかし、不気味な笑みがかえって近寄り難くさせていた。

 信者達の喚き声を通り越し、不気味な笑みを吹っ切るようにして僕は紗希の親友の家へと車を走らせた。

 七時間後。午後一時。

 紗希は真里の亡骸、子供達の亡骸の真ん中で泣き崩れている。

 アパートを訪れると幾らインターホンを押しても反応が無かった。

「子供達と一緒に何処かへ逃げたのかもしれないよ」

 何度かそう言ったものの、紗希は僕の声を振り払うように血相を変えながらドアノブを何度か回し、ガスメーターの上に隠されていた合鍵を使い部屋の中へ入った。何故か嫌な予感しかしなかった。

 カーテンが閉め切られた薄暗い部屋の中で、真里と子供二人は川の字になって死んでいた。子供達は手を繋ぎ合い、真里の胸元には包丁が突き刺さっていた。
 生々しい人の死に、僕は言葉を失くした。紗希は何度も何度も真里や子供達を揺り起こそうとしたが、三人はぴくりとも動かなかった。

 僕らは一旦部屋を出て無人のホームセンターへ向かった。窓ガラスを割って中に入り、花を盗んだ。少しの罪悪感も生まれなかった。

 八時間後。午後二時。

 真里のアパートを立ち、紗希の実家へと車を走らせた。
 紗希は外を眺めながら、静かに泣き続けている。

「真里ちゃん、まさかあんなことになってたなんてな」
「……ずっと親友だった。私が大学生になってこの街に引っ越して来た時、真里、私の後を追って越して来て……あの子、学生じゃなかったから仕事はどうするの? って聞いたら、笑いながら「まだ決めてない」って。本当、馬鹿だけど優しい子だったの。あの子の結婚式、私ボロボロ泣いちゃってさ、そしたら、あの子も号泣しちゃって、後で大笑いして……」
「紗希に出会って良かったって、真里ちゃんは想ってるはずだよ」
「……私がもっと早く行ってあげてれば……真里にあんな最後迎えさせちゃった……ごめんね……真里、ごめん」
「……すぐに会えるから。その時は一緒に謝りに行こう」
「……うん」

 遅かれ早かれ、僕らはもうすぐ死んでしまう。時間が過ぎれば過ぎるほど、何の実感も持てていない事が浮き彫りになる。だから、泣いている紗希に「すぐに会える」だなんて言えてしまった。

 人が死んでいるのに、言えてしまったのだ。

 空は雲ひとつなく、青く高く広がっている。街中で車を走らせていると、散歩する人や親子でキャッチボールをする光景が所々で目に入った。いつもと何ら変わらない、平和な景色。

 明日死ぬとしたらどうする? そんな事を聞かれた時、僕は好きな事を好きなだけやるのが当たり前だと思っていた。食欲も、性欲も、物欲も、全てを満たし、満足して死んで行くのが当たり前だと。 

 本当にそんな日が訪れてしまったが、暴動を起こしたりヤケになったりする人は目にする限り見当たらないのが意外だった。
 皆、必死に受け入れようとしているのだろう。
 そして、今持てるだけの日常を精一杯抱き締めたまま死んで行こうとしているのだ、きっと。

 泣き止んだ紗希がラジオを点けると、車内にDJの声が響いた。

「すごいな、まだ続けてる」

 と紗希は呟いたけど、僕は「あぁ」としか返せなかった。

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