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心のなかの悪魔

こんばんは。何故か台所の排水溝からケツの穴の匂いが漂って来ていて困ってます。生ゴミとかの匂いじゃなく、アスホールの匂いです。猫の餌、カリカリの匂いにも似ています。 
階下の住民がケツの穴を僕に向けているんでしょうか。
怖いです。世の中平和になって欲しいものです。

さて、本題。   

日常に生きている限り、人は誰しも心のなかに「悪魔」を持っている。
くるりのこの曲はとても素晴らしく、悲痛と愛を描いた鳥飼茜先生(おんなのいえetc)のラフ画がMVなのは曲自体がラフテイクそのままを発表したからだと思うのだけれど、そのラフさが人の猜疑心やらを上手く引き出しているようにも思える。

人間が生物として生態系の頂点に君臨出来た理由は

「嘘をつけるから」

なのだそうだ。
その嘘は物語となり、そして文化というコンテンツとして人間の生きる糧にまで成長した。

嘘を吐く人を別に嫌だとは思わない。
考えてみて欲しい。
あなたが今日、そして今もしている仕事は本当に必要な物だろうか?

世の中の9割の仕事は人間が生物として生きる事とは何ら無関係な(不要な)仕事だと僕は思う。
命とは無関係で無価値な物にわざわざ価値をつけるから仕事になる訳で、それはある意味創作のようなものだ。

そういう捉え方で見れば、世の中の誰も彼もが役者みたいなもんだと思う。

だからこそ面白いなぁとも思うのだけれど、僕自身はとても「欲」に関して興味がなさ過ぎる所がある。
出世欲もないし、そもそも人に興味がない。
噂話もどうでもいいし、物欲自体もほとんどない。
彼女もいなければキスもセックスもまる6年以上していないけど特に困る事はない。

人をただ見続けている生き方の中で、時に愛し愛される瞬間もあったりした。
目の前にいるその人ただ一人に、忠実であろうともした。

ある日、喧嘩をした恋人にこんな事を言われた事がある。

「あんたは誰よりも私を理解してくれたような顔してるけど、本当の所は誰の事も求めてないし、必要ともしてないんだよ」

人と話す時は音楽すら付けないので、音ひとつない部屋で僕は彼女から飛び出した言葉を逃げ場なく叩き付けられた。
けど、本当にその通りだとも思わされた。

生まれてこの方、人を自ら誘って食事に出たり遊びに出たりした経験は一度か二度しかない。
その相手も、今は死んでしまってこの世にはいない。

いつも相手が要求する事に応えよう応えようとして、自分から人に何かを求めるという発想自体が僕には無かった。
セックスすらも、共同作業ではなくてそれを欲する女性のものだと感じているフシがあるくらいだ。

そっちへは入らないから、こっちに入ってこないで。
けど、呼ばれたらそっちに行くよ。

そんなスタンスの癖に、人と話す時は目一杯饒舌に話す。
話し過ぎて、笑わせて過ぎて、目の前で嘔吐したキャバ嬢もいた。

これだけ毎日色々書いていて、それでいて読んでくれる人がいる。
けれど、僕は一方的に喋るのが極端に得意な割に、人と言葉を交わす事が極端に下手クソだ。
それは何処かに人に対する申し訳なさみたいなものがあるからだ。
劣等感でもあるし、どう関わっていいのか分からないという恐れもある。
他人の家の子供と二人きりになった時の感覚、と言えば伝わるだろうか。

大人達に囲まれ、大人として「見られている」自分を自己演出不要(不可能)な場所では、どんな経験があろうとも個人とは案外脆いものだと常々思わされる。

その原因が人との繋がりを拒み続ける心のなかに住む悪魔の仕業なのか、それとも本当の狂人にならないように寸出の所で止めている天使のおかげなのか、そんなものは分からない。

きっと死ぬまでそれは変わらないと思うし、ずっとこんな心持ちなのでそれで悩むという事はない。
欲がないので自分が最低限、生きていけさえすればそれで良いのだ。

唯一感じている「欲」が創作なので、これからも何かを書く事は続けて行く。
自分の言葉よりも、自分の中から必死こいて生まれた文字の方が僕は僕自身の言葉だと思っている。

前も言ったけれど、互いに一方通行のモールス信号みたいな読者とのやり取りを大切にしたい。

おやすみなさい。

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