【小説】 クレームオヤジ 【ショートショート】
休みの日にたび、僕はリサイクルショップ巡りをして暇を潰している。
正体不明のハンディマッサージャー、古くて馬鹿でかいけれどCDが一枚しか入らないオーディオ機器、箱が陽に焼けた中華鍋のセット、熊の民芸品なんかを見ていると、欲しくはないけれどゆっくりと心が満たされて行く。
「こんなの誰が欲しがるんだろ……っていっても、誰かが買ったからここに売られたんだろうなぁ……へぇ、こんなの欲しがる人もいるんだな……」
僕は『デジタル・パター練習パッド』という、ホールにボールが入ると『ピコン!と鳴って、ホールインを音でお知らせ!』と箱に書かれたなんとも腰が砕けてしまいそうなゴルフアイテムを見ている内に、あることに気が付いた。
マスクをしながら、僕は店の中でついつい独り言を漏らしていたのだ。
それも他人に聞こえるか聞こえないか程度の小さな音量で、自分でも恐ろしいとこに無意識に声に出してしまっていた。あー、やばい。
あぁ、いやだいやだ。このまま会社への不満とか、彼女が出来ないことへの不公平とかを口に出してしまうオッサンになったら、どうしよう……と身を震わせた途端、背後から飛んで来た怒鳴り声で心臓が止まりそうになるくらいに驚き、恐る恐る振り返った。
「だから何で買取額が三十円なんだよ!? おかしいだろう、ボッタクリやがってこの野郎!」
怒鳴り声の主はある飲料メーカーのロゴが入ったジャンパーを羽織った高齢者で、ポケットに手を突っ込んだまま店員の女の子を怒鳴りつけていた。
背中に入ったメーカーロゴはカスカスに掠れていて、カーキのズボンのあちこちに正体不明の染みが出来ている。
店員の女の子はショック状態になってしまったようで、下を俯いたまま遠目でも身体を震わせているのが見て分かるほどだった。
怖いよね。そうだよね、僕だって怖いんだから君はもっと怖いはず。
でも、僕は助けてあげられない。だって、店員じゃないし、僕だって怖いから……。
そっと目を逸らそうとしていると、女の子の代わりに上司らしき大柄の年配女性が買い取りレジに出て来た。
「うちでは三十円以上出せませんね。文句があるのでしたらよそへ持って行ったらどうです?」
おお、なんと毅然としているのだろう。
あの女の人かっこいいなぁと思っていると、オッサンはカウンターを拳で叩きつけ、さらに逆上し始めた。
「全部で三十円なんておかしいだろうって言ってんだよ! 常識ってものを、あんたら知らないの? ドゥーユー、ノウ、コモンセーンス? 大体このジャケットはなぁ、テーラーでオーダーメイドして作ったものなんだぞ!」
「ええ。ですから、あなたしか着れませんよね? それにブランド品でもないので、はい。三十円が買取額になります」
「ふざけやがって、この野郎! 俺が一体いくら金出してこの服を作らせたか、分かってんのか!?」
「それは存じませんけど、買取額は三十円です」
「俺はな、元コウサン産業の営業部長だぞ!」
「まったく存じませんが、それが何か関係あるんですか?」
「この野郎……この野郎!」
オッサンは自分で持ち込んだ服なのだろうか、買取カウンターの上に置かれた服を次々にゴミ袋に入れ始めた。
諦めて退散するんだろうと思っていたのだが、オッサンの気は収まっていなかったようだった。
服を入れたゴミ袋を、なんと目の前の女性店員に向かって力任せに投げつけたのだ。
中身が洋服だから当たってもあまり痛くはないだろうけど、女性はオッサンの動きを察知していたのだろう。顔色一つ変えずに飛んで来たゴミ袋を避けたのだ。
それに対して、オッサンが激昂した。
「なんで避けるんだ! 馬鹿者が! なぁにが三十円だ。どうせ心の中では「良いなぁ、ワタシもこんな仕立ての良いお洋服作ってもらいたいわぁ~、でもお給金が安いから無理だわぁ」って思ってる癖によぉ! 顔に貧乏が染み出たようなツラしやがって! 三十円で買い取って三千円かそこらで売る気なんだろう!? この、詐欺連中め!」
「…………」
あぁ、オッサン……やっちまったなぁ。
これじゃ、あの女性店員も何も言えないはずだ。
僕も含め、お店の中に居る店員もお客さんも全員が全員、口をつぐんでいた。
みんな、オッサンの事の顛末がどうなるかをすぐに悟ったのだ。
人を意図的に暴力でも、言葉でも、攻撃してはならないという新しい「当たり前」が世間に浸透し始めたのは僕がまだ小さな子供だった頃の話しだ。
それからは当たり前化がさらに進んで、世の中から店や電話で店員や相手を理不尽に怒鳴りつける人が淘汰されていった。
それもそのはずだ。
僕が高校生になった頃に『心傷防衛法』が施行され、世の中で人を理不尽に傷つける人達には厳しい罰則が与えられるようになったからだ。
あのオッサンだって知っているはずなのに、よっぽど頭に血が昇っていたのだろう。
オッサンが買取カウンターで怒鳴り続けていると、すぐにヘルメット姿の回収班がドカドカと数人やって来て、オッサンを羽交い絞めにして店の外へと連れ出して行った。
日本全国の各リサイクル店の売れ残りや、食品廃棄物を回収をするトラックがもうすぐここにやって来て、あのオッサンはコンテナの中へ突っ込まれる運命なのだ。
回収されたゴミ認定された人間がそれからどうなるのかは国家機密らしくて詳細は分からないけれど、ネットの噂では何かしらの使える「もの」として再利用されるのだとか。
レジの女性店員が女の子の店員に優しく声を掛けている。
「怖かったわよね? もう大丈夫だからね。いくら嫌な目に遭ったからって、あんな人間になっちゃダメだからね? 私達も、「ゴミ認定」されないように気をつけようね」
「山野さんはしっかりしてますから……大丈夫ですよ。私、嫌なことは絶対に忘れられないタイプだから……それが、心配で……」
「あら……そう? じゃあ一応研修受けておく?」
「はい、お願いします。怖いです」
「成田さんは大丈夫よ!」
あ、そうだ。一応ぼくもチェックしなければ。あ、意外と数値は出ていないから大丈夫そうだ……。
周りのお客さん達も同じように端末をチェックして確認しているようだけれど、幸いなことに「ゴミ人間」になってしまった人はここには誰もいないようだった。
持続と再生が可能なものを定義する世の流れの中で、ある日おえらいさんがこんなことを言ったのだとか。
「持続だ再生だってねぇ……そもそも、要らない人間だっているんじゃないですかね」
発言当時はマスコミで相当叩かれたらしいけれど、そのおえらいさんが言ったことがきっかけで僕らの生活が穏やかな日常になったのかを考えると、案外悪い人じゃなかったんじゃないかなぁって思ったりする。
皮肉なことにゴミ一号認定をされて、政界から突然姿を消したんだっけ……。
ひと通りリサイクル品を見て回った僕はお店を出て、駐車場へ向かう。
店前に停められていた大きなトラックのコンテナの中から、叫び声が聞こえて来る。
「出してくれぇー! 俺はゴミなんかじゃないんだ! 出してくれ!」
無視無視。だってゴミがいくら叫んでみたところで人権なんかないし、そもそも人じゃないんだから。
トラックの横を歩く親子連れ。小さな男の子がトラックを指さして、隣を歩くお母さんに話し掛けている。
「ママー、おじさんが「出して」って言ってるー」
「ううん、ゆうくん。これはゴミが喋ってるだけだから聞いちゃダメ」
「なんでー?」
「だって、ゴミ箱からお魚の骨とか食べかすとか出したら、いやでしょ?」
「うん! くさーい。やだー」
「ね? じゃあ聞いちゃダメ」
「ゆうくんねー、ゴミは出してあげなーい」
「そう、いい子だね」
あぁ、なんて心が真っすぐに育った男の子なんだろう。お母さんもあれほどの人格者なら未来の日本はきっと明るいぞ!
僕は次のリサイクルショップに行くために、車へと急いだ。
さぁ、次のお店ではどんな変なものが待って……あれ、え?
おい、嘘だろ? マジかよ、おい! ふざけんなよこの野郎!
「おい! 誰だよ、俺様の車に傷つけたクズはよぉ!!」
堪らず叫んじまったけどよぉ、俺様の車の助手席側のドアが凹んでんじゃねぇかよ、クソがよ!
あぁ? やったバカはこの隣のポンコツ軽自動車か? つーことはよぉ、まさかさっきのクソガキ親子じゃねぇだろうなぁ?
やったのはさっきの偽善ババアか? おいおいおい。ほら、助手席に恐竜だかトカゲだか知らねぇけど、男のガキが好きそうなクソ玩具がすっ転がってんじゃねぇかよ!
シカトこいてよぉ、何のんきにリサイクルショップ行こうとしてんだよ。
畜生。あのクソ親子、ぶっ殺してでも土下座させてよ、詫び入れさせてやる!
よしよし、いやがったな。平和なツラこいて中古の玩具で遊んでんじゃねぇぞコラ。
「おい、てめぇ! さっき俺の車に傷つけただろ!? ガキのオモチャなんか見てねぇでこっち来やがれ! 親子共々ぶっ飛ばしてやっからよぉ!」
あ、しまった。
リハビリの為に僕はリサイクルショップ巡りで心の平穏を持続回復させているんだった。
親子が恐怖に震えた様子で、僕をじっと見つめている。
どうだ。怖いだろ? もっと、いや、違う。違う違うよ。
そうだよね、怖かったよね? うん、わかるよ。
僕って、危ない人間だから人を困らせてしまうことがあるんだ。でもね、今はリハビリ中だから安心して欲しい。うん、安心して、欲しかった。
背後から強烈な力で両肩を掴まれた瞬間に、僕はそのことにようやく気が付いた。
どうやら、遅すぎたようだった。
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