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【小説】 親友と呼ぶあなたへ 【ショートショート】

「はい、抱っこして」

 物心ついた頃からずっと、私は彼女に「子供が嫌い」と言い続けて来た。
 目の前で嬉しそうに私に赤子を差し出すこの女は、私のことを小学校以来ずっと「親友」と呼び続けている。
 この女が困った時に、私にとってはどうでも良い心情吐露にただただ耳を傾けて、相槌を打っていただけに過ぎない。
 反論するとかえって面倒になるのがわかっていたからだ。

「乃亜はほんと、私のことわかってくれてるよね!」

 同じ時間を惰性で過ごしていたら、相手の好き嫌いくらいは嫌でも把握する。 
 彼女が喫茶店でアイスミルクティーを注文した際、私は店員にこう伝えた。

「砂糖抜きで」

 彼女はその時、さきほどの言葉を私に掛けた。
 いつもミルクティーを飲む時に、砂糖を入れないことを知っていたからだ。
 惰性で理解出来る出来るほどのことに感激する様子の彼女を見て、うんざりした。

 もう一度言おう。

 物心ついた頃からずっと、私は彼女に「子供が嫌い」と言い続けて来た。
 まず、可愛いと思ったことがない。
 私にとって、子供はとにかく不気味で仕方がない存在だ。

 もしも猫がうんちを漏らしてオムツを交換する必要があるならば、私は率先してそれを行いたいと思うけれど、人間の子供がうんちを出してオムツを交換しなければならないと思うと、心が途端に怠くて重くて面倒で迷惑を掛けられている気分になる。
 子供はピュアだからその行いを上から目線で可愛いと宣う大人が多いけれど、可愛いのではなく危険で脆い存在なのだということをまず理解しなければならない。

 そういったことを常々目の前の彼女に散々伝えていたのに、ミルクティーに砂糖を入れない程度のことさえ知っているのに、彼女は嬉々として私に赤子を抱けと差し出して来たのだ。

 私は頼んでもいない届け物を、全力で否定した。

「由麻ちゃん、私が子供無理なの知ってるよね?」
「え? そうだったっけ? ほら、抱っこして。乃亜ちゃんに抱っこしてもらいまちょうね〜。可愛いでちゅね〜」
「ごめん、無理だわ。こっちにそれ、押し付けないで」
「抱っこしたら絶対「可愛い!」ってなるから! だって、乃亜だっていつかお母さんになる日が来るんだから。練習練習」

 いつか私がお母さんになる日が来るとしたら、それは有精卵ではないことは確実だ。
 私の子宮になんらかの異常現象が起こり、私の胎内で私の複製品が作られること以外は、まずあり得ない。
 他人の赤子を抱くことが何の練習になるのだろう。いつか母になる日が、何故来ると言えるのだろう。

 彼女はローブに包まったまだ人には程遠い「小さな物体」を私に抱け、と差し出す手を引っ込めようとはしなかった。
 散々伝えていたはずの私の性質を改めて伝え直す必要があると考えた私は、ソファの横に置かれているゴミ箱を指さしてから、こう伝えた。

「中に投げていいなら」
「まさかぁ」

 彼女はけたけた、と笑っていた。
 一体、何が「まさか」なのだろう。
 目の前の人間も、この世の全てをも無視するような笑みを見て、私にある考えが浮かんだ。

「自分の中の幸せをそうやって押し付けるの、やめてもらっていい?」
「そうじゃないよー。ほら、抱っこしてみなって」
「いいけど、私は抱っこせずにゴミ箱に捨てるよ」
「じゃ、もういい。せっかく乃亜が喜んでくれると思ったのにさ」
「ごめんね、子供嫌いで」
「他にも見せなきゃいけない人いるから、帰る」
「うん。そうして」

 見せなきゃいけないって、なんだそれ。私は子供は大嫌いだけど、見世物にするのは流石にちょっと違うんじゃないかという気がして来た。 
 けど、何も言わなかった。
 早々の帰り支度をしながら、彼女は言った。

「乃亜ってさ、昔っから私が居てあげないと独りぼっちだったもんね。これでもう完全独りぼっちだね、かわいそ」
「かわいそうなのは、その子じゃない?」
「はあ? 優しいお母さんと自慢のパパと一緒で、仁菜ちゃんは幸せでしゅよねぇ~? もう来ないから、バイバイ」
「はい。さよなら」

 バタン、と玄関が閉まる音がして、私は「独りぼっち」になった。
 子供の臭いだろうか。嗅ぎ慣れない妙な甘い匂いが部屋に残って、たまらず虫唾が走りそうになったので消臭スプレーを部屋中に掛けた。

 あなたにとってはただの親友だった私は、こうして長年の想い人を失くした。
 部屋中には偽物のラベンダーの香りだけが充満していた。
 それは私の何も、満たすことはなかった。

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