「面白さ」を作る要素
「他人にとっての面白さ」と「自分にとっての面白さ」
この記事では、
人はどんなものに対して面白いと感じるのか?
という話をします。
「面白さとは?」を考えるのに参考になる面白い本があったので、その内容を少しご紹介します。
作家の森博嗣(もりひろし)という方の著書「面白いとは何か?面白く生きるには?」です。
面白さには「答えがない」「再現性がない」「ひとそれぞれ」といったことを強調しながら、その上で、あえて「面白さ」を一般化してみようというのが、この本の試みみたいです。
この本面白かった!
やっぱり頭の良い人の分析能力はさすがです!
自分の浅はかさを突き付けられるようですね(笑)
本では様々な分野においての面白さを例を挙げて分析していて、共感、納得させられたり、ハッとさせられるような内容もたくさんありました。
「他人にとっての面白さ」はあくまで参考に
僕が提唱する「面白がり力」では、基本的には「自分にとっての面白さ」のみが重要。
だから、「一般的な面白さ」というのは、あくまで参考にとどめておくのが良いと思っています。
森博嗣氏も本の冒頭で、「気を付けたほうが良いこと」として
人は、(特に最近は)みんなが面白いと言っているものを、自分も面白いと感じてしまう傾向がある
と言っています。
これは、ネット社会の中でより顕著に現れている現象で、人との「共感」を求める潜在的な欲求が呼び起こされた結果だということです。
自分自身を振り返っても、「他人との共感で自分も面白いと感じてしまっている」ことがあると思いませんか?
僕はあります。
「共感による面白さ」のリスク
「共感したい・されたい」というのは、人間が根源的に持っている自然な感覚なので、「皆が面白がっているものが自分にとっても面白い」というのも、「自分にとっての面白さ」のひとつとして持っておいても良いのかもしれません。
ただ、この「共感による面白さ」にはリスクがあります。
それは、メディアや広告によって「操作」されてしまいやすいということです。
例えば、テレビなどで「みんなが面白がってるよ」と言っているのを聞くと、自分の中にも「あれは面白いもの」というバイアス(感覚の歪み)ができます。
テレビや広告は、日ごろからこういった情報の操作で、民衆をコントロールしています。
それに気づいていない人は、自分の意志だと勘違いしながら、テレビや広告の狙い通りの意思決定や行動をしつづけることになります。
「操作されていても、面白いんなら良いじゃないか」と思ってしまいそうですが、「情報や他人に操作された面白さ」は、情報や他人の操作によって壊されるリスクをはらんでいるのです。
つまり、
「共感」によってつくられた「面白さ」は、自分にとっての「本当の面白さ」を見失う要因になる
ということです。
情報や他人からの操作を受けないためには、「共感による面白さ」を自分の中から除外するか、または「今、自分は感によって面白いと感じさせられているな」ということに気付いて、客観視しておくことが大事です。
「気付き」や「客観視」の能力を上げるには「マインドフルネス」が有効です。→参考
そういったリスクも踏まえた上で、「自分にとっての面白さ」の幅を広げるために一般的な面白さの定義は参考にできるし、自分の中の「偽の面白さ」を排除していくためにも有効だと思います。
ということで、前置きが長くなりましたが、本「面白いとは何か?面白く生きるには?」で分析されている「面白さの要素」をご紹介します。
けっこう面白い本なので、ぜひ本も読んでみてくださいね。
面白さを作る要素
以上のことを前提として、面白さの要素を挙げてみます。
多分、細かく挙げていくと何百通りの面白さが出てくると思いますが、とりあえず思いついたものを並べてみます。
こうやって並べてみるだけでも、「面白い」という言葉の定義の広さ、自由度を感じますよね。
面白いと感じるものの中には、これらの複数の要素が複合的に絡み合って、「面白さ」を形成しています。
それぞれの「面白さ」について詳しくは、事例を挙げながら解説した記事を上げていきます。
あなたにとっての面白さは何か?や、その事例なども、ぜひコメントやメッセージで聞かせてください。
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