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僕が日本を出てからカンボジアにたどり着いてキリロムができるまで

2009年の3月に私が創業した株式会社デジタルフォレストはNTTコミュニケーションズ社に買収されたのですが、当初は買収された会社で頑張ろうと思っていました。しかし、私は大企業の中間管理職としての能力が皆無で、会社に対して貢献することが難しいということに3ヶ月経たないうちに気づきました。さらに元の会社の社員からはリーマンショックの中で自分だけ大金を手に入れたみたいに思われて、とても関係が悪くなり結局1年で自分が創業した会社の代表を退任することになりました。最後の半年間は塞ぎ込んでいた時間が長かったと思います。

次にやることを決めないままで辞表を出したのですが、ちょうどその時、長女が中学受験に失敗するという家族の一大事が起こりました。私は家庭教師を9年もやっていたので、中学受験なんか人生においてあまり意味はないのだからやらなければ良いのにと思っていたのですが、周りに巻き込まれてやってしまった。結果、その失敗は子供にも母親にも大きなダメージとなりました。長女の環境を変えるために、以前から漫然と思っていたシンガポールを拠点にインドと日本をつなぐビジネスをスタートするということを急遽決めました。どのくらい急遽だったかというと軽井沢に住む予定で土地も買ったし、世界一周のトレーニング目的でヨットも買ったばかりだったので本当に急遽でした。

売却した会社は中国とインドに子会社を持っていたのですが、あまり良い思い出がなかった中国にはもう会社は作らないと決めていました。一方でインドの可能性にはとても惹かれていたのですが、インドに住むのは日本人には難しく、シンガポールに住んで日本とインドを行き来するべきだと思っていました。生活に困らない程度にお金はある一方で社員は一人もいなかったのでできた意思決定だったと思います。実はシンガポールにするかマレーシアにするかも最後まで迷ったのですが、子供が一人でタクシーに安心して乗れるという理由で、シンガポールに決めました。

株式会社デジタルフォレストではアクセス解析事業で日本一になったわけですが、アクセス解析事業は決してやりたいと思ってスタートした事業ではありませんでした、しかし一度やり始めると社会的な責任が発生して簡単にはやめられません。思いがけず事業売却することになり、まだ引退する年齢でもなかったので、次にやるビジネスは自分がやりたいことにしようと強く決意をし、シンガポール移住から2年間は世界中を回って何をやるのか決めることにしました。日本に頻繁に戻りたかったので東はニュージーランドやハワイまで、西は中東までと思っていました。シンガポールは市場が小さく競合も強いので、シンガポールは本社を置いたり家族と住むには良いがビジネスをやるところではないとも思いました。

私の場合は世界を回ると言ってもバックパッカーの世界旅行に参加するわけではなく、世界最大の起業家組織EOの世界各地で開催されるイベントに参加することが中心でした。小さいイベントもいれると年間で13箇所参加した年もありました。カンボジアでビジネスをやることになったのもこのEOのイベントがきっかけですが、それ以外にサウジアラビアやスーダンで事業をやることも少し考えました。サウジアラビアは妻がベールをかぶって生活しなければならないことと、砂嵐は厳しかったのでやっぱりやめとこうと思いましたが、国としては可能性があるなと思いました。スーダンで農業をやる話はサウジ人の友達からだったのですが、降水量ゼロの砂漠でイスラエルのプロダクトを使わずに農業をやるのはリスクが高いと思いました。スーダンはこのあと内戦に突入することになります。

いろいろな国を回っている中でカンボジアがとても肌にあったというのが率直な感想です。第二次世界大戦を経ても日本と関係が悪化しなかった国であり、また、インドよりも食事が口にあいました。味の素の一人当たり使用量が世界2位だったこともあるかもしれません。ビジネスの規制が少ないことも大きな理由です。カンボジアは日本人の隠れ起業スポットと言われることもあります。カンボジアの人口は小さくて一人当たりGDPも低いので市場としては魅力的ではありませんが、カンボジアを拠点に外貨を稼ぐ産業を作るのであればとても良いと思いました。

カンボジアに最初に来たのはカンボジアで私が主催するEOのイベントのためだったのですが、準備でイベントの前にカンボジア入りする必要がありました。EOのイベントを開催する準備や事前視察の中でイベントの手配をお願いした方からカンボジアのことをいろいろと聞くことができました。このカンボジアの現状、特に観光業に関するインプットはとても大きかったと思います。そしてその方が旅行代理店を経営していてかつ民間の旅行代理店協会のNo.2であることもわかりました。今でもあまりオープンにしていませんが、日本の瀬戸内海で私の故郷香川を含む地域活性化を目的として、広島の宮島から直島・淡路島あたりまでを風の力だけで移動するカタマランヨットのクルーズ事業の経営をはじめていました。世界一周のトレーニング目的で買ったヨットですが、シンガポールに移住することになってしまったので何かしなければいけません。このヨットには宿泊できる部屋が4部屋あり、クルーズ事業というのも宿泊業とアクティビティが一体となったような旅行業でした。観光産業(エコツーリズム )への経験や興味はここから来ていると思います。コロナ前までブームだったクールジャパンが盛り上がるさらに前のことで、この事業は全然うまく行きませんでしたが、最大の原因は台風と冬の寒さと海の規制だったと思います。

キリロムに視察に行ったら軽井沢のようだった

カンボジアで出会った旅行代理店協会のNo.2と何か事業をやりましょうかということになるとはやり農業ツーリズムを含めた観光系の事業が対象になります。瀬戸内海のクルーズ事業は自然災害や人件費の高さが問題になりましたが、カンボジアには台風も来ないし冬もない、人件費も日本の20分の1と経営環境は大きく違います。しかも日本人が海外旅行で行きたい場所の一位であるアンコールワットもある観光大国です。海に行ったり、山に行ったりあちこち視察したわけですが、キリロムに視察に行った時に私が住む予定だった日本の軽井沢のような雰囲気を感じました。運命的な出会いです。同行したパートナーがここは5年くらいしたらリゾートとして絶対成功する、と他の場所に行った時とは違った口調で説明を始め、是非一緒に事業をやりたいと言い始めました。我々が観光事業をやらなければキリロムは松脂を取る事業者に山を丸裸にされてしまいそうな感じだったので、思い切ってその話に乗ってみることにしたのがキリロムに辿り着いたきっかけです。私の故郷は津田の松原という松で有名な場所なので松を切るというのは深層心理が拒否していたのかもしれません。

ブイ・キリロムという商標になった理由

最後にブイキリロム(vkirirom)という事業の名前になった理由ですが、キリロム(Kirirom)で商標を取ろうとしたら地名なので取れなかったのです。商標を管轄する役所の人にどうしたら取れるか聞いたところ1文字以上前につけたらと言われました。JKiriromというのも考えたのですが、Jはカンボジアではとても印象が悪い言葉です。カンボジア人スタッフに何が良いか話し合ってもらったところ、Vには”みんなの"という意味があるのでそれが良いということになりvKiriromという名前になりました。vが小さいのはKiriromを際立たせるためです。

次回に続く。

# 前回のnote「私がキリロムを始めることになった理由」はこちらから。


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vKirirom Pte., Ltd. 代表取締役兼CEO。キリロム工科大学 理事長。