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父に、母の余命が3ヶ月だと告げられた時の話(あるいは私が頑張れる理由)

こんにちは、日本酒ベンチャーをやっています渡辺です。
※今回のnoteに日本酒の話は全然出てこないです。
※母の日の前になんとなく思い出したので、心に留めておきたくて、書いています。

母の日が近いので、何か書こうかなーと思ったのですが、表題の通りです。

私は母を大学4回生の時に(もう10年以上の前だ・・)に亡くしています。それ自体とても悲しいことでしたが、母の生き様は今の私の価値観を大きく形作っているので、それについて書きます。

人に話したきっかけは、先輩スタンプラリー

昔会社の後輩に「なぜ、頑張って働けるんですか?」という問われました。

私が新卒で入社したリクルートという会社では、入社一年目の新人の恒例行事として「先輩スタンプラリー」という行事があります。(正式な名前はヒアリングマラソンだった気もします。今もあるのかしら・・?)

要は、先輩社員にアポをとり、いろいろヒアリングして聞いて回って勉強してこい、という趣旨で人事教育担当が企画しているものです。私は幸いにもリクルート在籍当時にいくらか表彰してもらう機会があったので、直接面識がなかった後輩からお声がけ頂いて、毎年何人かにお話させて頂いてました。後輩からヒアリングされる機会は、普段考えないことや、考えても口にしないようなことを話すきっかけになるので、自分にとっても非常にいい機会だったと思います。

さて、さる年のある時に、新人の子からヒアリングを受け、今までの自分の業務内容とか、新人の時にどんな努力を自分がしていた(そして今もしているか)など、諸々話をしていました。

ちょっと背景を補足しますと、当時は働き方改革とかなかった(ないわけではない)し、かつ上司も破天荒な人が多かったりで、とにかく仕事をしまくる社会人人生だった、みたいな感じの話をすることが多かったです。22時にオフィスを出ると、あれ、今日早いな?飲みいく?みたいな声がかかるようなひどさ。リクルートに在籍中「帰宅ラッシュ」が都市伝説だと思っていましたからね・・18時頃に会社を出た記憶がマジでなかったので、18時に会社でると駅ってこんなに混雑してるんだ、うわーみたいな。

仕事の振られ方もめちゃくちゃで、例えば、WEBマーケティングの部署に所属した私に、マネージャーが「お前がいちからサイトを作ってアフィリエイトで3000円稼ぐまで、お前に仕事はやらない」という、何それジャンプ漫画の修行?みたいなコミュニケーションを取られたり(意地で1ヶ月で達成しましたけどね!ちなみに通常業務は別の上司からはガンガン振られていた汗)、ベテランのリーダーがとにかく忙しくて仕事が回らなくなり「とにかく働ける若手のイキのいい奴を・・」ってことで指名されていきなり1億ちかい広告運用の予算渡されたりとか(今の年齢になって思いますが、若手にその仕事を振る度量がある上司たちってマジで化け物みたいなんだなって思います)、まあめちゃくちゃですね。

※上記は多分に生存者バイアスが含まれる話なので、働き方としてはおすすめしません。

頑張れる理由ってなんだ、と訊かれた

まあそんなよくない先輩の激務エピソードをある程度話したところで、その新人の子に訊かれました。

「渡辺さんは、なんでそんなに頑張れるんですか?
 なんでそんなにやる気が湧いてくるんですか?」

頑張れる理由。

これって人により様々だと思います。家族のために頑張る人もいれば、自分のために頑張る人もいるし、お金のために頑張る人もいるし、名誉のために頑張る人もいる。

社内のリーダーシップを鍛える研修でも、田坂広志さんの「なぜ、働くのか」を読んでからその理由をたくさん議論もしました。ちなみにこれはめちゃくちゃ名著です。

一人の中にも、理由はひとつではなく複数あると思うんですが、それってきっと背景には「エピソード」があると思うんです。ロジカルではなくエモーショナルなエピソードが理由のはず。

これ以降は、彼に聞かれた時に私が答えたように、私の「頑張れる理由」をエピソードを交えてご紹介します。冗長になってしまうのを承知で、ここからは口語体で書きます。

死を意識すること

渡辺
「・・大きく2つあると思っていて。頑張れる理由、というか、なぜこんな激務の中でもやる気が出せるのか、という話について。

よく語られていることだと思うんだけど、

「死を意識すること」と、それを補完する意味で「すごい人に会って熱を受け取ること」があると思う。

死を意識することで、有名なエピソードは、それこそスティーブ・ジョブズでもいいし、ダイエーの中内さんの話でもいいんだけどさ。例えばジョブズ。ジョブズが生きている時に、スタンフォード大学の卒業式でスピーチしたんだって。

めちゃくちゃ有名な話だしぜひ見て欲しいと思うんだけど、その中でジョブズが下記みたいなことを言っていて、

「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変えなくてはならないと思った、ていう。名言だよね。

ジョブズもガンになっているんだよね。ガンで余命宣告されて、もう半年も生きられないって言われたのに、詳細な検査の結果治癒出来るガンって知って、それで復活する、みたいな。文字通り「人生最後の日かもしれない」なんてことを経験していて、それを経て普段から「今日が人生最後の日だったら、どうする?」みたいなことを考えれば、そりゃやる気が湧いてくると思うんだよね。

ダイエーの中内さんの話は・・中内さんって、戦時中にフィリピンにいたらしく、飢餓も経験してるし手榴弾も経験してるし、それは大変な思いをしてるんだって。そして自分の部隊の人間が死んでしまって、そんな状態で日本に復員して、焼け野原を見て。自分の命はなくなってしまったようなものだから、残りの人生は日本の復興に捧げよう、って思って、そこから死に物狂いで事業を興していったんだって。

流通革命って知ってる?流通革命自体も、本人の経験が反映されてるみたいで。捕虜になってるとき、日本軍は散々物資不足で苦しんでいたのに、アメリカ軍はガソリンでアイスクリーム作ってたのを見て衝撃を受けたんだって。そりゃ受けるよね。こっちはヘビとか虫とか草とか食ってるのに、あっちはアイス。こういう経験から、日本でも「モノで豊かな国」を実現したい、って強く思ったんだって。

※流通革命についてはこちらに詳しいです


まあ、死にそうになったけど生き残れたから、今後がんばろう!っていうのはわかりやすいよね。

すごい人に会って熱を受け取ること

でも、そんな目に自分自身を合わせるわけにもいかないから、これを自分自身以外の経験から補完することが必要かなって思い、俺は「すごい人にあって熱を受け取ること」がいいなと思っていて。イケてる人とか、ぶっ飛んでる人に会って、自分のギアを外すというか、圧倒的な何かを感じることは刺激になると思うんだよね。

「この人すげー!」の後に、「おれもこうなりたい」って思うかどうかって、その人との距離感によるじゃん。サーカスで火の輪くぐり出来る人見ても、すげー!って思っても、なれそうとも思わないじゃん。だけど、ビジネスの場で「すげー!」って思える人に出会った時って、その場面に自分が居合わせているんだから、いつか追いつけそうじゃない?だから、すごい人の熱をいかに受け取るか、その出会いは大事だなって思うのよね。会社でそういう瞬間があったら、それを心に留めるために友達に話すとか、勇気があったらその人に伝えるとかしてみるといいと思う。」


新卒の若いこ
「確かに、すごい人には会社に入ってからは沢山会ってる、、!これから自分も変わっていく気がします。・・・

ちなみに、聞いていいかわからないんですけど、渡辺さんは、死に関する経験もしてるんですか?」

私の死に関する経験

渡辺
「おれの場合なんだけど・・。残念ながら、いや残念じゃないね、幸いにも、自分自身が死を意識したことって全然なくて。おかげ様で健康体で、大きな病気もしたことがない。

おれの場合、おかんが死んだ時に感じたことが、一番強く影響してるのかな、と思ってるんだよね。

私の故郷はすごい田舎で、うちの両親はいい意味でも悪い意味でもあまり学業とか進路に干渉しないタイプで、大学にいけとも言われたこともないし、勉強しろとも言われたことがない。駅伝をみながら「あんた、日大にはいかないの?」(※私の志望校は国立・農学部)って訊いてくるようなおかんだったから、まあゆったりした家庭だったんだよね。裕福でもないし。

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いい感じの田舎です

高校生のおれはアルバイトをして自分の小遣いは自分で出してたし、結局高校2年生の冬までバイトをしていて、そのバイト代で赤本とか問題集とかZ会とか自分で払って勉強してたのね。それで大学も合格して、奨学金も無事もらい大学にいけることになって。

もちろん大学時代もずっとバイトをしていて、初めは4人で1部屋のものすごい古い寮に住んでたし、奨学金+バイト代で生活をずっとしてました。

直島と京都with西山 013

大体においてカオスな寮でした

まあでもバイト漬けで学生生活終えるのもいやだし、バイク買って旅行いったり、全国の農家巡ったりと、まあまあアクティブな大学生らしいことをしてたのね。北海道の放牧してる酪農家にファームステイしたり、沖縄のパイナップル農家にいったりと、まあ長期休暇は全部予定入れるタイプの学生。

安城市へ取材・結いの田説明会・草刈 108

大学にいかずに草をよく刈っていた

イネ刈り結いの田2007 004

バイクはST250に乗っていました

そんなだから、正月しか実家に帰らないような感じで。大学生活の大半はそんな感じで過ごしてたのよ。まあ京都と新潟って遠いし。

おかんが倒れる

ただ、大学1年の冬の時に、おかんが脳卒中で倒れたのね。

そんときは急いで駆けつけて助かったんだけど、医者には「死ぬか、意識不明の状態で生き延びるか、無事復帰するか、全て3分の1の確率ですね」って言われて、本当にこういうことがあるんだ、って呆然としてたけど、幸いにも無事復帰して、その後健康になっておとんと一緒に京都に遊びに来れるような状態にまで回復したんだよね。

その時も、心が強く揺さぶられるような体験だったんだけど、

「助かって本当によかった。。 健康になったみたいだし、おれが仕事始めたら、なんか美味しいものを食べに呼びつけよう。親孝行は出来る時にしないとなー」

くらいなことを思ったんだよね。

ただ、結局それが最大の勘違いだったんだけど。

この脳卒中になった後の予備検査で、おかんに肝臓ガンが見つかったんだよね。医師からは

「脳卒中は手術をしたから大丈夫だけど、こちらはガンなので、治癒がすぐには難しい」「まだ若いから、代謝がよく進行が早いので、いつ急激に悪化するかわからない」

って言われたらしい。おとんとおかんで東京の国立ガンセンターに行って再度検査してもらったりしても、結果は同じ。

で、この時にうちの両親がした判断が、本当にすごい考えをしてくれて。

「息子たちには黙っておこう」
「子どもたちの青春の、邪魔をしたくない」

そっから、両親の二人だけで秘密を抱えることになったんよね。母の兄弟にも言わず、祖父にも言わず、母の友人にも誰にも言わず。

おれが2回生、3回生の唯一帰省する正月に実家に帰った時(実家に帰省してもあまり家にはおらず、友人たちと飲みにいく)も、自分のガンのことは何も言わないで、普段と変わった様子がないのだよね。特別自分がガンだとか、辛いとか、そういうことは一切言わなかった。

母からくるメールは、10万でマッサージチェアを買いましたとか、軽井沢に旅行に行きましたとか、他愛のないものだけで。忙しさにかまけて、いつも適当に返信しちゃってた。多分返信しない時だってあると思う。今思うと、余命がわかってたからすごいアクティブに過ごしてたのかなって思う。

亡くなる3ヶ月前の告知

結局、おれが、おかんがガンだと知らされたのは4回生の7月になってから。脳卒中で倒れてから三年後。おれが長期間海外旅行に行く、っていうことを両親に伝えてから。

※農学部に入るくらい昔から生き物が好きだから、卒業前に3週間くらいガラパゴス諸島とその周辺にいく計画を立てていた。学生時代の最後の長い夏休みに。

その旅行の計画を伝えたら(相談ではなくむしろ行ってくるわ、という報告くらいのつもりだった)父から電話が突然かかってきて、おかんはもうガンがかなり進行していて入院しており、この先が長くないってことを知らされた。

いや、長くないって・・・何ごと??
脳卒中は治ったんじゃなかったの??
てか、肝臓ガンってどういうこと???入院してるの????
なんで言ってくれなかったの??????

とか、ものすごく疑問も生まれて、イライラもしたんだけど、「心配させたくなかった」って言われたら、怒りなんてしゅんとして治り、ムカついてた気持ちが感謝と申し訳無さにしかならないのだよね。

死に目に会えないかも、と思って海外に行くのも死ぬほど悩んだけど、母にそういう話をしたら「あんた、せっかくウン十万も出して旅行とったんだから、行かなかったらもったいないじゃない!そんなもったいないことしたら、怒るわよ。いってきなさい。あたしは、あんたがちっちゃいころから生き物大好きなの知ってるし、ずっと行きたがってたところなんでしょ?
あたしは、いいから。
大学まで自分でお金出して通ってる、あんたの枷になりたくない。」

自分の余命近づいてるのに、病床でそんなこと言える精神力が、すごいよね。結局、ガラパゴス諸島には行ってきました。なんか、いかないと、ここまでの母の気概を無視するような気にもなり、いかないのも申し訳ないなと感じたんだよね。

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帰国してからは気が気じゃないから、0泊2日で実家に帰ったり、毎日メールしたりしてた。

調子に乗ってた自分に叩きつけられた圧倒的な母の愛情

結局、おかんは海外旅行に行った2ヶ月後に亡くなったんだけどさ。葬式の時に一人、強烈に感じて反省したのが、自分はもともと、自立してて、親になんか頼らないで生きていけるぜ、とか完全に調子のってたわけですよ。

周り見渡してもさ、経済的に自活してる学生なんてあんまりいないし、みんな親が医者の息子だとか、いい企業の部長さんだとかで、まあすてき、でもおれはここまで一人でやってきてるけどね、みたいなことを恥ずかしながら思っていて。

完全に甘い考えで。今思うと。

経済的には自立していたかもしれないけど、全然自立なんてしていなくて親が「好き勝手やらせてくれてただけなんだ」ってことに、親が死ぬ前にやっと気付いたんだよね。そこまでされてたことに気付くと情けなくて、本当にただ心の底から感謝しか湧いてこなくなって。

自分がガンでいつ死ぬかわからずその辛さと不安を抱えているのに、子どもには一切伝えずに、年に一回会うだけで耐えるとか、、、自分が親になったときに同じことが出来るか。どれだけ辛く寂しい気持ちに耐えていたのかと思うと、想像もつかない切ない気持ちになる。


・・・そういうこともあって、本当に親に感謝していてさ。

大学時代、おかんが自分を犠牲にしてまで自由奔放にやらせてくれたからこそ、大学時代のおれはやりたいことをとことん突き詰めることができて、そこでの経験や成長が今の自分を作っているから・・・それに恥じないように俺は頑張り続けなきゃならない、って思ってるのね。

だから、頑張らないっていう選択肢がそもそも頭の中にないっていうか。制約なしに、自由に働けることの尊さを知っているというか。いつどこで、家族の身に何かが起きて、自分が「頑張れなく」日がくる可能性があるんだよね。だから、今「頑張れる」のであれば、そこは「精一杯やる」しかないと自然に思ってる、かな」


てなことを言ったことを思い出しました。口語体で読みづらい中ここまで読んでいただいた方ありがとうございます。。

今の自分が頑張れることは、上記に書いたようなことも関係していますが、周囲の皆さん、及び結婚して気づいた新しい家族に支えられてのことだと、仕事をしていると本当に毎日感じます。本当にいつもありがとうございます。自分が「頑張れる」幸運を手に入れているうちは、もっともっと頑張ります。

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こういう気持ちを素直に書けるようになったのは、おっさんになって歳をとったなあと思う(照れ隠し)

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