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公用語て何?

世界で唯一日本語が公用語になっているところを知ってますか?

 最近知って驚いたことがある。
 なんと日本語は日本の公用語ではないらしい。
 各種法令は日本語を用いており、学校教育においても日本語を国語として学習を行うなど、事実上日本語は日本国内において唯一の言語だ。
 それなのに、日本人が日本語を使っていることに法的根拠がなくてもいいのだろうか。

    と、素朴な疑問が起きる。

 一方、国旗と国歌については
   国旗及び国家に関する法律
で、国旗を「日章旗」と、また国家を「君が代」ときちんと定めている。

 エッ?そうなん?
 だって日本だったらみんな日本語しゃべってますやん。
 それでえ~んちゃう。
 別にお上が作った法律なんかに縛られなくても・・・

 と、関西人から鋭い突っ込みがはいってきそうだ。 

 確かに我々日本人は、別に法律に定めなくてもコミュニケーション手段として日本語を使っており、今さら法的根拠と言われてもピンとこない。
 では、公用語とは何なのか?

 いろいろ調べてみたところ、公用語とは
   一つの共同体内で複数の言語
   が使われている場合に、公的
   な分野で意思の疎通を円滑に
   するために憲法や法律などに
   よって指定される言語
のことを言うらしい。
 なるほど、だから日本は単一民族国家だから公用語は必要ないわけか。
 アメリカや中国などのように複数の民族がいるわけでもなく日本語しか使わないから、そもそも定める必要もないわけだ。
 関西人の突っ込みは正しかった。
 世界中見渡しても日本語が通用する国はないし、まあ別に憲法や法律云々という話でもないか・・・
 そう納得した。

 ところが!
 実は世界中で唯一日本語を公用語と定めているところがある。
 なんと、南洋の小さな島国国家パラオ共和国のアンガウル州という小さな島だ。
 パラオは西太平洋のミクロネシア地域に位置する500以上の群島からなる国で、きれいな海やサンゴ礁から観光客やダイビング目的で訪れる人も多いらしい。
 現在の公用語はパラオ語、英語となっているが、この国の州のひとつであるアンガウル州だけは、憲法で日本語も公用語に加えているそうだ。
 州といっても、島の面積約8㎢、人口わずか119名(2015年)の小さな島でしかない。
 そんな小さな島が、なぜ公用語のひとつとしてわざわざ日本語を定めているのだろう。

 パラオは先の大戦前には一時的に日本が統治し、その頃日本人が多数住んでいたことから親日家も多い。
 そのことが関係しているのだろうか。
 しかし、それももう80年近く前のことである。
 このため島民のほとんどは、既に日本の統治時代を知る世代ではなくなっており、憲法に定められているとはいえ、実際に通用するのはパラオ語と英語らしい。
 でも今も憲法には公用語として定められており、一部の高齢者は日本語が堪能であるそうだ。

 アンガウル島は先の大戦時に、その北にあるペリリュー島とともに日本軍の基地があったことから、米軍がフィリピンに再進攻するための足掛かりとするために攻撃目標とされた。
 そして日本軍は、10倍以上の圧倒的戦力を有する米軍に果敢に抗うもかなわず、それぞれの島の守備隊は玉砕(全滅)している。
 ただ当時それぞれの島にいた住民だけは、事前に安全な他の島へ疎開させられていたことから難を逃れている。
 戦後島に帰ってきた住民は、何もなくなってしまった戦禍の後に嘆き悲しんだが、この島だけはその後もまた日本人が多く入ってきてその再建に尽力したらしい。
 アンガウルの人たちは、それらのことに対する感謝の念を未来に引き継ぐために、わざわざ憲法に明記してまで日本語を公用語と定めているのかもしれない。

    これらのことは、自虐史観に縛られた日本のメディアが絶対に触れたくない史実であろう。
 パラオについて深掘りすれば、彼らの
   かつて日本は、軍国主義で
   東南アジア諸国に多大な迷惑
   をかけた
という主張と矛盾するからだ。
 むしろ日本は、この小さな島のために迷惑をかけないように最大限の努力をしている。
 自分たちが起こした戦争に地元の人を巻き込まないよう配慮している。
 戦後も多くの日本人が移住してその再建に尽力している。
 もしアジア諸国に多大な迷惑をかけたと主張したいのであれば、それは欧米に言うべきだろう。
 植民地支配をして、アジアの富と民を搾取して繁栄を謳歌したのは誰だったか。

 メディアは本当に強い相手には声を発しない。
 自国内で唯々諾々と批判を受け入れてくれる政権相手に、単に自社の収益を伸ばす素材だけを取り上げて騒いでいるだけだ。
 原発の処理水放出についても、いまだに一部メディアは国内では騒ぐものの、その発信元である中国には一言も発していない。
 騒げは中国にある支局を潰されるのが怖いからだ。

 ただ彼らの発信力とその影響力は、いまだに大きい。
 国旗・国家法案についても、メディアが騒がなければあえて法制化する必要もないくらい、日本人にとって日の丸や君が代は当たり前の存在だった。
 あえて法制化しなければならなかったのは、式典や入学式など日の丸を掲げて君が代を歌うのが嫌いなほんの一握りの人たちが騒いで問題化し、メディアがそれに寄り添ったからだ。
 それと同じ構図は、最近のジェンダーレス問題にも見え隠れする。
 このこともメディアで騒がれると、すぐに政権は法制化した。
 一部の人たちに寄り添って、その他のマジョリティを無視する構図は同じだ。

 子供が生まれたらお宮参りをして、その後端午の節句やひな祭りで「らしい成長」を祝い、さらに大きくなったらそれぞれの課程の入学式、卒業式で日の丸を掲げて大きな声で「君が代」を歌う。
 そんな当たり前の光景に、わざわざ法律を作るまでもなかった。

 少数の意見も大切にしなければならない。
 そういう方を取り上げるメディアの役割りも分からないではない。
 但し日本は民主主義の国だ。
 そしてその民主主義とは多数決で物事が決まる。
 そのことだけは忘れないで欲しい。
 そうしないと日本が成り立たなくなる。

 本当に少数派の意見も大事にしたいのであれば、ぜひともこの小さな島のことも取り上げて欲しい。

 過去に受けた恩を忘れずに、憲法にまで言葉を刻んで未来に残そうとしている人たち。
 小さな地域ながらも日本を思ってくれる人たちがいることを、日本でも取り上げて欲しい。
 それが少数派の考えも大切にするメディアの役割りだと考えているのであれば・・・

 アンガウル州憲法 言語に関する条項の日本語訳
アンガウル州憲法 第12 条 一般条項 (A):公用語 1項. パラオの伝統言語、特にアンガウル州民の間で話されている方言はアンガ ウル州の言語として定める。 パラオ語と英語、日本語は公用語とする

アンガウル州の州旗

 上の旗は、アンガウル州の州旗だ。
 小さな島なのに、憲法があったり、州旗があることさえ驚きだ。
 中央の花は、アカバナチシャノキとパゴダという花を組み合わせてデザインされたものらしく、どちらも出生を祝う儀式で使われる花とか。
 小さな島の小さな旗かもしれないが、その未来を託す思いが出生を祝う儀式に使う花に込められている。
 そして彼らの未来を託すもうひとつの形である憲法のなかに、日本語を公用語として定めているのは、日本人として素直に嬉しい。
 日本人であれば記憶の片隅にとどめておきたい隠れた日本の近代史のひとつだ。

 
     
    

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