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在宅医療を、身近に選べる社会へ

医療デザイン Key Person Interview :
 医療法人 綾正会 かわべクリニック 院長 川邉 正和

在宅医療専門クリニックを東大阪に開設し、自宅で最期を迎えたいという患者の希望をかなえてきた川邉正和院長。奥は川邉綾香看護師。

東大阪市のかわべクリニック。院長の川邉正和は、看護師で妻の綾香やスタッフとともに在宅医療専門で患者さんのがん緩和ケアから看取りまでを行う。

「人生の最期を自宅で過ごしたい」一人でも多くの患者の希望を叶えるために川邉が開業し、年中無休で診療を続けてきた。

開業時から自分たちがいなくなった後のことを考えてきた川邉のビジョンは、『質の高い看護師を多く育成し、地域の在宅医療が自走できる仕組みをつくる』こと。

前回は川邉綾香看護師に看護師の資質や育成にかける想いを聞いた。
川邉正和が考える『在宅医療を当たり前にする』とはどういうことだろうか。

「自宅に帰れる環境を整えたい」開業のきっかけ

勤務医だった川邉が、開業を決心するきっかけとなった出来事があった。

専門は呼吸器外科。勤務先の大阪赤十字病院では、がんを患った患者さんが病院で亡くなる姿を見る一方で、患者さんから「家に帰りたい」と希望を聞くこともあった。

「ある患者さんが余命1カ月未満で自宅に帰ることを望まれ、病院として引継ぎ先の在宅医を探しました。ただがんの痛みをコントロールしていた器械を使用できるクリニックがなかなか見つからなかったんです。」

引き受け先が見つかったのは2週間後。しかしその間に容体は大きく悪化していた。帰宅は実現したものの、患者さんはわずか3日後に亡くなられた。

ーーその患者さんが、結果的に開業することになる東大阪の方だった?

「病院からご自宅に送る救急車に私も一緒に乗って、ご自宅で在宅医に申し送りをしました。しかもその先生は、結局、隣の大阪市の方だったんです。東大阪には受け入れ先がまったく足りていないんだと知らされました。」

看護師である、妻の綾香と開業したのが2015年。それまではゆかりのない東大阪だったが、在宅医療のニーズが高い地域であり、勤務先の病院にも恩返しできるだろうと考えた。

「当時の上司に、『在宅医療を受け入れるために開業したい』と相談したら、『川邉君は人を助けるために医者になったんだろう。

だったら外科医にこだわらず、助けになる道を選べばいいじゃないか』と背中を押してくれました。」

「病院からの患者を受け入れる側に回ろう」大病院を辞めて開業を決意


「在宅医療の中心は看護師」開業時からの信念

緩和ケアは、患者さんの痛みを和らげて、少しでも穏やかな時間を過ごしてもらう手助けをする。当然ながら在宅医療支援クリニックの医師、看護師にかかる負担は大きい。

また看護師だけで、患者さんの自宅を訪問するケースも多い。またヘルパーさんなど介護スタッフから得た情報も、頭に叩き込んでおく必要がある。

24時間365日、気持ちが休まらない仕事を続けてきた川邉から見て、「在宅医療を任せられる看護師」に必要な資質とは。

「必要な資質は、3点あると思います。

まずは何よりも主語を患者さんに置くこと。自分を主語にせず、患者さんがどう考え、どう思い、どうしたらいいのかを考えられることです。

2点目が『話を聴けるかどうか』です。看護師も、医師も説明しがちだと感じます。まずは相手の話を聴き、理解に努める。完全に理解することはできなくても、『理解してくれたな』と相手に思ってもらえるかが大事。

3点目に看護知識、医療知識、スキルの部分です。」

ーー3点目のスキルばかりが注目されそうですね。

「大病院にはテキパキとされて、スキルの高い看護師さんがたくさんいます。ただ傾向としてはそうした看護師は自分の持っている知識を押し付けがちな印象です。

知識として正しい、正しくないよりも、『患者さんが望んでいるか』『ちゃんと聞いてあげたのか』というところにギャップがあるとお互い苦しい思いをします。

なので、トータルとしてバランスを取るには、3要素の順番も大事だと思います。」

大病院で研鑽を積み、途中で在宅医療を志し、患者さんとのコミュニケーションスキルも必要。

求められるハードルは決して低くないが、「在宅医療の中心は看護師」だと川邉はこだわってきた。

ーー綾香さんのような在宅医療を担える看護師の育成は簡単ではないですね。

「そうですね。でも育てます。

在宅医療にもスーパードクターがいますよね。ただ、もし彼らがいなくなったら続かない懸念があります。もちろん後輩を育てようとされていますが。

私にできるのは在宅医療の中心を担える看護師さんを、一人でも多くつくっていくこと。医師の育成よりは短期に結果が出せると思っています。それは東大阪だけではなく、もっと広い範囲で地域や患者さんのためになる。」

「医療」と聞けば扇の要に医師の存在を思い浮かべる人も多い。だが『在宅医療の中心は看護師である』というコンセプトは開業を決めたときから徹底され続けている。

看護師を中心とした在宅医療を行いながら、クリニックの最終責任は川邉院長が背負う

「看護師を育成する」一貫した信念

地域医療を担う看護師を育てるために、川邉も自身に課したことがある。それは「怒らない」「見守る」という決心だった。

「病院時代は怒りっぽかったと思います。とにかく熱さを伝えなければと思っていたんですね。熱さって、受ける側には迷惑なことが多いですよね。口うるさい医師だったので、病院時代の看護師さんに聞いたら今の姿のほうが信じられないと思います。」

ーーいつも笑顔で柔和、誰にも分け隔てない川邉先生から想像がつきません…!

「開業するときに『もう怒らない』って決めたんですね。それがスタッフのチームワークのためであり、結局患者さんのためでもある。

でも当初は、横で綾香さんがニヤニヤとすることがあって、それで『あ、今怒ってしまったか…』と気づいたこともありましたね(笑)。最近は、怒らない自分が馴染んできたように思います。」

川邉の狙いは、人が育つ環境を整えることだった。綾香看護師とともに「東大阪プロジェクト」、看護師やその他の医療、介護にかかわる人に広く参加を呼びかける研修にも力を入れる。

内容は、人生の最終盤を迎えた方に接する方法を学ぶ「エンドオブライフ・ケア研修」や、互いの死生観を大ぴらに語る「縁起でもない話をしよう会」など、深くそして労力のかかるものだ。なぜそこまで育成や普及に力を入れるのだろうか。

「自分たちがいなくなっても、地域が回るようにしないとやはり意味がないんです。開業時10年はがんばろうと綾香さんと話しました。そのころに、活動が根付いていれば自分たちはまた別の場所で他のことをやればいいと。」

ーーえっ!? いなくなる前提なんですか。

「そうですよ。『自分たちだけができる』って、良いようで良くないことだと私は考えているんです。誰もができる世界の方が、よほど世の中としては幸せではないですか。

だから教え、育てるんです。綾香さんが一生懸命情報発信するのも、私が発信の環境を整えるのも、育成の一環。ずっと変わりません。」

縁もゆかりもなかった東大阪市に根を下ろし、7年が経とうとしている。川邉は40代を丸々、地域の在宅医療を守るために捧げてきたと言っていいだろう。

「10年は無休でもがんばれるよね」と夫婦で確認し合って7年が経つ。

2019年、東大阪プロジェクトの一環でケアマネジャー向けの研修会に登壇

医療デザインの力を育成に活かす

在宅医療の先輩として尊敬する小澤竹俊医師(エンドオブライフ・ケア協会  代表理事)の講演を通じて、川邉は日本医療デザインセンターを知った。医療デザインの概念はすぐに理解できなかったが、直観的に親近感を覚えたという。

「(代表理事の)桑畑さんの話しを初めて伺ったときに『人と人をつないでいく』と、彼は言ったんです。僕も地域を『つなぎたい』と常々思っているので共感する部分がありました。。

自分たちの『育てる活動』をもっと世の中に広げていくために、"デザイン” の力を使えるたらと期待しています。」

ーー川邉先生が実現したいことはなんですか。

「在宅訪問診療が当たり前の世の中にしていきたいです。

『鼻血が出たら耳鼻科』『ものもらいができたら眼科』と同じように『自力で病院に通えなくなったら在宅医療』を当たり前の社会にするのが、私とかわべクリニックのもう一つの使命だと思っています。

地域包括ケアシステムを充実させるためにも、東大阪、そのほかの皆さんに、かわべクリニックという在宅医がいる、緩和ケアを得意としているクリニックがあることを、この医療デザインを通して、知ってもらえたら嬉しいですね。」

地元で人生の終わりを迎える人たちが川邉たちを頼っているのはもちろんだ。だが、川邉が背負っているのは、在宅医療そのものを世の中に浸透させる取り組みだ。

そんな思いがあるから何年もフルスピードで走り続けられるのかもしれない。

東大阪の住民を支えるかわべクリニックの看護師、事務スタッフとともに


 取材後記

すべてを包むような川邉先生の話し方、表情、人柄と優しさに魅了されました。それでいて、開業時からすべてを見通していた通うな慧眼。
開業の経緯、なぜ院外の人材を育てたいのか、など核となるこちらの質問にすべてよどみなく明確な答えが用意されていたのが見通していた証拠ではないかと思います。
優しさも、患者さんやご家族が安心できるようにという在宅医療への情熱の表れと聞きますます尊敬の念が深まりました。
(聞き手:医療デザインライター・藤原友亮)

日本医療デザインセンター 桑畑より

いつも穏やかで紳士な川邊正和先生(以下、正和先生)が声を荒げているところを僕は一度も見たことはありませんが、会話の中でものすごい“熱”を発するときがあります。
その熱は、決してトゲのあるものではなく、真剣さと愛から発せられる心地よい“熱”で、その“熱”に触れるたびに正和先生のことがどんどん好きになっちゃいます。
『能ある鷹は爪を隠す』ではありませんが、院長として自ら前に出るところと、パートナーの綾香さんを演出するところのバランスがいつも絶妙で、稀に見るプロデューサー能力をお持ちなんだと思います。
第一印象も素敵なんですが、話せば話すほど、正和先生のバランス感覚の素晴らしさと、愛情深さに気付きます。これからもご一緒させていただく中で、正和先生の底知れぬ魅力をまだまだ知ることができそうなのが本当に楽しみです。人として心から尊敬しています。
(日本医療デザインセンター 代表理事 桑畑健)

川邉 正和さん プロフィール

大阪府大阪市出身。2000年、福井医科大学卒業。福井大学附属病院を経て、2002年より大阪赤十字病院呼吸器外科に勤務する。
2015年、かわべクリニックを開業。がんの緩和ケアに特化し、がん性疼痛管理や症状緩和と家族へのサポートに力を注ぐ。病院と同等の療養生活が送れるとともに家族の介護負担を減らせるように、地域と連携を図る。
日本外科学会専門医、日本呼吸器外科学会専門医、がん治療認定医、緩和ケア指導者研修修了。


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