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ジュビロ磐田から見る文化的遺伝子の大切さ

先日、サッカー日本代表のアジアカップの招集メンバーが発表された。オランダリーグで活躍している小川航基の代表入りだった。ジュビロを応援している身としては、彼の代表入りは我が事のように嬉しい。

日本代表関連では、ジュビロ磐田から、カタールW杯から定着している伊藤洋輝。そして、鈴木海音のU-23代表入り。
いずれも黄金期を作った名波、田中誠、一時期には中山雅史といった面々が見てきたメンバー。彼らが代表選出された選手達に与えた影響は図り知れない。

環境は人を作るというが、もう少し粒度をあげると、環境によって、技術や文化が次の世代に遺伝子として受け継がれる。受け継いだ世代が、またその次の世代に渡していくという、言わば襷リレーのような形でA代表に2選手が選ばれた。これは、必然といっても大袈裟ではない。

個人の話。自分は静岡県の藤枝市という土地で育った。この街では、多くのプロサッカー選手を輩出してきた。ジュビロ磐田で一時代を作った名波、中山、ドイツ・フランクフルトの長谷部。その他にも書ききれないほどの数多くいる。高校サッカーでは藤枝東高校。近年では、女子サッカーで藤枝順心高校が、サッカー好きには認知されている。

藤枝市には、トレーニングセンターという組織がある。小学校から市内のサッカースポーツ少年団(以下、スポ小)から技術や見込みのある子達をさらに伸ばすためのここで各スポ小から集まった子供たちが、切磋琢磨してサッカーの技術向上に寄与している。自分の1学年上には、藤枝東高出身で現在カターレ富山の河井陽介などといった選手がいる。最近では、川崎フロンターレの遠野大弥が挙げられる。

この街では、当たり前のようにサッカーが生活の中に溶け込んでいる。僕自身の子供時代といえば、毎週末はサッカーで試合。これほどまでにサッカーが盛んになった背景について、以下のように語られている。

藤枝市は今年、市制施行70周年、サッカーのまち100周年とうたっています。 当時の志太中、今の藤枝東高校の初代校長の錦織さんという方がサッカーを「校技」に決めた1924年(大正13年)が起源になっています。 当時の錦織校長はサッカーの運動量や連帯共同性などが教育に適していると考えた。

https://www.at-s.com/life/article/ats/1393371.html

人が環境を作る、環境が人を作るという言葉がある。個人的には、「人が先に環境を作り、その後に文化的遺伝子となって後世までその文化が継がれて環境が人を作る」と解釈している。先の錦織校長がまだ存命だったら、今のこの環境を見てどう思うのか聞いてみたい。彼が描いたキャンバスに、次の世代、さらにその次の世代と受け継がれて、絵を描き足し、「サッカーの街」が作られた。錦織校長1人の力で成せたことではなく、多くの人を巻き込んで文化を作り、文化が人を作って、人がその文化を継承してきたからだ。

絵を描き足してみたいと思えるような文化を作り出したい。

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