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小説「ユメノミライ」①

小学三年生の時、僕はピアノの角に思い切り頭をぶつけた。

その瞬間、小さな体全身に電気が走ったようだった。

僕の中で何らかの異変が起こった。

それから始まったのが予想できてしまう未来。

夢で見たことが全て現実に起こる、それはつまらなくとも無難で安心な人生だった。

「未来が予想できる?」

目の前の女性は怪訝な顔をして聞く。

「ああ、できるとも。俺はずっと予想通りに生きてきたんだ。」

そう答えて、テーブルにあるコーヒーをすすった。

「前も同じような事言ってたけど、全く理解できないのよね。」

そもそも、と彼女は続ける。

「あなたが未来を予想できているなら、もっと良い人生を送ってるんじゃないかしら?」

「そんなことないよ。だって、これが望み通りの未来なんだから。」

彼女は下を向き、ため息をつく。目の前のミルクティーをスプーンでかき混ぜている。

「馬鹿らしいわよ。なんかあなたにこれといった取り柄が見当たらないもの。」

「君が俺と付き合い始めて三年が経っているわけで取り柄くらいは言えるでしょ?」

彼女は黙っていた。

少しばかり沈黙の時間があった。俺は周囲を何気なく見渡した。

カウンター席では、四十歳過ぎのサラリーマン風な男性がビジネス雑誌を読んでいた。

「今回こうやって会おうと言ったのは別れ話を切り出そうと思ったからなの。」

俺は表情を変えずに、彼女を見つめた。

冷房の効いた店内に、ハンカチで汗を拭いながら女性客が入る。クールビズといえども、スーツ姿は暑そうに見えた。

「私は高校の時、卒業までに彼氏を作らなきゃと思って焦っていたのよ。そんな時、手頃な男を見つけたと思ったわけ。」

うんうん、と俺は軽く頷く。

「見た目も悪くはない。ファッションだとかも当たり障りなくて、普通の男だと思ってた。それだけで私の彼氏として十分ふさわしいと思ったのよ。」

でも、と彼女は言いミルクティーを一口飲んで、はあ、と息をついた。

「仲良くなって話しているうちにこの人変な人って思ってきちゃった。」

「それは、間違ってない。確かに普通ではないよ。」

彼女とは高校の三年間ずっと同じクラスだった。三年生になった始めの頃に、彼女に呼び出され告白された。

実は彼女は同級生男子からの人気がかなりあった。身長が高く、顔が整っていてしっかり者であったからだ。テニス部であったこともその理由にあたるだろう。

断る理由もなくすぐに承諾して、付き合い始めたのだ。

「付き合っているうちに、カッコいい所くらい見つかると軽く考えてた。でもね、未来が読めるとか言ってるくせして、周りに羨まれる所なんて一切ないのよ。現に、」

彼女はそこで話すのを止めた。

現にフリーターで、実家暮らしだとか言いたいのだろう。

「俺は進学しようと思ってるんだ。でも、経済面で親に負担をかけたくないから、こうして学費を稼いでいるんだよ。」

彼女は頬を掻きながら、その話は聞き飽きたというように窓の外を見た後、俺の目をしっかりと見遣った。

「あなたは高校の時、定期テストの成績は最下位クラスだった。そして、運動音痴でスポーツは一切できない。体育のバスケの授業ではドリブルはできないし、バレーボールではレシーブを何度も空振りするくらい。唯一、昔やってたピアノを生かせる音楽大学ってワケでもないのよね?」

「ピアノは中学で辞めたからね。工学部に行きたいんだよ。」

「今でも、ピアノは時々弾くって言ってたじゃない。高校の合唱コンクールでは毎回伴奏をやってたし。」

「家で弾くと父さんが怒るんだ。だから仕事でいない時だけ、たまに弾いてた。」

彼女は両ひじをテーブルに置き、頭を抱える。

今すぐにでも別れたい、という思いがひしひしと伝わってくる。

今日別れることにはならず、三日後に電話で別れようと言われるのだが。

「君はスポーツ特待生で私立の大学に入った。テニスをしている。」

独り言のように呟いたが、反応はない。

「つまり、勉学に励むためではなくテニスをするために進学した。とても全国レベルとは言えないのにも関わらず。」

そこまで言った時、彼女は立ち上がって財布から千円札を取りだし俺の前にさっと置いた。

何も言わずに喫茶店を素早く出ていく。目元は涙を少しこらえているように見えた。

この後、彼女は電車で自宅の最寄り駅まで行き、帰り道の途中の公園でブランコに乗りながら、人目を憚らず泣くというのを予想済みだ。

会計を済ませて外に出た瞬間、ミンミンと蝉の鳴き声が鼓膜に響く。

アスファルトの地面から陽炎がゆらゆらと揺れていた。

今日はこの夏一番の炎天下で、雲ひとつない空は濃い青色をしていた。

VネックのTシャツをばたつかせ、風を起こすもあまり効果はないようだった。

実家に着くと、部屋も片付けないでどこをほっつき歩いてるんだと母は怒っていた。

いつも通りだ。

五年先くらいまでの未来を予測できる。

俺は3年間ピザ屋でアルバイトをしながら勉強した後、有名私立大学の情報工学科に入学する。

四年後に無事卒業して、大手ITメーカーに就職する。そこまでの人生を夢で見ていた。

自分の未来だけでなく、この世の重要な出来事は予測できる。

ちなみに、先程の彼女との会話も予想出来ていた。

自分にとっての重要と非重要の境界がいまいち定まっていないのが唯一の悩みの種なのだ。

居間では父が不機嫌そうな顔をして、新聞を広げていた。ピリピリとした空気が俺に不快感を与える。

急いで自分の部屋に行こうと思ったのも束の間、

「ヒロシ」と俺を呼んだ。

「お前はいつも母さんを怒らせてばかりで、大学に行くとか言いつつも勉強はしない。とんだ親不孝者だな。」

渋味のある嗄れ声は、いつにも増して迫力がある。しかし、その言葉には聞き耳を立てずに、これから勉強する、とだけ言って部屋に向かった。

父は大工、母がピアノの先生という家庭で一人息子として大事に育てられたのだが、俺は両親を好きにはなれなかった。尊敬すらしていない。

父は男らしくスポーツでもやれと言いながら、母はピアノ教室と塾に俺を強制的に通わせた。

よく俺のことで意見が対立し、喧嘩になることもあった。

結局俺は双方の意見のどちらにもつかなかった。

20歳になっても、未だに親にとやかく言われることに腹を立てている。

#創作大賞2022


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