Vol.118 架け橋プログラム(就学前と就学後)
こないだは、中学校の先生とじっくり話をする機会があり、そのときもあれこれつながるところがあるなぁと思って聴いていたのですが、今回、幼稚園・保育園の先生と話をして、またつながるところ、重なるところがたくさんあるなぁと思いました。
「ちゃんと聴く」ということを大切にしているとおもしろいです。今、自分自身が大切にしているところが「一人ひとり」とか「よりよく生きる」とか広いところにあるので、結局そこを目指すための教師としての役割はどの校種でもつながってきますね。
昨日は、今年度取り組んでいる「架け橋プログラム」の研修会があり、うちの小学校ブロックにある幼稚園・保育園の先生と一緒に話す機会をつくってくださいました。そこでまず全体での講義を聴き、
共同同時学習
言語環境
環境設定
プレイ論
遊び
ねらいや目的
このあたりについてお話を聴き、自分の中であれこれぐるぐるしていました。まだまだプレイ論というのはよくわかっていませんが、「遊ぶことが目的」や、「ねらいは〜を楽しむ」というところといった話を聴きながら、「遊び」ってなんだろうと思ってました。
昨日は最近読んだ、この本とのつながりも見つけながらあれこれ考えていました。
この本にはこれまでの遊びに対する見方とはまた違った見方で考えを示されています。最近、自分が考えている「社会構成主義」ともつながるなぁと思いながら読み終えました。
昨日の全体講義の中で、「環境設定が大事」という話を聴きましたが、その環境設定をするときの「教師としてのねらい」についてずっと一人で考え込んでいました。
子どもの実態を見つめて支援の仕方を考える
「楽しさ」をより広く、深くするためには?と考える
といった話を聴きながら
教師としてのねらいはもっておきたいな
ただ、子どもたちにはねらいが見えすぎないようにしたいな
でも、ねらいが見えることにもいいところがありそうだな
「自然な形を目指す」と「ねらい」ってどんな塩梅がいいのかな
どうすれば、なにを意識すれば、より自然な形で環境設定・上手なかかわりができるのかな
こんなことをずっとぐるぐる一人で考えながら聴いていました。
その後のグループ協議の時間で、様々な立場の先生からたくさんの考えを聴くことができました。
まず、幼稚園の先生は、「環境設定は大人が構成するわけじゃない」ということや「子どもがほしい、必要だと思っていることを一緒につくる」ということを大切にされているという話を聴きました。
同僚の先生ともたくさん話をして
ねらいをはっきりさせることで「よりよく」を一人ひとりが意識するようになるんじゃないかな
でも、楽しんでいると自然と付加価値として「非認知能力」が身についていくんじゃないかな
「どんな?」「どれが?」といった問いがあると大人も子どもも楽しくなる
ただ、やらせないといけないことも小学校にはある
カリキュラムがあることの難しさ
あらためて同僚の先生方とお話しすることであれこれ考えることができましたし、体育を研究されている方、英語専科の先生、1年生担任の先生、育成学級の先生と様々な立場の先生の考えを聴くことができたことがおもしろかったです。
最後に、幼稚園の先生に1年生担任の先生がされた質問と幼稚園の先生の受け答えが印象に残っています。
「秋の自然素材を活かした遊びをするときに、一気に素材を子どもたちの前に出すか、小分けにして出すか、どちらがいいと思いますか?」
と1年生担任の先生が質問をされたときに、幼稚園の先生は、「うーん」と悩まれ、「わからない」とお答えになりました。そして、その後、
「よく一気に出して失敗することが多いんです。でもその時の子どもたちの姿を見て、その後の環境設定を変えていくんです」
とお話しされました。
この会話がすごくおもしろくて、やっぱり一人ひとりの実態や興味を「見取り続ける」ことって大事だなぁと思いました。もちろんあらかじめ事前にあれこれ考えることは大切です。でも実際に子どもたちを前にしたときに、柔軟に受け止め、一人ひとりの姿を捉えようとする姿勢をもち続けることに意味があるなぁと思いました。
「子どもによって」というところを大切にすることや、「子どもが楽しむ」を支える教師としての役割は重なるところが多いなぁと思いました。
昨日の会の最後には
子どもの具体の姿が全て
どんな心の経験をしているのか
やっている過程での心の動き
10の姿は立ち現れてくる
といったお話も聴きました。盛りだくさんだったなぁと感じたので一つ一つ丁寧にちゃんと考えておきたいなと思っています。