謙虚と肥大したマイナス方向の自尊心はちがうとやっと気付いた
ということを先ほど言語化できそうと思いたち書きなぐります。私の場合は、です。人によって環境からすべて違うので…。
ふくらんでいくマイナス方向の自尊心
私はたいそう卑屈な子どもで(ゆるゆるぬるぬるな環境で育ち今に至るので生育環境は関係ない部分だと思います)
家族は弟と私を分け隔てなく接してくれているけど、本当は弟だけが可愛くて 弟をひいきしていると私がかわいそうだから ついでに可愛がっているのだと本気で思っていました。
リアクションの良し悪しの違いなんですよね、良いリアクションだったら良いアクションをしたくなるし。その逆も。
私の反応が薄いからコミュニケーションを積極的にとってくる弟のほうが反応が多いのは当然なわけです。(手間がかかるからとかも含め)
その点が当時は分からず、卑屈さに拍車がかかるのですが、だからといって「無」にはなれないのです。「自分」を捨て去ることは 何せ ゆるゆるぬるぬるなものですから、そこまでは出来ない。自尊心はふくらみ続けます。
自分をプラス方向には肯定できない代わりに、どんどんマイナス方向に否定していく。しかし それは自尊心を捨て去る行為ではなく、単にベクトルがプラス方向かマイナス方向かの違い。むくむくと肥大していく。思春期なんか よけい自意識過剰になりますしね。
結果「自分なんてどうでもいい存在」ということを「肯定」するという言葉にするとややこしいですが、要は自尊心を守る反応。
自尊心を守る行動
例えば 向こうは覚えていない可能性が高いけど自分は覚えている人とすれ違う場合に
「あの人は私を覚えていないからあいさつしても迷惑だろう…」
これって相手側に立っているようで「相手に忘れられている反応を見たくない」自尊心を傷つけたくない防御反応。マイナス方向にふくらんでいるからメチャクチャ傷つきやすいうえに傷つく範囲が広い。
今は「相手に無視されたと思われるほうがイヤだし あいさつなんて知らない人同士でもするんだから とにかくしとけ」と思うようになりました。
他人にとって自分は他人
大人になるにつれ 「他人にとって自分は他人」をちゃんと実感して 「自分に好意的な他人を否定的にとらえる人間はそんなにいない」と考えられるようになったからです。
それと子どものころよりは自分を認めてあげられている気はします。自分のなかで他人にどう思われるかより自分の意見を尊重している という感覚があります。
自尊心が多少しぼんだのか ふくらんでいるけれど上手くコントロールできるようになったのかはよく分かりません。
でも「これは謙虚とみせかけて自分が傷つきたくないだけだな」と区別はつくようになりました。
自分が傷つきたくない場合はたいてい相手が返しに困る
「そのワンピース似合うね!」
「いやー私なんてスカート着ても似合わないんだけど せっかくもらったから…」
「…」
コミュ強者は「そんなことないよー!似合うよー!」とたたみかけてくれるでしょうが 大体は「なんか ごめんね 変にほめちゃって…」と困ってしまいます。
相手は自分の自尊心なんて知ったこっちゃないのですから素直に「ありがとう!」
変な自己分析をしているほうが自分を卑下しているようで自分だけを肯定し守っていることにつながるのです。
自分自身への戒めとして書きなぐりました、最後まで読んでくれて本当にありがとうございます。
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