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ひと交差点

たけしと生活研究会

友人に今、重度知的障害の人と一緒にシェアハウスで暮らしているよ~というと、やっぱり大抵おどろかれる。たけし文化センター(以下たけぶん)のように、障害のある人と観光客が一緒に暮らせるシェアハウスを提供しているところは、私も他に聞いたことはなかったので無理もないと思う。


実際きつくない?とも聞かれるので、実際のところを考えてみた。


確かにちょっと、気になることはある。たけしの食べこぼしが多いので床が汚れやすい。同居人がトイレを我慢できなかった時、リビングに匂いが漂うことがある。週に2回ほどシェアハウスに泊まっている太田燎君(おおた先輩って呼んでいるんだけど)のいびきが全人類最強クラスのごう音だ。でも、このくらいのことかもしれない。

部屋の汚れや匂いに関しては、(子育てしたことないので恐縮だけれども)これくらいのことは赤ちゃんがいる家庭でもあるようなことだと思うし、すごい気になるかといえばそうでもない。ヘルパーさんがすぐに掃除しているし(ありがたい)。いびきに関しても、どんなシェアハウスに住んでも、1人くらいすごい人はいるだろと思うので、これも仕方ないよねと思っている。というか、いびきがすごくて眠れないときにこそ、私はエッセーを追い込んで書いているので、何なら感謝している。根本的に1人でいるのが好きな性分なので、たまに人疲れすることはあるけれども、そういう時は自室にこもって寝ている。超、頭をひねったけれども、気に掛かる点は以上だ。

そんなことより、やっぱり結構おもしろい。
なんでおもしろいのかと言うと、ここは人の交差点になっているからだと思う。

まず、同居している重度知的障害の人たちがおもしろい。おもしろいという言葉が適切なのかどうか分からないけど。


同居人3人のおもしろさを一度に語ると文字数が膨大になってしまうので、今回は太田燎君の魅力を語るだけにする。彼もたけしと同様、知的障害の程度が重く、しゃべることができない。なので、彼から正確な体重は聞いたことないのだけど、100キロはゆうに超えているのであろう巨漢だ。


というか、横綱だ。彼の悠然とした態度が、そう思わせる。
例えば、巨漢だから食べるときはがっつくのかなと思ったのだが(偏見)、食べ方がめちゃくちゃきれいだ。彼が、その日の5食目くらいにあたるであろう夜食の一平ちゃんを食べているとき、私は感動した。小さなキャベツから一つ一つ、ゆっくりと丁寧に食べていた。ちなみにハンバーガーを食べるときは、バンズ、チーズ、レタス、ハンバーグ、バンズと一枚一枚食べるらしい。

エッセー④画像1


(一平ちゃんを味わい深く食べるおおた先輩)


そして、基本的に体勢を変えない。リビングでは座禅を組むようにドシンと座っているか、片肘ついてぼーっとしているかだ。完全に仏像のそれである。たまに動くのだけれど、熱心に床のにおいを嗅いだり、タオルを片手に空中に何を描いたりしている。なんだか彼に入信したくなる。そのうち、「ちょっとお体触れさせて頂いてもよろしいでしょうか…」みたいな気持ちになり、私がそっと手の甲を彼に向けて腕を伸ばすと、同じく手の甲をのばして重ねてくれる。ああああ、ありがとうございます。彼のこういう所が、私がおおた先輩と呼んでしまうゆえんである。(実際は私の年下らしくてびびっている)

エッセー④画像2


(リビングに鎮座するおおた先輩)


まあ何が言いたいかというと、おおた先輩たちは、見ていて飽きない。言葉で伝えられない面がある分、今の手の動きの意味は何でしょう…とこちらに何か投げ掛けられている気がして、考え出すと止まらない。あと、言葉のコミュニケーションは難しくても、おおた先輩やたけしは嫌なことはダイナミックに伝える。例えば、自分の寝るタイミングじゃないときに、ヘルパーに寝室に誘導されそうになると、おおた先輩は巨体で地団駄を踏むし、たけしは地べたに座り込んでストライキみたいなことをする。私は気楽な同居人なので、「おお、必死の抵抗だ…がんばれ…」と前のめりに観察してしまう。


さらには、日替わりで彼らの支援に入るヘルパーの方々と話すのが楽しい。

シェアハウスに住む重度知的障害者の3人は、みんな「重度訪問介護」という在宅生活を支援する福祉サービスを活用している。このサービスを利用できるのは、常時介護が必要な重い障害のある人たちに限られる。ヘルパーが自宅に来て、入浴、トイレ、食事などの介護、さらには掃除洗濯などの家事全般の援助もする。


担当のヘルパーは日々入れ替わるので、同居人は3人といえども、私とこの1カ月暮らしを共にする人たちは、もっと多い。仕事は同居人が寝る午後9時ごろには一段落する。その後、ヘルパーと話し込むこともある。


ヘルパーの方々は性別も年齢もバックグラウンドも本当にバラバラだ。ずっと福祉畑を歩んでいる人もいるし、元パチンコ店の店員や元自衛官、大学生のアルバイトもいる。どうしてヘルパーの仕事にたどり着いたの、とか、障害者と正面で向き合うって実際どう?という質問をついつい飛ばしてしまって、考え込んじゃって、夜がふける。(いや、軽く浜松のおいしいご飯屋を聞くだけの時もあるのだけど)


そして、ありふれた表現になっちゃうが、私はこの出会いに感謝している。たけしやおおた先輩たち同居人のおかげだなあと思う。


同居人のタレント性ってこういう所だ。「重度知的障害者と一緒に住むことができる」という前振りがなければ、私はそもそもシェアハウスに1カ月は住まないだろう。重度知的障害者の彼ら(と周りの支援者や親が)が、葛藤はあったにせよ自立生活に挑戦し、その興味深いライフスタイルをありのままさらけ出しているおかげで、このシェアハウスは私のような人間を呼び寄せている。そして居着かせている。支援される人/する人/他者が偶然に出会う「交差点」として機能している。彼らがここのヌシで、ハブだ。

しかし、気楽な立ち位置の私がおもしろい、などと言って、全く失礼な話だと思う。そうはいってられない場面もあるのだ。たけしたちが、原因がよく分からず眠らないとか、食べない、みたいな状況に陥っている時、マンツーマンで支援しているヘルパー側はちょっと困惑する。


そういう時、私はなにしているかというと、ほほ笑んでいる。あんまり意味なさそうだが、これは場の雰囲気をできるだけ壊したくないと願っている私の、経験則から来る無意識の動きで、思わずやってしまっているだけなので許してほしい。
でも心のどこかで、奥の方で、この不遜の笑みが役立ってほしいなと願っている。マンツーマンで支援している相手が、あまりにも自分の思いと違う動きをすると、どうしたってヘルパーもイライラしてしまうことはあると思うのだ。私だったらある瞬間にカチンとくると思う。でもそういう時、他人が見ているぞと思うと、ちょっと冷静になれそうではないか。


介護の現場を人が交差する場にするのは、同居人にもメリットだろうと思う。ピンチの時、違う人の支援に入っている別のヘルパーが助け船を出したら、すんなり解決することもある(しないこともあるけど)。シェアハウスならではの連係プレーが作動する。人の相性は分からないものだ。言わずもがなだが、私がほくそ笑むよりはよっぽどいい。

ここでシェアハウス事業が始まって、まだ1年足らずで、同居人もヘルパーの方も慣れた頃とはいえど、まだ試行錯誤の途中だ。同居人はたまに実家に帰りたくなりながら、この場所でがんばっている。ヘルパーも親も、運営するレッツの職員も、そしてゲストの私も、重度知的障害者の「その人らしい暮らし」って何だろうと、この交差点で考えている。


そんな考える交差点をつくりあげているのが、重度知的障害者自身のタレント性なのだから、私はなんだか感服してしまうのだ。

ライター:トモコ
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たけしと生活研究会
重度の知的障害のある「たけし」さんは現在23 歳。「たけしと生活研究会」では様々なゲストとともに「生活」「暮らし」を考えていきます。ともに住む、ケアだけではない関係性など、重度知的障害のあるたけしさんの生活を考えることは、私たち自身の暮らし方、生活を考える機会でもあります。