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君たちは着ぐるみに入ったことがあるか。音楽教室アルバイトの思い出。
エッセイ。今回のテーマは「学生時代に体験したアルバイトでの出来事」です。皆さまは着ぐるみに入ったこと、ありますか?
はじめに
音楽教室のアルバイトは「何でも屋」だ。
体験レッスンの案内、申込書の記入方法の説明、先生への諸連絡、生徒名簿の管理、教室のレイアウト変更(大量のエレクトーンの移動)、レッスンをボイコットした子供へ本の読み聞かせ、テキストや楽器備品の販売、発表会のステージマネージャーといったいかにも音楽教室らしいことから、エアコン・トイレの掃除、近隣のアパートやマンションへのポスティング、連絡が取れなくなってしまった月謝未払いの生徒の調査(登録住所に住んでいるか、電気メーターは回っているかの確認)など、一部の業務は別のアルバイトとして成立しそうなものまで多岐にわたる。
学生のうちに幅広い業務内容に触れることができたのはとても良い経験になったのだが、その中でも僕が体験した、印象深い事件について今回は紹介したいと思う。
音楽教室のアルバイトに出会うまで
大学1年生の秋頃から、好きな先輩の真似をして日本で2番目に忙しいと言われるファミレスの店舗で働いていたのだが、キッチンで延々とパンケーキを焼き続け、時々パートのおばちゃんから「私たちは生活がかかっているから。のんきな学生のあなたとは仕事の重みが違う。」と理不尽な一言をいただく生活にも少しずつ嫌気がさしていた。
心の中で立てられた中指は再び手のひらの中におさまることはなく、翌年の春には退職して新たな仕事を探すことにした。
インターネットであれこれと求人を見ていたが、なかなかいい仕事は見つかることがなかった。そんな時に偶然見つけたヤマハ音楽教室の「アルバイト募集」の貼り紙。大学から歩いていける距離ということもあり、すぐに応募することにした。
大学合唱団で日中の大半の時間を音楽に溶かしていて、子供と遊ぶのが好きな僕のような人間にとって、音楽教室で働けることはこのうえない喜びである。こんな優良求人が身近に転がっていようとは。
早速、アルバイト志望であることを室長さんに伝えて「母親が昔、ピアノの先生をしていたので親近感もあって…」と話をしていたら、「履歴書は今度でいいので〜」とその場であっさり採用されてしまった。
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その機会は突然に
音楽教室での仕事内容は先述の通りである。嫌な顔をせず振られた仕事をこなすものだから、あれもこれもと新しい業務を任されていくわけなのだが、一番印象深いその仕事もそんな感じで唐突に振られることとなった。
その日は未就学児向けのイベントを行うということで、午後から音楽ホールに向かった。会場では音楽教室・英語教室のキャラクター、ぷっぷるとホッピーがエレクトーンの先生と一緒に楽しげな雰囲気を作っている。
ステージは2部制で、後半からステージマネージャーをする予定だった僕はぼんやりとその様子を眺めていたのだが、第1部が終了して控室に向かうと慌てた様子で社員さんが声をかけてきた。「武井君、着ぐるみいける?」
着ぐるみに入ったことなどもちろんないのだが、「これは飲みに行ったときに話のネタにできそうだぞ」と思い、二つ返事でオッケーした。そもそもただのアルバイト。拒否権などないのである。
バトンタッチの事情を聞いてみると、重量のあるホッピーの頭がステージ中にずり落ちてきてしまい、それを着ぐるみの中の人が顔の前面で両手で支えるものだから、子供たちにホッピーが悲しそうな顔をしているように見えてしまうとのことだった。
ホッピーを担当していたおばちゃんは疲労困憊。そこで若くて体力だけはある僕に白羽の矢が立ったということである。
中に入るだけなら簡単ではあるが、先ほどのステージでホッピーがどんな動きをしていたかを一部始終観察していたわけではない。困っていると「まずはこれを見て」とアンパンマンの「サンサンたいそう」のURLが送られてきた。
幼少期、極端な恥ずかしがり屋だった僕が、アンパンマンがやってきたイベントで一緒に踊れなかった曲である。人生どんな巡り合わせがあるかわからない。十数年ぶりに訪れたリベンジの機会に向けて黙々と練習をしていると、2曲目についてのレクチャーが始まった。
2曲目は「ミルキーウェイ(天の川)やシューティングスター(流れ星)がどうとか」という英語の曲で、歌詞に合わせて踊ってほしいということだった。
ここは英語教室のキャラクターであるホッピーの本領発揮と行きたいところであるが、この曲には肝心の動画がない。教材がないので練習のしようもないと伝えると、社員さんが客席の後方で踊るのでそれに合わせて踊ってくれるとのこと。
確かにその位置ならば、(基本的に)ステージを見ている子供たちや保護者に目撃されることなく、僕がカンニングをできるということである。話を聞いて、あまりに完璧な対策に感心してしまった。
最後の曲は「パンダうさぎコアラ」、あの有名な童謡である。こちらの振り付けはそれぞれの動物のポーズをするだけなのでとても簡単だ。
ただ、ホッピーはうさぎのキャラクターなのでうさぎの耳のポーズをするのも変だと思い、「うさぎの歌詞では自分を指差して良いですか?」と聞いてみた。すぐに許可がおりる。うさぎの時だけやたらと自己主張の激しいホッピーの誕生である。
こうして全3曲のセットリストが完成した。
そして着ぐるみに入る
初めての着ぐるみは想像以上に動きにくかった。巨大なかごのようなパーツに自分の頭を突っ込み着ぐるみの頭部を固定するのだが、安定感が心許なくひとつひとつの動作に気を遣う。
踊りの練習も一通り済ませたが、人間体では表現できる動きも、可動範囲の少ない着ぐるみ姿ではほとんど表現できなかった。こうなると大事なのは雰囲気だ。
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着ぐるみに入ることになってから約1時間。いよいよ第2部のステージに向かうことになった。視界は狭まり、図体は2倍近くになったのでちょっとした道を通るのにも細心の注意を払わなければならない。
ステージわきは備品も多く、もたついていると「大丈夫?」と優しく声をかけてくれる人がいる。1時間前までこの着ぐるみに入っていた先代ホッピーのおばちゃんだ。
「おいで」といつの間にかおばちゃんに手を取られステージに入場。手ぶくろ越しに伝わる、あのなんとも言えない温もりは忘れられない。
着ぐるみ内が暑いことを除けば、約30分のステージは想像よりもあっさりとしていた。「ホッピー!」と先生や子供たちに名前を呼ばれれば、リアクションをして、セットリストの曲に合わせて踊っていくだけ。
そこに自我はなく、淡々とキャラクターを演じていく。時々「中に誰が入っているのー?」という無邪気な声が聞こえたが、今の僕はホッピー以外の何者でもない。無視だ、無視。
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安定感の低い頭部が吹っ飛んでしまう悲劇に見舞われることもなく、無事ステージは終わった。ほっとしていると社員さんが駆け寄ってくる。「武井君、写真撮影いける?」
これまた二つ返事でオッケーした。繰り返しになるが、僕はただのアルバイト。拒否権などないのである。
さよなら、ホッピー
子供たちとの写真撮影が終わればイベントも終了となる。スーツに着替えてステージ上のエレクトーンをはじめとした備品を運搬用のトラックに運び込んでいく。
着ぐるみはどのように片付けるのかと考えていたら、目の前に人間が数人入れそうな棺桶みたいな箱が用意された。よく見たら「着ぐるみ保管用」とそのままの文言が書かれたテープが貼ってある。とにかくバカみたいに大きい。
箱にぎゅうぎゅうと自分が来た着ぐるみを詰め込みながら、なんだかお葬式の納棺みたいだなと思った。数時間の付き合いではあったが、一生懸命仕事をした仲である。別れはどこか名残惜しい感じもする。
社員さんに「(着ぐるみがここに詰め込まれるのは)なんだかちょっとかわいそうな感じもしますね」と言ったら、「武井君、一緒に入る?」と返された。ないはずの拒否権を発動し、丁重にお断りしておいた。
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