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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-3

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▼ 実は私もなんだ……

 毎年夏休みになると、サークルの天体観測合宿が軽井沢であるのだが、その軽井沢のスキー場で夜の観測会をした後のことだった。

 カメラや望遠鏡など後片付けを済ませて宿舎に戻る途中、和美がレンズの蓋を落としたから一緒に探して欲しいと言ってきた。

 そして夏の濃い緑が香る、夜のスキー場の斜面を2人で登っていた。シーズンオフで微動だにしないはずのリフトが、風に微かに反応する真夏の夜のスキー場。

 そこは無数の星に照らされ、漆黒とは無縁のほのかな明るさに覆われていた。右手に見えるリフトも終点までもう少しというところまで登って、和美は息を弾ませながら、振り返った。

 「本当はもう少し星を見たかっただけなの。一人じゃ怖くって」

 どうりでそそくさと歩いていたわけだ。探しながら登る私を気にもせず、どんどん歩みを進めていたのは、彼女なりのベストスポットを目指していたからにすぎなかった。そうして、2人並んで少し湿り気のある、雪のない斜面に腰を下ろし、何気ない話しをしていたのだが、和美は気の無い返事を繰り返していた。そんな空気で必然的な沈黙が訪れた頃だった。

 「溝口くんはキスとかしたことある?」

 私の胸には太い杭が打ち込まれた。夜空を見上げ「星がキレイだ」とか、まさに上の空で言いながら、いつ言い出そうかとずっと考えていた。しかし、その言葉を和美から言われてしまい、体も口も思うように動かなくなった。

 何からすればいいのだろう、でもそんなことを考えている余裕もない。いや考えることがもうできなくなっていた。ただ、目の前に広がるような星空、非日常的な空間だったからなのか、一瞬の沈黙の後に素直に答えることができた。

 「実は私も、なんだ……」

 私の答えに安心したように和美は言った。

 「初めてキスをする場所は、大好きな人と星空の下がいいなって……」

 夏とはいえ、軽井沢の夜風は冷たく感じた。

 「寒くなってきたね」

 和美は口実をつぶやき、寄り添う私の左腕に手を回してくれた。

 それまでにも和美とのキスは何度も妄想したし、チャンスはあった気がする。しかし、いつもうまくいかなった。ある時は友人と飲みに行った際に「次こそは!」と願掛けとばかりに「キスの天ぷら」を注文し、勢いよくほおばった。

 当然そんな願掛けに効果はなく、いざ和美を前にその唇に視線を注ぐたびに、スキー場を囲む杉の木のように直立不動になってしまうのだった。
 こんな情けない男に和美はしびれを切らしていたのかも知れない。でもそれは私だって、いや私の方こそなのだが、この夜は今まで何度も唇に乗りかけては、滑り降りていった言葉を、ついに吐き出すことができた。

 「キス、する?」

 「……うん」

 力の入った細い肩、星に照らされた睫毛。髪の香り。そして柔らかい唇。こんなに甘い気持ちにさせられるものが、この世に存在するのだと初めて知った夜だった。



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▼ デビュー1年目の思い出

 和美と過ごす時間以外、他にはもう何もいらないと心の底から思えたものだ。こうして和美と2人の世界を満喫するようになると、見える景色はがらりと変わった。

 心に吹く追い風に乗り、褒められた言葉じゃないがついに「大学デビュー」を果たしたのだ。そしてデビューの特典は想像以上だった。

 友だちとの付き合いも上手くなったし、酒も嫌いじゃないから、酔うとずいぶんおしゃべりができた。標準語でも冗談が言えるようになった。時間に比例して東京に染まっていく感覚が心地よかった。

 順風満帆の「東京ライフ」だと思っていた。

 しかし、男なんて単純なもの。それも繰り返すほどに慣れてしまう。

 気づけば上京以来、3年の月日が流れた昭和58年。22歳になろうとしていたとき、和美とのキスにはすっかり飽きていた。


1-4へつづく

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