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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-4

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和美は何も悪くない

 1983年(昭和58年) 春

 大学4年になった春、私は父のコネで医療機器メーカーに就職を決めていた。あとは卒業のための論文さえ提出すればいい、人生で最も気楽な時間を堂々と持て余した。

 そんな私とは違い、和美は弁護士を目指していたので司法試験の勉強があった。しかし和美は勉強したそうなのに、私がいるときはあまりしようとしなかった。

 私は和美と付き合いだしてから、荻窪にあった和美の部屋でほとんど暮らしていた。間取りは今で言う「1K」の狭いアパートだったから、私がいれば集中して勉強なんかできるはずもない。

 だから彼女は講義が終わると、閉館まで大学の図書館で勉強して、私は和美の帰りを待つことが多くなった。潮時なのはずいぶん前にわかっていたが、和美といると、いや和美と生活するのが楽だったから抜け切れなかった。

 一日に対する執着が違った。和美は毎日を生産的に過ごしたが、私は毎日を浪費して過ごした。こうして2人の歯車が少しずつ狂いだしたのだ。その原因は私だった。ただ変わりばえがなく消費される毎日の中に、私は勝手に和美も埋め込んでいたのだ。和美は何も悪くなかった。


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荻窪と博多はどちらも遠い

 そんな和美と付き合ったおかげで得たものに星の知識があった。

 付き合う前に何冊もの天体に関する本を読んだうえ、サークル活動もつづけてきたので、天文学者のように弁を打つことはできなくとも、何万光年先にあるとされる星や宇宙に「ロマン」という得たいの知れないものを感じられるようにはなっていた。

 だから暇つぶしにアルバイトを探しはじめたとき、渋谷にあるプラネタリウムの従業員の仕事を見つけると迷わず応募した。和美も悪い顔をしなかった。

 そして難なく採用された私は、当初、週に2日程度、それも半日出勤すればいいはずだったが、働きだしてまもなく、急に人手が薄くなり、出勤日数も勤務時間も増やされてしまった。話しが違うと言えばそうなのだが、バイトで忙しくなるのは正直好都合でもあった。なぜなら必然的に和美といる時間を減らせたからだ。

「渋谷に近い方がいいし……」

 バイトを翌日に控えると寮に帰るようにした。和美の家でほとんどを過ごしていたので、寮の自分の部屋には生活感がなかった。和美の部屋に置き去りになっている自分の服や荷物を取りに行かなければと思うのだが、電車で30分ほどの荻窪を、故郷・福岡のように遠く感じるようになっていた。


1-5へつづく
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