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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-5

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悪いことをしてなくても「すいません」

 「しばらくは望月さんに色々教えてもらって。あとで紹介するから」

 アルバイト初日、支配人が客席のドアを開け、目に入ったドイツ製の巨大な投影機が圧倒的な存在感を放っていた。この日は新しい番組の上映初日だったので、解説員が客入れ前にリハーサルをしていると支配人は話してくれた。

 が、私はその時、投影機のそばに立つ背の高い女性の姿に、目を奪われていた。その背の高い女性の、星空を見つめる姿はいまにも空に吸い上げられそうにも見えた。

 「ちょうどよかった。夏奈恵(かなえ)ちゃん、今日彼のことみてくれない?」

 支配人は、その女性に声をかけてから、私に向かいなおし「彼女が望月さん、ね」と付け加えた。
 「夏奈恵ちゃん」と呼ばれた彼女は「はーい、わかりました」と低い声を出したが「新人の世話役」という面倒を背負い込んだことを嘆く表情は、薄暗い中でも容易に想像できた。だから私は悪いことをしたわけでもないのに「すいません」と頭を下げたものだ。これが夏奈恵との出会いだった。
 
 夏奈恵は細身で背が高く、凛としていた。そのうえ髪は首筋が見えるほど短かったから顔がずいぶんと小さく見えた。そのくせ目は大きく、化粧っ気はないが整えられた顔立ち。つまりは美人だった。

 バイト初日から数日は、金魚の糞のごとく夏奈恵の後ろについて仕事を教わった。私と夏奈恵は、歳こそ同じであってもバイト先では先輩、後輩の間柄。仕事でわからないことを訊ねても、夏奈恵は必要な答えをテキパキと話し、にこりともしてくれない。

 おかげで「どこに住んでいるの?」なんてことすら訊ねることができずにいた。だからなのか、捨てたつもりでいた女性に奥手な性分が全開となってしまい、夏奈恵は私には敵わない相手に見えていたのだ。


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解放区のストレス

 夏奈恵は高校を出ると進学せずアルバイトをしながら一人暮らしをしていた。プラネタリウムではすでに2年ほど働いており、職場の大人たちに認められ、渡り合い、信頼されていた。同じ年の子のそんな姿は新鮮だったし、もっと言えば圧倒されていた。

 そんな夏奈恵より仕事のできない名門の大学生は、プラネタリウムの同僚たちから「ガリ勉くん」と呼ばれ、からかわれたものだ。しかし夏奈恵は違った。業務的に私のことを「溝口さん」と呼びつづけた。とはいえ、夏奈恵の口から私の学歴に触れた発言がなかったわけじゃない。

 仕事中の会話の節々に、

「こんな簡単なこともできない? 一流の大学行ってるのにね」

「大学行ってるのに一般常識あるの?もっとまわりのこと考えて仕事してほしいんだけど」

 といったキツい言葉もよく言われたものだ。

 いくら夏奈恵が美人であっても、そのときどきのコンディションによって、腹が立つことも、落ち込みそうになることもあった。
 それでも夏奈恵を憎む気持ちは湧き上がらなかった。むしろ、余計な気をつかわず、思ったことを正直に言葉にしてくれることが気持ちよくあったくらいだ。なぜなら同じころ、和美はいつも私に気をつかっていたからだ。

和美は一度だって、

「勉強の邪魔だから静かにしてて」

などと、部屋でダラダラ過ごす私を邪魔者扱いすることはなかった。それは優しさであったが私には重かった。

 だから和美の優しさという「重石」から解放される場所がプラネタリウムだったのだ。しかし、バイトを始めて1ヶ月ほど過ぎた頃、その解放区で私は新たな「重石」を拾うことになったのだ。


1-6へつづく
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