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Books, Life, Diversity #34

今回も、前回に引き続き思弁的実在論関連の本を紹介していきます。

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篠原雅武『「人間以後」の哲学―人新世を生きる』講談社選書メチエ、2020年

篠原氏は思弁的実在論というよりも人新世に関して優れてユニークな論考を発表し続けているイメージが私のなかにあったのですが、そもそも思弁的実在論と人新世とはその背景からして深く関連しており、実際にはその双方をつないで優れた思想を紡いでいる方です。また篠原氏が日本に紹介したティモシー・モートンはグレアム・ハーマンと並びOOOの代表的な論者の一人であり、彼のハイパーオブジェクト(例えば気候変動など、巨大すぎて人間的尺度では捉えきれない事象)は人新世を考える上で重要な概念です。個人的にはメイヤスーの思弁的実在論はどうも抽象的でとっつきにくく、モートンや篠原氏の思想は、環境哲学をやっている私からすると問題意識を共有できる、読んでいて楽しい本です。

もしかしたら、世界はすでに壊れてしまっているのかもしれない。問われているのは、次の点である――生の領域としての世界とはいかなるものか、エコロジカルな危機の状況のもとで、これが不確定になり脆弱になるとはどのようなことか、そこで共存し、一緒に生きていくことは、いかにして可能になるのか。(p.44)

ここで世界とは、ただ私たち人間が認識し理解しているだけのものではありません。むしろその外にあるものこそが現実でさえあります。それは「世界における不可知なところ」(p.146)であり、私たちは私たちの認識する世界に残された、ひび割れたコンクリートや死者たちの記憶、あるはその他すべての消え去ったものたちの痕跡、すなわち「溝の向こうに行ってしまって不在になったもの[中略]が溝のこちら側に残したもの」(p.146)を通して、それを微かに感じ取ることができます。もしその痕跡を単なる幻想としてしか理解しないのであれば、それは「そう語ること自体、過ぎ去ったものが残す痕跡の繊細さを踏みにじる暴力的な単純化でしかない」(p.96)という彼の言葉には、私自身がハーバーマス的な言語的コミュニケーション世界からは取りこぼされてしまう別のコミュニケーションに関心を持ち続けてきたこともあり、強く共感します。そして人新世の時代とは、私たちがもはや痕跡の残された表面だけでは生きることが不可能になった、溝の向こうのリアルについて考えざるを得ない時代を意味しているはずです。そのとき、これまでの人間理解はもはや意味を持たないでしょうし、それでもなお人間が生きるのであれば、私たちは人間を語る新たな言葉を生み出すより他はありません。

本書は各章のタイトルを見ていくと、メイヤスーやモートン、ハーマンなどが順に現れ、思弁的実在論の紹介なのかなと思われるかもしれませんが、本書に登場する思想家が柄谷行人や西田幾多郎までも含んだ多岐にわたることからも明らかなように、まったくそうではありません。実際にはそれらの人びとの議論に触発されつつ篠原氏が独自の哲学を展開していく、繊細かつ自由でのびやかな思想の書です。

人新世については考えれば考えるほど暗くなるし、そのような時代における哲学の役割についても思い悩むところがあります。しかし本書のように、既存の言説を繰り返すのではなく、現実を踏まえつつもどこか明るさを持って果敢に思考を展開していく試みには励まされます。人新世や思弁的実在論って私たちの生に何の関係があるのかなとお思いの方にはとてもお勧めです。

本当はほぼ同時期に出版された篠原氏の著作『人新世の哲学―思弁的実在論以後の「人間の条件」』(人文書院、2020年)も紹介するべきなのですが、実はまだ手に入れていないので、これはまた機会を改めて。しかし思弁的実在論が脱人間中心主義であるのなら「人間以後」の哲学とはまさに思弁的実在論ですし、従ってこの二書は思弁的実在論と人新世をループにしてつないだ双子の書だとも言えるでしょう。次回ロカンタンに行ったら買おうと思っています。

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篠原氏とティモシー・モートンの思想については次の本がお勧めです。巻末には篠原氏によるモートンへのインタヴューも収録されています。

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篠原雅武『複数性のエコロジー 人間ならざるものの環境哲学』以文社、2016年

またモートン自身による著作としては以下があります。

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ティモシー・モートン『自然なきエコロジー 来るべき環境哲学に向けて』篠原雅武訳、以文社、2018年

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思弁的実在論とアートの関連ということで、ここではとりあえず一冊だけご紹介します。

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オラファー・エリアソン『ときに川は橋となる』東京都現代美術館監修、フィルムアート社、2020年

オラファー・エリアソンの作品と活動はジャンルで表現するのがちょっと難しいのですが、非常にざっくり言えば自然科学とアートの境界線上で気候変動や持続可能性を問う作品を発表している、現代を代表するアーティストの一人です。2017年には横浜トリエンナーレにも参加しています(文字化けしていますが下記のリンクからそのときの写真を見ることができます)。

本書は、2020年に東京都現代美術館で開催された展覧会「ときに川は橋となる」に関連して出版されたオラファー・エリアソンの作品集です。

美しい図版だけではなくエリアソン自身のテクストも多く収録されており、ここでは特に、上記のモートンとの対話「未来に歩いて入っていったら歓迎された―オラファー・エリアソンとティモシー・モートンの対話」が興味深いです。この対話がなかなか面白く、モートンの思想とエリアソンのアートがどのように響き合っているのかが良く表されています。そしてそれは単に彼ら二人の問題ではなく、人新世という(脱人間中心主義に直面せざるを得ない)固有の時代における哲学とアートの響き合いでもある。

いま現在、ぼくらはエコロジーの意識が高まる時代に入りつつあって、じきに人間存在は、計算や政策や倫理や哲学やアートなどなど、あらゆることに非人間存在を含めていかなくてはならなくなります。(p.117)

そんななかでアートはどう変わっていくのか、どのような表現の可能性があるのか? 興味のある方にはお勧めです。

なお、エリアソンのオフィシャルサイトもとても面白いので、こちらもぜひご覧ください。

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以下、里山社様によるオンラインで本を購入できる書店のリストです。


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