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悲観的な未来が明るくなった話


学生時代、周りの友人が就職活動に追われ始めた頃、僕がこれから就く仕事は何歳までできるんだろうと考えた。

何歳までできるか?

って聞かれたら、それは死ぬか体が動かなくなるまでっていうのが理想だが、でも現実は

自分の仕事に仕事として需要があるまで

となってしまう。


しかも仕事は需要だけではなく、年齢も関係してくるものだ。例えばプロ野球選手が「若返り」と言われる上からのお達しによって、若手選手よりも成績が良かったとしても解雇されることもある。

人生100歳時代と言われる時代にはとても辛い事実。


僕がそんなことを考え始めた22歳くらいの時、建築学科にいた僕がまず調べたのは大手ゼネコンやハウスメーカーなどに定年退職があるか、だった。知り合いに大手ゼネコンで働く人がいたので聞いてみると当たり前に定年退職はあるとのことだった。

そしてアトリエ系と呼ばれる個人で設計をされている方で教育機関には関わっていない(大学教授など)、純粋に設計だけでご飯が食べられている人を調べようとするとなかなか分からない。

これはメディアに出てくる人はみんな何かしら教育機関に関わっていることが多く、探すことが難しいからかと感じていた。


でも社会人になってアトリエ系の設計事務所で働くようになってから感じたのは、60歳を超えても、年金や教育機関に頼らなくても設計だけで生きている人はなかなか稀、という事実。


まぁ確かに自分が一生の買い物である自邸を建てるとしたら、同じメディアに出ていない建築家であれば、70歳の建築家よりも40歳の若い感覚を持った建築家に頼むかなとも思う。


仕事には目に見えない年齢制限がある


そんなことを考えていたら未来に対して不安だらけになった時期もあった。


そんなある日、テレビから手を震わせながら美女を横に従えて、自分がデザインしたファッションについて熱く語る老人が目に飛び込んできた。世界的なファッションデザイナーだ。


これだ!


年齢に関係なく、自分が熱意を持ったことを仕事にし、そして需要を生む。これこそが僕の人生デザインの目指すべきあり方だと悟った瞬間だった。


その出会いから僕はその老人が歩んだであろう人生を想像した。

苦労もあっただろうが、でも自分の信念を貫いたのではないか。認められるためにたくさんの努力をしたのではないか。人との縁で仕事が広がったこともあったのではないか。自分が関わったデザインに愛情を注いできたのではないか。

その世界的ファッションデザイナーのことをたくさん考えるうちに、だんだんどうすれば老人になっても生きがいをもって生きていけるのか分かるように(わかった気に)なっていた。


今からすぐに情熱を持つべき、というのは難しい。

でも、嫉妬してしまったり憧れている人が歩んできた人生を想像することは誰にでもできる。それを考え続けることで人はそこに向かって人生を歩み始めるのではないかと思う。


僕の手が震えるような老人になった時、情熱を持って何かについて話しているを願っている。


TAKEHANAKE design studio

竹鼻良文

TAKEHANAKE BRAND


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