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人とロボットを比較するという煩悩。笑

仕事柄、「人とロボットを比較する」ということがよくあります。どちらの方がよいパフォーマンスを出せるのかみたいな比較です。

今週は、ちょっといつもと違う比較があった、そんな話です。特に、なんのオチも知見もないコラムですので、ご容赦ください。

最近はロボットの分野でも「AI」が使われます。いわゆる、学習というやつです。ロボットにさせたいタスクを繰り返しながら、成功したり、失敗したりしながら、どのように動かすとよいのかをロボットが学習していくわけです。

当然ながら、最初はデータも少ない状況から始まるので、失敗することが多いわけですが、そんな状況に対して、
「自分の子供がこんなに失敗していたら、待てずに、教えちゃうと言うか、やっちゃうよね~」
みたいな話に職場メンバーの方となったんですよね。

自分自身のことを思ってみると、おそらく比較的と待つ方だと思うんですが、確かに自分の子供ならロボットほど気長に待ってられないなぁ~と思ったわけです。

子供とロボットの比較という話で言うと、情報推論的なことよりも身体的のが難しいという「モラベックのパラドックス」の話が良く出てきます。AIではプロの棋士とかに勝てても、1歳児ができる身体的な運動すらできないみたいな話ですね。

今回の話は、特定の子供と更に絞った上で、ロボットと比較するというケースで、なかなか考えたことがなかった内容でした。

今回ロボットだと失敗し続けるのは待てて、自分の子供だと待てない理由ははっきりとはわからないですが、自分の子供にはイライラの閾値が低いとか、そもそもロボットに期待もしていないとか、色んな要素がありそうです。


こんなことを考えていると、そういえば自分の子供を比較するなという話を保育園の入園式で聞いたなということを思い出しました。非核三原則ならぬ、『比較三原則』だそうです。

自分の子供を
1.兄弟と比べるな
2.他の子と比べるな
3.家の中と外の様子で比べるな
という教えでした。

なるほどなあ~、確かについつい比べてしまいます。。。
もっと本人の個性を見てあげないと!と思っていたわけですが、よくよく調べると、「比較する」ということは、仏教における煩悩の1つのようで、悟りの境地に達するまでに最後の最後まで残るものみたいです。さすが、仏教系の保育園だけあって、祝辞の背景にはちゃんと仏教の思想が織り込まれているのかと今更感心しました。

今回の件では、自分の子供とロボットを比較してしまいましたが、今後、万が一にも比較して、「ロボットでもできるのに、ちゃんとしないさい!!」みたいな怒り方はしないようにしようと思います。

4.ロボットと比べるな

比較四原則に追加しておきます。



ちなみに、みうらじゅんさんの「マイ仏教」という本の中でも、比較三原則が紹介されていましたが、そちらは「他人・過去・親」と自分を比較しないでおきましょうという話でした。

では、また来週〜。
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安藤健(@takecando)

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