見出し画像

九死に一生を得た事故が僕に教えてくれたこと


令和元年の12月13日の早朝、仕事場の近くからプリウスを運転して家に帰る途中、バイパスで8tトラックと正面衝突をしてしまいました。


病院に運び込まれた後、そのまま緊急手術。後に診断書をみると、外傷性クモ膜下出血、肺挫傷、左鎖骨骨折、胸骨骨折、左手首骨折、腸間膜損傷、直腸損傷、脾臓損損傷、左脛骨高原骨折、左膝蓋骨骨折 etc... という状態だったらしい。


手術は2度に渡って行われ、輸血は400mlのパックが20パック使われた。なんとか峠を越して手術は無事に成功。


意識が戻ったとき、極度の興奮状態で、暴れだしたため、鎮静剤でふたたび眠り、2日後、完全に意識が戻った。


鮮明に記憶に残っているのが、妻と妹が自分をのぞき込んでいる映像です。


自分は覚えていないが、意識が戻ったときに人工呼吸器がついており、必死に筆談で生命保険への加入の有無を確認していたらしい(笑)


事故の衝撃で、その事故の当日の記憶が飛んでしまい、混乱していたのですが、徐々に自分の当時の状況を教えてもらいながら何とか体も回復しました。そのときに、腸の回復を待つために、一時的に人工肛門になりました。


そして、ようやく人工肛門を元に戻す手術も終わり、晴れて一通りの治療が終わりました。


今回の事故を通して、本当にいろんなことを学ばせてもらいました。今日はその中でも、自分が一番強く感じたことをつづりたいと思います。


ありがとうの気持ちこそがすべての基本


小さいころ、よくご飯を残したとき、「農家の人が一生懸命つくってくれたんを残したらあかん!。」と怒られました。


みんな少なからずそんな経験はあるかと思います。もちろん、自分が生きていくうえで食べることは必要不可欠ですし、その食べ物は違う生物の命をもらうことで成り立っています。


ご飯は感謝して、ちゃんといただきますって言うて食べるんやで。


もしあなたがこう言われたらどう思いますか?

「そんなん当たり前やん。わかってるって。」

そう思う人がほとんどだと思います。


ところでみなさんは、ありがとうの対の言葉は知っているでしょうか?










それは ”当たり前” です。



自分は、自分の身の回りにあるもの、起こることすべて当たり前だと思っていました。


朝起きて、身支度をして、ご飯を食べ、車を運転して娘を保育園に送っていき、仕事に向かう。仕事では、嫌なこともしないといけなくて、人間関係に揉まれながら疲れて家路につく。現実逃避のように酒を飲み、酔っぱらって、次の日の仕事を休みたいといいながら眠りにつく。


そんな、当たり前が事故によって全部すっ飛んでいきました。


すると、身の回りにあったもの、起きていたことが全部”有難いこと”だということに気が付けました。


炊き立てのあったかい白ご飯がたべられること、自由に自分が思ったように体を動かせること、お酒を飲んで酔っ払えること、家族と何気ない会話をすること、笑えること、泣けること、怒れること…


そう思ったとたん、憑き物が取れたようにふっと肩が軽くなり、心が解放されました。そして周りの景色がすごくきれいに感じるようになり、一杯の水のおいしさを嚙み締められるようになりました。


自分は何に悩んでたんだろう、どうしてそんなどうでもいいことでくよくよしてたんだろう。そう思うほど、普通に生きているだけで幸せだということに気が付けたんです。


そのときから自分は生まれ変わることができました。


すべてのことに感謝をしながら、生きていく。これほど、楽しくて、うれしい生活はないなと思っています。


しかし、悲しいことに、これはどれほど人に言われたところで気が付かないと思います。自分で体感して初めてわかることでしょう。そして、気づけたとて、それがまた当たり前になると忘れてしまうんだと思います。


なので僕はこの当たり前が有難いことなんだと強く心に刻み込んで、忘れないように

これからの人生を楽しみたいと思います。























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?