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#挑戦してよかった ワーキングホリデー in Toronto

実は、カーネルがKFCを創り上げたのは65歳の時。
一般的には引退の年齢ですが、彼にとって年齢は全く問題ではありませんでした。

私は今「ぎりホリ」をしてます。
周りを見渡すと、語学学校行けばイタリアの中学生と同じクラス、日本人も大学生が一番多いです。
嫌でも「おじさん」「兄貴」的な感じに演じます。
それはわかっていたことでもありながらも、やっぱり遅いんだなとかも感じながら挑戦している毎日です。


年齢はただの数字


Age is just a number.

年齢についてカナダに来ると「Age is just a number.」とみんな言います。また、年齢を聞くことはどうやら失礼みたいなので、基本的には聞きませんし、聞かれません。

だから仲良くなり、年齢をみんなに言うと、いいリアクションが見れます。
特にアジア人は若く見えるみたいで、一度高校生とも言われたことあります。。。
嬉しいやら舐められてるやら笑

私なりになんで日本人は自己紹介にいれるほど、年齢を聞くのだろうと、それがなぜ失礼じゃない(女性は例外)ないのだろうと考えてました。

言語の問題

恐らく、「言語」が答えだろうと思います。
明らかに年齢の差を感じる場合、それは聞かれませんが、ある程度近しい場合は必ず「確認」します。

それは、年齢によって「敬語」を使うからだ。
年齢を聞くこと>年上へのタメ口
となる為、年齢を聞く失礼さより、年上の人にタメ口を使う方が問題になるからです。

これらの様に世界でも少数なルールがある不思議な日本
改めて、色んな国の人と話すと自分達の当たり前が海外では当たり前ではない事を知ります。

そもそも挑戦は後ずけだと思う

挑戦とは自ら認識して行うことはあまりないと思います。
なぜなら、必ず挑戦は美談的に話されることが多いので、その話は本人がうまく行ったこと、行ってる状態の時に使うと思います。

うまく行っている状態は恐らく、本人は挑戦や努力として感じておらず、それに没頭している、やらなければいけないことと集中しているからだと思う。
きっとそれを見た第三者やそれがうまく行ったときに自分が、あの時決断し、実行したことを言語化するときに使う言葉だと思う。

だから、「ぎりホリ」はまだ挑戦と言うのは早いのかもしれない。

挑戦したと言えるように

オーストラリアのワーホリが炊き出しに参加している日本人がいることを報じているニュースを見たりしています。
コメントは案の定燃えており、他人事でも思えないです。

ただ一つ言えることは、そこで生活しているだけ素晴らしいです。

頭から水をかけられ、5時間以上車の中で正座して中学生
先輩のヤキに耐えながら、朝の四時から雪かきをした高校生
毎朝吐くまで飲まされ、朝6時から朝練してた大学生
数字を詰められながら、真夏に何十件も飛び込みしてた社会人

それらを乗り越え、全国大学ランキングトップ10にも入ったし、社会人でも同期数百人の中で賞をもらったりした。
ベンチャーでも部門の人が全員辞め、人が異動しても、約1人で前年超える売上も出した。

大した人間ではないけど結構濃い人生を送ってきた自分が、今ワーホリで生活している人はすごいと思っている事はすごいと思っていいです笑

ただ、大学生が「大変だけど頑張ったんですよ〜」はぎり通じるとしても、私が同じこと言ったら、社会はそれを許してくれませんね。

だから、自分なりに目標をたてて毎日過ごしてます。
ちゃんと日本の社会に戻った時にこんなことしましたと言えるように。
そうなった時に自慢げに「挑戦してよかった」とまた書きたいと思います。

最後に

挑戦に年齢は無いと言われるように、今、この瞬間が一番若く、その1秒を逃す毎にしたいことの実現が1秒遠のきます。
限られた時間の中で生きることを与えられ、言葉を持ち、動くことができる形で生まれてきた以上、挑戦できる権利を持つことは最大の幸せなのかもしれない。

少し理屈っぽく、個人色が強い「挑戦してよかった」です。

良ければ、コメント、いいね待ってます!!
ではまた。


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