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林はるかインタビュー*チェロとの出逢いはシベリウス!?音色の可能性が無限に広がる魅惑のアンサンブル①

割引あり

オーケストラに室内楽にと幅広く活躍するチェリストの林はるか。子どもの頃に体験した「音楽教室でのアンサンブルが私の原点」と語る。チェロを始めたきっかけ、作曲家でピアニストの妹、林そよかとのデュオのこと、ピアノとのアンサンブルのコツなどを聞いた。


林はるか

チェリスト林はるか プロフィール

●はやし・はるか
大阪府箕面市出身。東京藝術大学音楽学部器楽科を経て、同大学院修士課程修了。第3回大阪国際音楽コンクール、第4回日本演奏家コンクール等に入賞。これまでにアルバムを多数リリース、最新盤は「癒しのチェロ〜ジブリ・ベスト」(2022.3、日本コロムビア)。東京・春・音楽祭、仙台クラシックフェスティバル、ショパン国際フェスティバルなどの音楽祭に出演。クラシック音楽を基幹としながら、メジャーアーティストのバンドサポート、他ジャンルとのコラボレーション、コンサート企画を行うなど、活動の幅は多岐にわたる。鉄道×音楽のライブショー「鉄子の音楽会」主宰。タッキー81.6みのおFM「DJカーニバル」、インターネットラジオOTTAVA「Presenter Program」ではプレゼンターを務める。
YouTubeチャンネル「おけいこクラシック」を主宰するなど、後進の指導・クラシック音楽啓発活動も行っている。2022年より箕面市特命大使。
https://lit.link/hayashiharuka

ライヴ情報

林はるか・林そよかチェロとピアノの名曲集 ~クラシックからジブリ・映画音楽まで~
2024年2月24日(土)OPEN 12:30 / 1st 14:00 / 2nd 15:20
※入れ替え制ではありません
東京・六本木SATIN DOLL
https://satin-doll.jp/schedule/20240224/

実現したいことがわかり合える
最高のパートナー

Q2月24日(土)に妹のそよかさん(作曲家・ピアニスト)とのライヴがありますね。そよかさんとは以前からよく演奏されていたのですか?

林  子どもの頃から一緒に弾いていました。ピアノの連弾で一緒にコンクールに出たこともあるんです。また、妹は子どもの頃から曲を作っていて、私がチェロを始めたばかりの頃にはチェロの曲を作ってくれたこともありました。それを一緒に弾いたこともあります。
藝大に入ってからは妹も副科でチェロのレッスンを受けていたことがあり、学内試験のときには、お互いに伴奏をし合ったりしていました。
姉妹でアンサンブルすることのメリットは、実現したいこと、目指している方向性がわかり合えている、というところにあると思います。自宅にいると練習する音が耳に入ってきますから、話し合わなくても理解し合えている部分が多いように思います。
今は離れて暮らしていますが、根底にあるものは変わりませんから、今でも一番の理解者で一番のパートナーだと思っています。
今回のライヴはコロナ以降久しぶりの共演なので、私自身も今からとても楽しみにしているんです。前半にクラシック、後半にジブリや映画音楽、というように幅広いジャンルの作品をお届けする予定です。お食事もできますので、存分に堪能していただきたいと思います。

Q今回のライヴに限らず、アニソンやポップスなど幅広いジャンルを演奏されていますね。

林  私は1966カルテット(ビートルズ来日の年「1966」をカルテット名に冠し、ビートルズの作品を中心に取り上げている四重奏団)の初期の頃のメンバ-で、そこでビートルズやマイケル・ジャクソン、クイーンなどの曲を弾いていました。実はそれ以前はクラシックばかりだったので、そういったジャンルの曲は弾いたことがなかったんです。
中でもクイーンの曲は、フレディ・マーキュリーの歌い回しを音で表すのが難しくて、何度も聴いて研究しました。
妹のそよかは私がそこで試行錯誤をしながら演奏しているのをずっと身近で見てくれていました。また、彼女も様々なジャンルの曲のアレンジを始めた頃でもあり、お互いに良い影響を与え合っていたと思います。ですから私も妹もその頃の経験が活きていると思います。

アンサンブル好き
その原点はグループレッスン

Qところで、チェロは何歳の頃に始められたのですか?

林 11歳の頃です。それ以前はピアノなどの鍵盤楽器を中心に、音楽の基礎を総合的に習っていました。
当時は習い事ブームだったのか、いくつもの習い事を掛け持ちする子がとても多くて、私も音楽教室の他にスイミングスクールと英語教室にも通っていたんです。音楽教室は習い事のひとつで、特に力を注いでいたわけではありませんでしたがグループレッスンでのアンサンブルがとにかく楽しくて。そこから徐々に音楽の比重が大きくなっていったんです。

6歳のとき、高度な音楽教育で多くの演奏家や作曲家を輩出しているヤマハ音楽教室・ジュニア専門コースの進級オーディションに合格。ピアノの個人レッスンに加えて、グループレッスンでソルフェージュや作・編曲を学んだ。そこでの経験が今の演奏活動に活きていると語る。

Q当時のレッスンで印象に残っていることは?

 林 私が通っていたグループレッスンのクラスの先生はアンサンブルの課題として、オーケストラ作品を取り上げることが多かったんです。一人ひとりにパートが割り振られ、スコアを見ながらエレクトーンで弾いて皆で合わせるんですね。最初は混乱してどこを弾いているのかわからなくなったり、移調楽器の読み替えに苦戦しました。
練習を重ねるにつれて皆の演奏がひとつにまとまっていく、そのプロセスがとても楽しかったんです。私のアンサンブル好きの原点はここにあるのだと思います。
今振り返ると、ワイワイ言い合いながら、スコアリーディングのようなことをやっていたんですね。いつの間にか、読譜力も鍛えられていました。

きっかけはシベリウスの
ドキュメンタリー番組

 音楽教室で高度なレンッスンを受けるも音楽の道に進むことなど全く考えていなかったという小学生時代。好奇心が旺盛で、学校の勉強も好きだったという林。祖母の家庭菜園を手伝っていたことから植物への関心が高まり、将来は農作物の品種改良など、理科系の研究ができる職業に憧れを抱いていたという。そこからチェロを始めて、藝大に進学した経緯を訊ねると、きっかけはグループレッスンで取り組んだシベリウスの作品だったと語った。

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