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📕2021.04.23 竹風太の料理日記😌トンカツの思い出

お恥ずかしいことに、手術後の経過が良すぎたおかげで、「老骨にムチ打つ」ことになったようだ。リハビリの時には痛みが全くなかったのに、食事を三食作り、荷物の移動なども「大丈夫、大丈夫!」などと、率先して行っていたら、徐々に痛みが広がり、昨日は歩けなくなってしまった。

さすがに、やり過ぎたと思っても、後の祭りで、家人から「労働禁止令」が発令されてしまった。これは、私にとって「緊急事態宣言」と同程度の拘束力を持つ。

言い訳が長くなってしまったが、今日も、夕食を作ることが叶わなかった。自分で作ってもいないのに、レシピを書くのもどうかと思い。写真だけをアップすることにした。

その代わりと言うのも変だが、最後に「トンカツの思い出」という私の子ども時代の思い出を書いてみた。お時間のある方は読んでいただけると嬉しい。

🐷🍄豚こま肉とエリンギの焼肉味

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🥦茹ブロッコリー

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🐖トンカツの思い出

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先日、病院を退院するときに、退院の祝いを家族でするので、食べたいものを教えてほしいと娘に言われ、迷うことなく「トンカツ」と答えた。私にとっての「お御馳走」は子どもの時からトンカツなのだ。

私の子ども時代、牛肉というのはうわさでは聞いたことがあるが、お目にかかったことがないという幻の食材だったのだ。そこで、私の知っている肉の中で一番豪華な料理がトンカツなのだ。私はフライが好きなのだ。2番目に食べたいものはと聞かれたら、「コロッケ」と答えると思う。

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私が東京都下の安アパートに家族4人で済んでいたころ、夕食と言えば煮物に魚の干物に漬物が定番だ。私はあまり魚が得意ではなかったが私以外は猫族なので、文句は言えなかった。それでも、煮物とドブドブにしょう油をかけた魚と漬物で、ご飯を3膳も食べていた。

父の給料日だったのか、何かの祝い事だったのか忘れてしまったが、ある日の夕食は「トンカツ」だったのだ。パリパリのキャベツを敷いて、美味しそうに揚げたトンカツが目の前にあった。

子供のころの私は、今考えてみると、生意気で頑固で神経質ないけ好かない子供だったに違いない。父への反抗心も芽生えている時期だった。そのようなタイミングで、私の言動を父に避難されたのだと思う。私はかなり切れやすい子供だったのだ。

だからといって、父に真正面から食って掛かっても、ビンタの2~3発もくらって、ゲームオーバーは目に見えている。そこで、あろうことか、目の前のトンカツに当たった。

「いただきます。」を言うこともなく、トンカツにかぶりつき、2~3回かみ砕くと、飲み込み、口いっぱいに白米を頬張り、みそ汁で流し込んだ。それを見ていた父は、大声で「お前は!お前は!」と感情の持って行き場を失くし、私のシャツをめくり、背中を何度も何度も平手で叩いた。

やっと解放されると、母がミミズバレになった背中をタオルで冷やしてくれた。それから、残ったトンカツを食べたのだ。こんなに悔しくて、痛くて、情けないのに、ウスターソースを吸ったトンカツはとても美味しかったのだ。

このような「思い出のトンカツ」だが、このことがトラウマになってトンカツが嫌いになったなどということは全くない。私の場合、どんな思い出が付随していようともトンカツは好きなのだ。

しかし、退院祝いのメニューは、年寄りも含め全員が幸せになる「握り寿司」に決まった。どうも、私の退院祝いと言えども、力関係でメニューは決まるらしい。

🦉以上

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