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[note55]学校をどのように創造していくか?その②

前回は先生方との対話から見えてきたこと、次のステップに進むために必要ではないかと感じているマインドを書籍などを踏まえて考えてみた。
その後、学びに関する研究会、学校の在り方に関する研究会に参加して感じたことなどをまとめながら、今後の方向性を考えてみようと思う。色々と忘備録的に書いているが、色々な先生と繋がりながら、先行きを考え、自分達の思いに自信を持っていきたい。教師が自己肯定感、自己効力感を持つことがとても大切だと思う。ぜひ、同じ思いを持つ先生方と一緒に考えていけたら良いなと思っているので、読んでいただけると幸いです。

研究会①主体性を引き出す学びをどう作る?

初めは株式会社「Inspire High」さんが3月13日に行ったオンラインセミナーから。サブタイトルは探究学習・キャリア教育・ICT活用の最前線。3名の講師の方のお話は多岐に渡るが、共通していることがあったと思う。
「変わりゆく社会を自らの力でアップデートし、切り開いていくための生き方・在り方」とは何か?特に自分の中に強く残ったのが「アップデート」という言葉。経験に基づく取り組みは重要であるが、それに満足している時点でアップデートという意識は外れていくアップデートするためには、自分に対して、或いは学校や組織に対して不満足でなければならない。それは不平・不満という側面よりも、「もっと楽しく、もっと面白くできないか?」という問いではないかと考えている。以前にも言及したが、変わりゆく社会に対して私たちが不平・不満を言い、問題点を挙げていくことは難しいことではない。すなわち、評論家になってしまうということだ。しかし、評論家は何も生まないという指摘は今回のセミナーでも強く感じるものだった。最後に登壇された先生の言葉も印象的だった。「生徒はお客様なのか、それとも生産者なのか。」お客様は自分で生み出すこと(創造すること)はできないが、生産者は自ら学び、自ら価値を生み出すことができる。教育の担い手に必要とされていることも同様であり、教師が生産者になることだ。こうして自分がnoteに色々なことを書きつけていても、それが行動を伴わなければ、単なる評論家に過ぎないことになる。

今年度最後の職員会議で提示した資料の冒頭部分

新年度の入り、急激に忙しくなることを考え、ギリギリのタイミングで職員会議に議題を突っ込んでみた。大学進路実績が判明してくる今だからこそ、進学実績+αの学校の在り方についての問題提起をしようと思った。勤務校の建学の精神は「社会に貢献できる人間の育成」であり、現在の学校長が掲げる3つのC(Change/Challenge/Contribution)は、建学の精神を現代に当てはめたもので、的を得ていると個人的には思っている。ただし、現時点では教員の中に落とし込めていないと感じている何が変化であり、挑戦であり、貢献であるのか…これらが明確になれば、すべきことも見えてくるはずだ。5年後、10年後、15年後に現役戦力として働く世代にとって、こうした理念の共有は重要な課題である。その答えを誰かが提示してくれるわけではない、「大学合格実績」という学校が目指す明確なロールモデルさえも今日の価値を失っていく可能性は多分にある。そうした変化を受け入れるためにも、学校の価値を教師達が生徒達と共に構築していくことが求められる。

研究会②スタディ・ツアー「世界の学校を知る・私たちの学校の未来を考える」

こちらは東京私学教育研究所が3月18日に主催、世界の教育事情のケース・スタディと共に学校の未来についてグループで話し合うオフラインの研究会である。肝は第2部のグループディスカッションであり、「生徒の主体性を生み、自走させるための学校や教育の在り方」というテーマを出させていただいた。そこで出てきたキーワードは「探究」と「建学の精神」であった。
探究については研究会①でも、相当細かなプログラムの紹介があったが、根っこにあることは同じで、生徒が主体的かつ能動的に取り組むためには、自らが問いを立て、問題解決に向けて、協働する経験が不可欠になるということ、そして「探究」的学びを各教科に落とし込むカリキュラム検討である。
[教えてもらう→受け身→依存→更に教えてもらうことを求める…]というサイクルから[発見し、気付く→自ら取り組む→主体的になる→自己肯定感や自己効力感が上がる→更なる発見や気づきを誘発する…」というサイクルへの転換をいかに仕掛けていくか、これは当然ながら特定の教員が1人で考えるものではなく、プロジェクトチームが必要となる。そして、自分達の目指す原点を共有し、再確認し、今の状況に落とし込むこと…まさに自分が考えていることであった。

教師はボトルネックであってはならない。

これも研究会で出た「ドキッ」とする言葉であるが、先の研究会と同様の問題意識である。変えること自体を教師が拒む場合、新たな創造が生まれることはない。「変化」の阻害要因が教師であってはならないはずだ。目指すべきは、プロジェクトチームが提示する小さな取り組みを少しずつ公開し、組織に浸透させ、それに共感する人々によってエネルギーを増幅していくようなイメージだろうか。ある学校では、インフォーマルなチームの取り組みを保護者を巻き込みながら進めているという。なかなか思いつかなかった工夫だと思う。これこそ、まさに巻き込み力と言える。

プロジェクトチーム(PT)

前回、紹介した「ジェネレーター」の中でプロジェクトチームは10名以下であるべきとの記述があった。確かに多すぎれば、まとまらないし、少なければアイディアが不足する。8~10名程度のメンバーでたたき台を作り、それを議論してもらう形が一番良いのだろう。考えてみれば、会議において明確なテーマ、主題、議論のたたき台がなければ、何となく方向性の定まらない会議が繰り返されることになるのは当然と言える。勤務校では、校長、教頭及び各校務分掌の長が集まる会議があるが、そことの折り合いをどのようにつけるか、PTは議題提案機関であり、決定機関ではない。そのあたりの役割分担を明確にしなければ、現場に混乱を生じさせる可能性がある。

各論ではなく総論・そもそも論

これまでを振り返ると、各論に関する議論はそれなりに活発に行われてきたと思う。しかし、総論部分=「そもそも論」には踏み込めていない。ここは結構、良い意味で青臭い議論になるため、避けがちなのだろうか?しかし、理想論と言われようが、青臭いと言われようが本来、本質を考えるとはそうしたことだと感じるようになった。それをスキップして、各論ばかりを議論していても学校の全体像を構成することは難しい。PTをいかに作り、いかに運営していくか、春休みの短い時間であるが、少し思案してみたいと思う(企みは結構面白いと思う)。そして、メンバーに声を掛けて、少しずつ方向性を作っていくこと、できればPTは水面下よりもオープンソースな存在でありたいと思う。ここが目下、最大の懸案事項…でも繰り返しになるが、生徒にとっても教師にとっても楽しい学校であるために、自分が関われる時間は残り20年…早いようで短い。その時間を自分はできる限り充実したものにできたら良いなと思う。

みんなで同じ壁を超える

研究会に参加して、感じることは多かれ少なかれ、各校ともに同じような課題を抱えているということだ。だからこそ学校間の壁を越えて、色々なことを議論しながら、方向性を探り、自分達の行動に自信をもっていけたらいいと思う。学校は競争相手であるというのは経営的な観点からは理解できる。
しかし、同時に教育を担う場として、協働することも可能であるはずだ。
そうしたことを新学期に向けて、少しでも進めていきたい。

JUMP-壁を越えようー


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