見出し画像

[note47]高3の授業を振り返って

選択「政治経済」の現実

担当した理系対象の[選択]政治経済が12月の学年末試験をもって全て終了した。あとは大学入学共通テストに向けて、どれだけ解答力を上げることが
出来るか、これまでのようなパターン学習だけでなく、演習の際には自分で「なぜ?」を大切にして丁寧に取り組んで欲しいと思う…と書いたものの、実際にこの授業の選択者は8名、うち受験で実際に使う生徒は最終的に3名になった。人数の違いはあるが、例年同じような傾向がある。文系でも同様のことが言えるが、9月の授業から科目を絞る生徒が増えていく(つまり国公立を断念して、私大型に絞るため文系の2科目目、理系の1科目の社会が不要になる)。ある意味、やむを得ない面もあるが、そうした時、教室には「受験で使う生徒」と「もはや必要と考えない生徒」が混在することになる。これは毎年のことであるが、だからこそ、受験だけを目的としない「政治経済」の授業を意識している

受験だけを目的としない政治経済って!?

生徒には4月の段階で、「仮に受験で使わなくなったとしても[政治経済]を選択したことが皆の将来に繋がるような授業を目指していきますので最後まで一緒に学びましょう!」といったことを伝える。今更ながら、今年の授業を終えて、「それってどんな授業なの?」と自問した。
・授業を通して現実社会の仕組みや現象が理解できる授業?
・自らの選択や決定のために必要な知識を得ることができる授業?
・それとも、ほかにもっと大きな目的が?
間違ってはいないと思う…ただ、実際の授業が自分のイメージを実現できる建付けになっているのかと疑問が多分に残ってしまった一年になった

「受験がなくても学ぶ目的を感じられる授業」

これは自分の基本的な授業目標である。高校3年生になり、受験で使う科目であれば好き嫌いを問わず、生徒は勉強姿勢を取る(もちろん、なかなか学習に入りきれない生徒もいるが)。もちろん生徒のモチベーションを上げるための様々な授業論やスキルがあるのは承知しているが、そもそも、前提として受験生は「学ばねばならない」状況にあると言える。では、受験がなくなったとしたら…いつもこんな仮定を立ててみる。そこに自分の授業の価値はあるのだろうか?受験がなければ価値がないとは言われたくない…だからそこには学ぶ意義を明確に持っておきたい

この授業は果たして、その意義を持っているか?

今年は授業の基本的事項と社会で実際に起こっている現象を結び付けて授業を展開しようと試みた。「Social Issues」と呼んでいたスクリプトである。

「国家」を学ぶ上で活用した朝日新聞の社説
表現の自由をSNSの世界から考えた京都新聞の記事

このようにできる限り、具体的であり生徒にとって身近で将来の社会を想像することができるような話題を新聞、雑誌、ネット記事などから抽出、素材として授業で活用した。実際には基礎事項に関する授業と具体的なニュースを関連付けるのは想像以上に難しく、時間との戦いもあり、思うようには進まなかった。結果、このスタイルを最後まで徹底できなかったことを大きな反省である。ただし、こうした世の中のリアルで身近な事象が、生徒の思考を動かすために重要であることは再確認できた。だからこそ、徹底すべきであったが、全体のデザインと時間計算が甘かったと言わざるを得ない。

教師➡生徒の一方通行的な授業

表題のようなことを考えた。確かに素材を吟味することは教師にとって必要である。そこに学びがあるもの、学びを誘発するものでなければならない。しかし、生徒がそれに入り込む余白を自分は作っていただろうか?実はここが一番の反省なのかもしれないが、「生徒が興味を持つだろう」「学びに繋がるだろう」「受験と関係なく学ぶ動機を生んでくれたらいい」というのは全て自分が主語の願望であり、期待に過ぎない。これらに生徒が何らかの形で関与し、自分なりの理解と見解、表現を持つことができて初めて、素材は意味のあるものになる。いくら素材が良いものであっても、それを調理するために生徒と教師の協働作業が圧倒的に不足していた…。

知識を使えるようになること

本来、これが授業の目的でなければならない。学力の三要素である①知識・技能②思考力・判断力・表現力③主体性・多様性・協調性から考えれば、まだ①に偏っていることは否めない。一部②も含まれてはいたが、正解のない社会において、それらはより強く意識されなければならないし、1人で出来るものでもない。学びについては個別的学習と協働的学習の両立が欠かせないと考えている。それは教科を問わず、大学受験という目的を越えて、この先の人生を生きる生徒達の基本的なスキルの構築になると思うからだ。頭では理解していたが、実際の授業がそのような建付けになっていたとは自信をもって言えないのが現状である。

受験突破の学力×人生を生きるための学力

当然、受験という生徒にとっては死活的な問題が目の前にある以上、それを疎かにするわけにはいかない。ただし、先にも述べた通り、それだけが目的となってしまうと授業の本来の意義が失われてしまう。「生徒にはどのような学びを期待するか!?」「生徒はどのような学びを求めているのか!?本質的な問いである。分かっているつもりで、本当に自分は分かっているのだろうか?今年の授業は一先ず終わったが、改めて自分自身に問い直す必要があると思っている。「受験に使う、使わないに関わらず、皆さんが高校を卒業した後の学びの場面で必ず生きる授業にしていきたい」と自信をもって言えるようになるため、考えなければならないことは山積しているようだ。

皆さんは、この問いをどう考えていますか!?

という形で問いを投げかけ、今回の振り返りを終えたい。読んで下さった方(教師に限らず)、ご意見や実践があればコメントいただけると嬉しいです


いいなと思ったら応援しよう!