ニシエヒガシエ
関西に来て約4年。
その生活も、もう終わる。
一区切りついたところで、たまには回想録を。
大学はその時の一番の強豪に入ると決めていた。
それがたまたま関西学院大学だった。
入試は、解答用紙を間違えて、英語の試験は半分しか回答できていない。時計がなくて試験監督の腕時計を見せてもらった。
それでも合格できたのは本気で入りたい想いを語り続けた面接のおかげだろうか。面接なんて嘘か本当かもわからない。だから本気であることだけは伝えたかった。いまこの瞬間に人生がかかっている、と。
(2015.09.10)
合格発表は選手権の初戦前日で、文化祭初日だった。
スマホで合格を知り、バカみたいに喜んだ。当時の恋人は泣いていた。どうやら僕はデリカシーがないらしい、とその時知った。泣かれるまで、離れ離れになるなんて考えてもいなかった。
ひたすらに、青と白のユニフォームに憧れた。
横浜市立東高校から、関西学院大学へ。
中1で決めていた。プロサッカー選手に大卒でなると。あの頃はまさかJリーガーにならない選択をするなんて夢にも思わなかった。
高速バスに乗って関西に来た。故郷を離れる時、少しだけ涙が出た。少しだけ。
(2016.01.31)
こっちのやつらは、標準語を関東弁と呼ぶ。自分たちが方言を喋っている自覚はまるで無い。谷本君は標準語で話す僕に、「なんで敬語なの?」とか言ってきた。
バキュン!と撃つふりをしてリアクションを試したことはないが、日本人の描く関西人像とのズレは殆どない。
押すなよ、を本気で押せに捉えてしまう。
電車が駅に着く前から席を立ってドアの前を陣取る。
車は赤から青に切り替わる1秒間を待てない。
関西弁の女の子が可愛いかったのは最初の半年で、以降は「お淑やか」という日本語を教えたかった。
彼らにはいいところがたくさんあった。
ピッチ上で喧嘩しても、ピッチを出たら仲良しにすぐ戻る。
いろんなシーンから笑いを見つけ出す。彼らにとって笑いは生まれるものではなく、生み出すものだ。
飴ちゃんをくれるおばちゃんは実在したし、豹柄おばあちゃんもノンフィクションだった。
いざ関西を離れると思うと、やはり悲しい。
甲東園からの激坂をチャリで上がることはもうない。
トンキンのキムチスープ。塩分濃いめの行きつけのご飯屋さん。毎日登山の第4フィールド。
ぶっきらぼうな店主の淹れるコーヒーは今のところ世界一だ。
何かを始める時、僕らはうっすら気づいている。いつか終わりが訪れることを。
そんな気持ちに一生懸命蓋をして、始まるワクワクだけに耳を傾ける。
いざ終わる、いま。
終わりや別れも悪くない、そう思う。
寂しさはあるけど、「終わり」がこれまでの過程を鮮やかに彩る。
日本一を目指した。いろんなことがあった。
いろんな人が、ご親切に教えてくれた。
「社会はこんなところだよ」
「人生はこんなもんだよ」
受け売りの知識 教養などをほうばり 胸焼けしそうなら この指とまれ
こんなやっかいな人生だ おまえが信じてる道を進むんだ
この4年間は、常識、世間体、普通、安定、そんな言葉達との戦いの日々だった。
「現実を見よう」という言葉にうんざりしていた。
この気持ちを「胸焼け」と表現できちゃうミスチルすごいな。
スペインへの挑戦は、僕なりの大学サッカーへの解答だ。
大学を出て、Jリーグへ。無理なら就職を。
無数にある轍からはみ出す勇気を持って、この答えを出した。
答え合わせは、これからの人生でしていく。
正解にするか、間違いにするかは僕の生き方が決める。
東高校から関西学院大学に来る時、多くの人に反対された。
でも、関西での生活が終わるいま、胸を張って言える。
「ここに来て、良かった」と。
これからまた新たなチャレンジがはじまる。
次の挑戦の地は、スペインだ。
東の最果ての国から、また西へと渡る。
夢や理想にゃ手が届かないが 不満ならべたってきりがないし 昨日の僕になんてバイバイ 明日を担って風にまたがって ニシエヒガシエ
桜井さん、珍しく共感できない点がひとつだけ。
夢も理想にも、手を届かせる。必ず。
inspiration by Mr.Children 「ニシエヒガシエ」
こちらも是非。
終了まで残り4日です。最後までよろしくお願いします!
竹本将太の挑戦を応援てくださる全ての方に感謝します。ありがとうございます。
これからも共に夢を追いかけましょう。