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人と仕事を切り分けて、僕の半身が焼きに来る。

連日飲食ネタで悪いなぁ。と思いつつも書きます。
僕は例えば、〇〇さんが尊敬できるからそこで仕事したいとか、××さんたちと仲が良いからそこで仕事を続ける、という思想が大嫌いです。

なのだけど、飲食業界におってこの思想、メインストリームを歩んでおり、多分僕の方が少数派なのかなぁと感じます。
成り立ちを考えれば、当然の話で飲食の良さというのもそこにあるから、それを全否定するような思想ははっきり言って異端です。

飲食は、人で成り立っている、料理を作るのも人間だし、お客様も人間、配膳するのも人間。自分らでやれば材料費だけで終わるその工程に、人件費という気遣いとサービスで付加価値をつける。それが本質で、内部的な事を言えば、接客、料理をする人の質、に大きく依存しています。
教育においても同じこと、教える人、に大きく依存するし、拘束時間も長いから人生感も共有しやすい。
未経験でも良いし、昔の飲食店は、不良みたいなどうしようもないやつでも受け入れて、初めて責任感を持つ仕事をさせて、同じ釜の飯を食って、より良く生きられるように導く、その先鋒にありました。

お前じゃないとダメなんだよ。そういう言葉を惜しげもなく、僕も使っていました。

変化したのは、僕がはじめての部下達を卒業させてから。なぜ彼等が僕を慕っていたのか未だに分からないけど、僕はその時、卒業させる選択をした。飲食にとって、これは万年人手不足な飲食店としては、相当怖い決断でした。

慕ってくれるのは嬉しい。だけど、俺は一生君らの雇用を確保したりできない。だから考えろ、金を稼ぐ事でもなく、俺らといる為でなく、誰のために時間を使うのか。もしそれで、ここより良い環境に行けるのなら、行け。ここは大丈夫。人が足りなくてもなんとかする。本当に教えるべきは、ここだと思う。

きっと自分にも言い聞かせていたのだと思う。未熟な己が言えることはきっとこれだけであるから。
もし仮に、誰かを教える立場に立つのなら、自分ではなく、仕事を好きになるように教える。リーダーシップ論をゴミ箱に捨てる。これで大分楽になりました。

多分みんな、心の何処かで尊敬する人、ついていきたい人を探し、好きな人々と仕事したいと思っている。
それが思考停止じゃないと、胸張って言えるかな。人の人生はその人個人のもので、組織の為にも、先輩がたのためにも、尊敬する人のためにもない。だから自分で考えよう。そうでなければいつか、その人達を激しく憎むようになる。あんたに付いてきたせいで、こんなしょうもない人生送ってんだ。ごめんな、それは付いてくる決断をした自分自身が被る責任なんだ。

ここで僕は過去の自分に刺される。『すべての花を焼き捨てて』(2)(3)(4)(5)で。
誰かと共に仕事をする、誰かと共に生きてゆく、その事による救いを書いた。これまでの文章はそれを否定している。だけどここで『すべ花』を出すことの意味があるとしたら、それでも希望を持ちたいからなんだろうね。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。