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出版社の編集者が実名でツイッターをやることは「リスク」なのか?

 ぼくは、これからの出版を盛り上げるうえで、編集者がWEB上で存在感を示し、力をつけておくことはプラスである、と考えています。よって、ツイッターやnoteに力を入れ始めています。

 しかし、意外にも出版社の編集者でツイッターなどに力を入れている人は多くありません。それはなぜなのでしょうか? いくつか理由が考えられます。

①「編集者は黒子であれ」と言われているから

 前も言いましたが、出版の世界には「編集者黒子論」というものがあります。(誰が言い出したのか、どれくらい広まっているのかはちょっとわかりません。)「編集者黒子論」とは「編集者は表に立つべきではない」「黒子たれ」という考え方です。そういう編集者のあり方を「美しい」と捉える考え方です。

 この方針をとっている出版社では、出版物の奥付に担当編集者の名前も明記されていなかったりします。あくまで著作は「書き手」「著者」のものである。よって編集者は表に出るべきではない。という考え方はまだ根強くあるように思います。

②「上司や会社への忖度」が働いているから

 上司や会社に気づかって発信していない、という人もいるでしょう。SNSなどでの発信は、おそらく上司も人事部も見ています。(「ネットってなに?」という本当に老舗の出版社は別ですが……。)それが嫌な人、気になる人は、自由に発信することがはばかられてしまいます。

③やってるけど気づかれない

「いや、実名でやってるんだけど、気づかれないんだよ!」という人もいるでしょう。実名でやってるけど気づかれない人は『SNSポリスのSNS入門』を読んでみてください。参考になるかも。

(「おもしろいこと言ってるのにどうしてもフォロワーが増えない!」っていう版元編集者は連絡くだされば、ぼくがフォロー&リツイートします。微力ながら。)

 他にも、自分から発信することは「恥ずかしい」「自意識過剰っぽい」といった思いもありそうです。

SNS上に人格が「ない」ほうがリスクかも論

 さて、上記のように現実の世界にリンクする形で、つまり実名で、ツイッターをやることは「リスク」であるように思う人もいるでしょう。

 しかし、実はそれは「逆」なんじゃないかと少し前から思っています。

 ツイッター上(人によってはフェイスブックやインスタ)になんの人格も、なんの信頼も評価もない、というのは、現実の世界「だけ」で勝負しないといけない。

 そうとうの実力があって「SNSでの発信力なんてなくても裸で勝負するぜ!」という人はいいでしょうが、ぼくはそこまでの自信がありません。なんとかひとりでも多くの人に気づかれたい。担当した本を読んでほしい。だからリアルの世界だけでなく、手軽に使えるSNSを利用しています。

「会社に目をつけられる」「自意識過剰っぽくて恥ずかしい」などのデメリットも少し前までは気になっていました。でも、最近はそんなことが超ちっぽけになるくらいの「いいこと」「おもしろいこと」があるのでメリットしかない感じがしています。

 ツイッターやnoteがきっかけでライターさんや編集者さんをはじめいろんな人に出会えましたし、ちょっとしたイベント、集いも開催することができました。「お花見をやりたい」「10万部会議をやってみたい」とつぶやくと誰かが反応してくれて現実に開催することができる。

 ツイッターなんて暇つぶし、という側面もあったけれど、会いたい人に会えるツールになりつつある。同じ波長の人が集まってくる超絶便利な装置です。

 まさに、ここ数ヶ月でSNS活用の「デメリット」と「メリット」のシーソーが逆に傾いたのです。

SNSをやらない人は「丸腰」である

 少し前まで「SNSは別の世界」と思っていました。現実は現実の世界であり、ツイッターはツイッターの世界がある。相互に影響はあまりない。そう思っていた。けれど、最近は確実に現実にがっちりとリンクし始めた感覚があります。

 SNSの発展は避けられない現実です。プライドや忖度やその他いろいろの理由で発信しないのは「丸腰」で生きていくことを意味します。会社内に信頼や評価があったとしても、その会社を一歩出ると信頼構築をゼロから始めないといけない。

 もし今後が少しでも心配な人、不安な人は、SNS上に人格を生み出し、信頼と評価を少しずつでも積み上げておくといいと思います。それはむしろリスクヘッジであり、プラスしかないように思います。

 最後に『ぼくらの仮説が世界をつくる』(佐渡島庸平)の一節をご紹介します。

 今のことを続けるほうが、むしろリスクです。

 動かないリスクのほうが、ぼくにはもう大きく感じられて怖い。多くの人は、ぼくの行動を見て「怖くないのか」と思うようなのですが、ぼくはITに関わらないビジネスをするというのが、馬車にこだわるのと同じことのように感じられて、怖いのです。

 ぼくの行動原理も、恐怖から来ているので、「100%わかってること」しか、ぼくとしてはやっていないつもりです。

 CDショップや書店をぶらぶらして、出会いたかった作品と出会うのではなく、「SNSを通じて作品と出会うようになる」というのは、100%起きる変化です。その変化に対応する方法はまだわからないけれど、変化することはわかっている。だから、ぼくの行動は、「100%わかっているほう」へ懸けているだけなんです。

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冬のマックブックはキンキンに冷えている
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株式会社WORDS代表取締役。『メモの魔力』(前田裕二)『実験思考』(光本勇介)『段取りの教科書』(水野学)『ぼくらの仮説が世界をつくる』(佐渡島庸平)など書籍の編集・執筆。「週刊文春」「ハフポスト」などでも執筆。SNS時代の「伝わる文章」の探求をしています。ポテトサラダが好き。

コメント2件

とても共感致しました。私の業界も、実名でSNSをやることに対しては非常にネガティヴです。リスクリスクリスクと耳タコでした。
元々私の業界の人間は書くのが好きな人が多いはずなんですけどね。

しかし私もやらない方がリスク、と思い立ち、最近始めました。仰るように、メリットは大きいと感じてます。まだまだへなちょこも良いところですが、ネット空間のペルソナ作りもなかなか面白い作業ですよね^ ^
何にせよ「実名」でやっているならばそこには責任があり信用を得るための対価を払っていると言えます。
立派なことですよ。
匿名の書き捨てなんて何の価値もありません(もちろんこの私のコメントも)。
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