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あらためて仏性とは何かを考えてみよう

一般的に、「仏性とは仏の性質であり、仏になる可能性のこと」と理解している人が多いと思います。たとえば『大般涅槃経』には「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とありますが、「全ての衆生(人間)に仏性が内在すること、すなわち仏陀の遺骨・身体と同じ性質のものが衆生に内在すること」であると解釈されています。後に天台宗では、人間に限らず、山川草木や生類すべてに仏性があるとして、「仏性は仏となる性質」と再解釈されて広く浸透しました(『浄土宗大辞典』)。このことが、最初に示した「仏性とは仏の性質であり、仏になる可能性のこと」につながったのでしょう。

一方、禅の世界では「即今・目前・聴法底(ちょうぼうてい)」(いま、ここで説法を聴いている者)が真人(仏陀)だと言います。すなわち、禅の修行をしている本人が自己の本性としての仏性を有しているとしているのです。いわば、即今・此処・自己の本性が仏性なのです。『禅学大辞典』によれば、「如来性・覚性とも。仏陀の本性の意。如来蔵と同視される」とあります。これは、前述の「仏になる可能性」と大きく異なることになってしまいます。

少し補足すると、実は昔から仏性は「本性としてもとから具わっている」(自性住仏性(じしょうじゅうぶっしょう))のであり、「修行により引き出されて露見するもの」(引出仏性(いんしゅつぶっしょう))であるということが言われています。その二つのことを「修行によって見極めて完成・成仏するもの」(至得果仏性(しとくかぶっしょう))が仏性であるということも言われているのです。

そのことをしっかりと体得して大悟した道元は「すべては仏性なのだが、修行して悟って初めて仏性が現れる」(成仏して仏性を具足する)と述べているのです。私たちも同様に、信心を持って修行して、悟り切って初めて仏性が現前するのだと認識しなければならないでしょう。

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