「知」と「愛」のはたらき
「知る」と「愛する」というはたらきは、普通は相異なる精神作用だと考えられています。それを西田は、相異なるのではなく、本来同一の精神作用だと言うのです。
ここで少し考えてみましょう。
知とは、ものごとの道理がわかる(知る)ことです。
愛とは、そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持のことです。
そうならば、「道理がわかる」のと「価値を認める」ことは同じではないかと考えることができます。だから西田は、自分の価値観でものごとを認めることは、道理がわかる(知る)ことと同じだと考えたのでしょう。
したがって、「A.ものごとを認める(知る)ことで、B.さらに強く引き付けられた場合に愛がはたらいている」ことになるわけです。
西田は、『善の研究』の二編九章で、知を「我々が物を知るということは、自己が物と一致するというにすぎない」と説明しています。すなわち、知は、主客合一となり、我がものに一致すると言うのです。ものごとを、何とか言葉に言い表すことができるとき、知ると言えるのではないでしょうか。
西田は、三編三章で「元来愛とは統一を求むるの情である。自己統一の要求が自愛であり、自他統一の要求が他愛である」と説明しています。その意味では、愛もまた、主客合一です。すなわち、自己を捨ててものごと(他)に一致する(すなわち、愛(いつく)しむ)のが愛なのです。
まとめてみましょう。
ただ「知」のちからだけに頼るとき、人は知り尽くした(自分が万能である)と思い込むかもしれません。しかし、それはこだわりであり、迷いなのです。自利です。
そのうえで、愛へと変わっていく時に(他への愛しみへと変わっていく時に)、こだわりから脱却することができます。他に対する利他なのです。
禅的に言うとすれば、知る(対象とことばとの一致)だけではダメであり、知らないうちに利他の行為(善の行為)へと変わる必要があるのです。利他の行為へと変わるとき、悟ったと言えるのでしょう。
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ここまでで『善の研究』終わり
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