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悟ったと思うのもとらわれだ #禅の言葉

たまに「自分は悟った」などと記載している本を見るが、それはまだ本当には悟ってはいない。悟りとは、悟ったとも思わないものだ。そのところを古人は「去れば即ち留住(りゅうじゅう)し、住すれば即ち遺去(けんこ)す」と言う。ここで、去るとは一切を捨て去ること、留住は迷いの世界に留まること、住すれば即ち遺去すとはちらわれていることを追い払うという意味だ。逆に言えば、不去不住(とらわれず、とどまらない状況)にあるのが理想なのだ。

悟りの世界とは、何とも言えない世界。例えば、「蘆花両岸の雪、煙水一江の秋」(白い蘆の花が両岸に降り積もる雪と見分けがつかず、水平線上にある雲<煙>と水の区別がつかないような秋の風景のようだ)と言えるだろう。

自力で悟る人もいるだろうが、師に導かれて悟る人もいる。少しでも迷っている人を導くのを風力と例えると、「風力帆を扶(たす)け、行きて棹(さお)さず」(風が吹けば船の帆を揚げて、棹を使わずとも舟は進む)と言ってもよい。

もしも誰からも指導されない時は、「回避するに処無し」(どこへ行っていいかわからなくなる)だ。いわば失踪状態だ。そのような状態を禅では「草深くして覓むる処無し」と言う。草が深いというのは、迷妄状態にあるという意。師となる立場の人は、弟子がうろうろしてどこかへいってしまわないように障壁を作っておかねばならない。

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