端的な説明もまた重要だ
一般的には、「曲説(きょくせつ)は会(え)し易し」と言う。曲説とは事実を曲げて説明すること、あるいはあまりに丁寧な説明のこと。そのような説明はわかりやすいので、広く分布することになるが、何も考えずに受けとられてしまう。一方、「直説(ちょくせつ)は会し難し」(仏法の真意を端的に説明すると理解しにくい)ということになるので、色々な方法で説明する。そのような説明は、なぜそのように説明するのだろうと考えることになる。
十方の諸仏は一つの路を通って悟りに入った(一路涅槃門)、とお経に書いてあるが、どのような路(道)なのかを説明するのは難しい。そこを、乾峰和尚は持っていた拄杖(しゅじょう、杖)で空中に一の字を描いて「這裏(しゃり、ここ)に在り」と言った。端的・直説の説明である。「万法帰一(ばんぽうきいつ)」(森羅万象は一つの根源的な原理に立ち返る)とでも言いたいのだろう。
手に入(い)って還って死馬を将(も)って医(い)す 迷いの中にいる人(死馬)でも、名医の手にかかれば、たちまち元気になる。名医は、端的なやり方で起死回生を目指すものだ。
一期通身(いちごつうしん)の汗 身体中に大汗をかくという意味。端的なやり方は、なぜだろうと考えさせる力がある。大汗をかいて、結果として悟りにいたれば、弟子たちは指導者の親切丁寧さが身に染みて分かるだろう。
眉鬚堕落(びしゅだらく) 眉やひげが脱け落ちてしまうという意味。言語を弄してみだりに仏法を説くのは罪であると言われている。その結果、眉やひげが脱け落ちてしまうという。しかし、それでも弟子のために敢えて仏法を言葉で説くという指導者もいる。罪を恐れることなく、眉が落ちても惜しむことはないという気持ちで言葉で説いていくことを「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。
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