見出し画像

日の下には新しいものはない(901)

私たちは、この地球の上で生活しています。いわば、太陽(日)の下で生活しているのです。その生活は、刻一刻と変化しています。今行った言動は、一瞬後には過去のものとなります。その意味で、「日の下には新しいものはない」のです。常なるものは無い、すなわち日常的・恒常的に一定のものはないのであり、そのことを「無常」と表現します。

また別の見方をすると、私たちの生活での言動は過去の人たちが行ってきたことを参考にしています。たとえば、私たちがよく噛んで食するというのは決して新しい方法ではなく、父母などによって教えられたものであったり、他者の言動を見て真似しているのです。いわば、私たちの言動は過去の人たちの言動を繰り返しているのです(もちろん、少しずつ言い方や行動の仕方が変わってはいるのですが、本質的なところは過去の言動の繰り返しです)。

「いや、そうではない。科学で新事実を発見しているではないか」と言われるかもしれません。

でも、よく考えてみましょう。化学の新事実は遠い過去から存在しており、たまたまそのことを見つけたということだけなのです。探求して見つけるということもまた、過去の人たちがすでにやってきていたのです。その意味で私たちは、ただただ昔の人たちの言動を繰り返しているということがわかります。「日の下には新しいものはない」のです。

では、私たちの生活の中の言動は単なる繰り返し、別の言葉で言うと「苦役」ということになるのでしょうか。

実はそうではありません。私たちは、「生かし生かされている」のです。私たちは、たった一人で生活しているのではありません。家族、同僚、上司、他者と触れ合い、そのことに対応する言動をしているのです。自分が影響を与えることもありますし、他者から影響を受けることもあるのです。

私たちが何かをしようとする時には、原因があります。そして大切なこととして、自分自身の能力(因)だけで言動した結果(果)が起きるのでは無いということがあります。その時の状況や環境などによって他者の「力」(縁)が加味されるのです。すなわち、原因となる「因」が発端となり、言動を起こす時の周りの状況や環境である「縁」が働きながら、結果としての「果」となって現れるのです。因=>縁=>果となるのです。

このことから私たちの言動は、前述した単なる「苦役」ということではないと分かります。「苦役」というのではなく、予期する(あるいは予期しない)縁によって結果が変わってくるのです。それ故に、楽しいことも起こり、苦しいことも起こるわけです。だから、一瞬一瞬をしっかりと精一杯生きていくことが大事なのです。

これらのことから、「日の下には新しいものはない」ということを、ポジティブに考えることができます。すなわち、私たちの言動は単なる過去のことの繰り返しということではなく、「生かし生かされている」ことによる(言い換えると周りの「縁」による)科学的反応のような新しい言動をしていると考えることができます。

私たちは過去の人たちが行ってきたことを繰り返してはいるが、日々の「縁」によって新しい科学的反応とも言える言動をしているのです。そう考えて、ポジティブに生きていこうではありませんか。


*****************************************************************************

#心 #ストレス #あるがまま #関係する人 #正しい見方 #禅 #禅の言葉 #迷い #自分学 #リーダー #役に立つ情報 #平尾隆行

電子本の案内:
ストレスをなくしてあるがままの「こころ」で生きる Kindle版 など

[Kindle 無料アプリをインストールして お読みください。]

*****************************************************************************

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?