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悟る前と、悟った後 #禅の言葉

衆生を斉度しようとする菩薩の想いは、非常に気高い。禅の修行は、菩薩を目標とすべきだ。ただ、悟る前の状態は、あたかも瑠璃の器の中で栗餅をつくようなものだ。すなわち、瑠璃の器の中では器を壊さないように栗餅を慎重につくので、まだまだ自由自在ではない。

人を驚かす浪(なみ)に入らずんば、意に称(かな)う魚に逢い難し  怒涛(いかり狂うような大波)に飛び込まなければ、目標とする思いの魚を取ることはできない。それができて初めて、悟りの境地に入れるというものだ。父母未生以前本来の面目を悟ることになる。

では、いったい本物の悟りを得るためには、どのような心構えが必要だろうか。本物の悟りとは、悟った後でもさらなる修行を経ることによって得られる境地のことだ。「百尺竿頭に坐する底の人、然も得入すと雖も未だ真と為さず。百尺竿頭に須らく歩を進むべし。十方世界是れ全身」(百尺竿頭(頂上)に坐すのではなく、百尺竿頭に歩を進むべし)が、その心構えを表している。具体的には、郎州の山を見たら山になり、澧(れい)州の水を見たら水になるような心境になるといい。

転盻(てんめん)すれば生涯色色(しきしき)斉(ひと)し  百尺竿頭に歩を進めて、悟りの眼で見渡せば、事事物々があるがままに現前していることを素直に感じることができる。盻は美目、転じて悟りの眼。

悟り切った境地は、あるがままに受け止めて行動することができる。例えば、春の農作業を考えてみよう。耕犁(こうり、牛がすきを引いて田を耕す)の作業では、農夫は疇(とう、田のあぜ道とか畝<うね>)を歩いて脛(すね、はぎ)が泥に汚れても気にしないほど我を忘れて耕している。その姿は、真の自己があるがままに現われていることを表している。「四海五湖、王化の裏」(四海五湖からなる中国全土は、すべてが皇帝の支配下にある)というように、どこに行っても心境一如の境地になっているということだ。

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