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悟るは覚ると書く(823)

人間の感覚器官は眼耳鼻舌身意という六つから構成されます。感覚器官の働きは、眼耳鼻舌身の五感によって外から来るものに触れると言うものです。それらの五感で得たもの(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、五つをまとめて感覚)を元に、意識が起こります。

意識とは、「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指しています。要するに、気づいている、記憶できる状態にあるということです。

このように、五感のどれかを通して外界の刺激を得て、意識することが感覚器官の働きなのです。

さて、ここで感覚の「覚」について深掘りしてみましょう。
すでに示したことから、感覚器官の働きについては分かったと思います。それは、自分自身の脳の働きがはっきりしている時のことであり、気づいていることを意味していました。

自分自身が眠りから醒めようとしている時には、気づきははっきりせずにあやふやの場合もあります。そのような場合を、「覚束 (おぼつか) ない」と言います。そして、覚束ない状態から、はっきりした状態に変化していきます。そのように変化することを「覚醒」と呼んでいるのです。

辞書を見てみると、そのほかに「覚」には「さとる。道理を知る。今までわからなかった道理や意味に気づく」という意味が記載されています。この意味は仏教から来たものであり、
 1 対象を覚知するもの。心。心所 (しんじょ) 。
 2 心が妄念を離れている状態。
 3 涅槃 (ねはん) の理を悟ったうえでの智慧。菩提 (ぼだい) 。
といった意味を持っているのです。

要するに、「覚」は「悟り」とも言うのです。逆に「迷い」は「不覚」と言います。

「覚」は「悟り」と説明しましたが、では二つの漢字を合わせた「覚悟」とはどのような意味でしょうか。一般的には、決意すること、決心することを意味します。しかし、古くは仏教用語であり、真理をさとる、真理に目覚めることを意味しているのです。

 [参考] 『涅槃経』には、次のように記載されています。
   仏とは、覚と名づく。  => 仏=覚
   既に自ら覚悟し、    => 覚悟を得た人を仏と呼ぶ
   また能く他を覚す。   => 言い聞かせる

私たちは、文脈に留意して「覚」を読み取る必要があります。

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