パライソ・枝豆・ラーメン
佐藤太郎くんとは会社の同期です。彼は開発部門に配属されましたが、新人でありながら、彼の有能っぷりは会社中の知る所です。おまけに太郎くんはよく気が利き、謙虚で、努力家で、誰にでも優しくて、愛らしい顔立ちが特徴的な美青年でした。だから経理の鈴木さんから営業の田中さんに至るまで、彼とお近づきになりたいと願う女性は非常に多かったです。
一方の私は企画部配属の、よくもわるくも目立たないイチ社員です。朝はギリギリまで寝ていることが常で、パーソナルカラーに合っているのかも分からないメイクとファッションは、学生時代からの惰性で選んだものでした。仕事の出来はまぁまぁといった所でしょうか。先輩や上司からは「真面目」と称されますが、「仕事ができる」という評価は一度も耳にしたことがありません。ですが陰で悪口を言われるほどの関心は持たれていないでしょう。今より若い頃は、OLのジメジメとした人間関係に怯えていましたが、私の様に戦う事を選ばなかった人間にとっては、杞憂なようでした。
そんな私と佐藤太郎くんがサシ呑みをするに至ったのは、全くの偶然からでした。
私の友人の一人に、遠藤さんという女性がいます。彼女は別の会社で働いていますが、類は友を呼ぶという諺の通り、彼女は私と似たファッションに身を包む、同程度の千万欲を携えた人です。しかし彼女の対人ネットワークはどうも計り知れない所があって、奇妙な縁から佐藤くんとも知り合いだったそうです。それを知ったのは、とある日曜日に大宮のドトールで仲良くアイスコーヒーを啜っているときでした。
「会社にすごい人がいてね~、佐藤さんていうの」
「マジ?佐藤さんて、あの可愛い顔した佐藤さん?」
「そーそー!え、知り合いだったの?」
それまでヤマもオチもない会話を続けていましたが、佐藤さんの話題になった瞬間はわずかに抑揚が産まれたようでした。現代社会を渡るサーファーにいい波が来た、少女漫画に染まったロマンチストの私は少し舞い上がりました。なにせ普段心の内でこっそりと馬鹿にしていた女子社員を、今なら馬鹿にできると思ったからです。イケメンで仕事ができて人気者の彼と親しくなれたら、私も一目置かれるかもしれない。先ほどは「戦う事を選ばなかった」などと書きましたが、本音を言えば、私も心の隅角では一人の女としての立場を欲していました。しかし今思えば、そのような出来心は、子供じみた無垢で罪深い好奇心に同じです。ああ、それはまるで、私の人生に染みついた血糊のよう!神が用いたドラマツルギーは、ひどく凡庸で粗朶で野蛮でした。
「『私』ちゃんと3人で飲みにいかない?」
遠藤さんの唐突なお願いにも、佐藤くんは快諾してくれました。そのままトントン拍子で話は進み、遠藤さんが"用事"を思い出して、ネオンが光る街に私たち二人は足をふみいれたのです。
前述の通り、佐藤太郎くんは誰にでも優しいです。私と肉体的な繋がりを得たとて、それは変わりませんでした。私は初心ですから、てっきりセックスをしさえすれば、その後はその人の一番になれると勘違いしていました。でも実際はそんなことは決してあり得ず、佐藤太郎くんにとって私はあくまで一同僚に変わりありませんでした。その高低差といいますか、佐藤くんから私に対する無関心さは嫌というほど伝わってきて、さしもの芋女も悲しい気持ちになります。せめて彼の気をひこうとあの夜以来、美容にも励んでいたのですが、どうも空回りしている気がしてなりません。美容とはその人をより美しく魅せるための技術ですが、私固有の美はおそらく佐藤太郎くんの好みに一致していないのです。私の骨格や肌色は、謂わば胸の開いた量産型OLで華開くタイプですが、佐藤太郎くんは黒髪ぴえん系の甘えん坊ちゃんがお好きなようです。さらに悲しい事には、佐ある日の新宿で彼がそのようなファッションの女性と腕を組んで歩いている姿を見かけたことでそれを知りました。辛いです。悲しいです。湘南新宿ラインの赤が信号のように思えました。私と佐藤太郎くんの今の関係性は、「ここから先立ち入り禁止」ということでしょうか。でも佐藤太郎くん、たった一度の関係でしたが、私はアナタのことをもっと知りたいんです。
数年後、佐藤太郎くんは会社を辞めました。転職に成功したそうです。そういう所が大嫌い。隠れた努力家で、素知らぬ顔をして要領がいい。魅力的と言わずして何といえましょう。彼ならきっと成功者になれます。
私はというと、向こうからアプローチしてきた男性と結婚することになりました。かっこよくないしイケメンじゃないし、スマートじゃないし、毛だって生えてるけど、まともではあります。彼と出会って私が変われたことといえば、佐藤太郎くんの気持ちが少々分かるようになったことでしょうか。全くタイプではない相手からのアプローチはあまり気持ちのいいものではありませんが、短期的には利用価値がある場合もあります。だから与える愛も消極的でいいのです。彼はそんな私の内面を察していたのか、あまり積極的に迫ってくることもありませんでした。結果、私たち夫婦の関係性は距離はありますが冷え切ってはいない、絶妙なものになりました。寂しさがないと言えば嘘になりますが、まぁ、完ぺきを追い求めるというのも贅沢なものと、自分に言い聞かせています。
ついこの間、佐藤太郎くんに纏わるネットニュースを拝見しました。未成年淫行か何かで逮捕されたそうです。馬鹿な男ですねぇ。
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