人形売りがみたキカイ人

今となっては霞のかかった昔話ですが、私はかつて人形売りを生業としていました。幼児が弄ぶ玩具から、蒐集癖に目覚めた大人のコレクション、はたまた首輪をつけた畜生によって涎まみれにされる綿詰めまで、私が取り扱う「人形」は多岐に渡るものでした。ええ、勿論一から全て手作りです。綿の選別のためにはインドの農場へ直接足を運び現物を眺め、フェルトはわが国で最も質を誇る工場より取り寄せております。肝心の縫製は私が担当しておりますが、これも胸を張って世界一の技術だと誇ることができるでしょう。時には木製もオーダーされることがありますが、得意とする分野ではないからといって質を落とすようなことは一切ありません。むしろ遊び心が試されていると思い、職人心が躍るものです。この場合、樹というものは中々繊細かつ香りも楽しめる材料ですから、顧客の好みによっては東洋から輸入した麝香を染み込ませることもあります。しかし顧客が必ずしも快適な香りを望むとは限らないもので、過去には、「主人の靴底の香りを染み込ませてくれ」との興味深いオーダーも受けた事があります。なんでもご主人はペケラノ戦争に従軍したっきり帰ってこず、残された私物は靴一足だけとのことで。初めは夜な夜な枕を濡らし、主人を待ち焦がれていた奥方ですが、5年も経つとある程度の覚悟が身に着いたそうです。かつての敵国で新しい家族を設けているとしても、生きていればそれで良し、天使の羽に触れたとしても、彼は天国へ行ったに違いなし、今できる事は彼の幸福を祈るのみだと、長い睫毛を伏せて彼女は語っていました。私はといえば、奥様の表情とは対照的に、瞳の底から爛々と燃え上がるものを感じていました。少々不謹慎でしょうが、私は自分が丹精した人形に完璧なほど歪な魂が宿る過程を直接目にすることができ、興奮していたのです。これは、手業と引き換えに良心を悪魔へ引き渡した人間による、穿った見方でしょうが、奥様が語るご主人への愛というものは、それほど潔白ではありません。口ではご主人の幸福を心より祈っていると語りながら、ご主人の魂が幸福へ至るまでの道を何としても阻まんとしているのですから。私の長年の人形売りとしての経験を参考にすれば、近しい人間を模した人形には魂の欠片といいますか、東洋風に言えば縁と言うのでしょうが、そういったものが宿ります。仮にご主人が天国の扉を叩き主の謦咳に接さんと言うならば、ご主人の魂は与えられた状態から一片たりとも欠けることがなく、完ぺきなままである必要があります。なのに空蝉にてご主人の魂の欠片を引き止めようというのは、悪魔の所業と言う他ありません。しかし私も悪魔と契約した人間であるからして、そうした行為には嫌悪感を覚える事はなく、むしろ黒褐色の恍惚に喜んで身を投じてしまうのです。そう、悦びです。悦びとはいつ何時であっても、糖衣を纏う幸福にございます。蕩けた心は時間感覚すら奪い、予定された期日を待たずして、私は仕事を完遂いたしました。

それから暫く経ってからの事です。私のもとに新しい仕事が飛び込んで参りました。なんでもお客様が手ずからお作りになった人形を、修理してほしいとのことです。使いの方は予算、期日共に完璧な条件を提示してきましたが、私としては環境あっての現物ですから、直接お屋敷の方にお邪魔させていただきたい旨を主人に伝えるよう、お願い致しました。そして数日たった後、馬車を伴って再びやって来た使者に連れられて、私はマキノ屋敷との邂逅を果たす事になったのです。

私の店はトラウザー大通りの一番街に面しています。トラウザー通りはいわば我が国の目抜き通りというものでして、宝石や香水に彩られたご婦人には事欠きません。前に語ったように、私に仕事を依頼しようものなら何かと金がかかります。そのため依頼元も富裕層に限られているのですが、慣例とは裏腹に、私を乗せた馬車は優美な都市部をどんどん離れていき、薄汚れた臭い土地へ向かっていきました。臭いといっても、強い香水に鼻を詰まらせる感じではありません。古代より延々と続く生命の営み、糞尿の臭いです。それが強くなればなるほど、路面も平易ではなくなっていきます。私は車輪の鼓動に引っ張られお尻を浮かせつつ、これまた薄汚れた御者の背中越しに外を眺めていました。

しばらくして、泥や藁といった地の泡が消えると、ふと馬車の中が甘やかな自然の香りに包まれました。それだけではなく、路面の左右に沿う木々も、我々人間が規定する美を備えていました。美を扱う職人として何か参考になりやしないかと目を凝らしていると、悲しいことに、木々は途絶え、道の左右が開けてしまいました。我々の軌道は、右に一度大きなカーブを描き、左方奥手を終着点とするようです。同一点上には白妙の城が鎮座しています。

「あれがマキノ屋敷です」

使者が指す先もまさにそこでした。

近づいて見ると、マキノ屋敷の外見はまさに地上の白玉楼です。漆喰の壁はよく手入れが行き届いた清潔さを保っており、伐採と生育が芸術的な配合で迎合した庭は神秘的な生命のダイナミクスを表現していました。小動物の愛くるしい鳴き声も、ここでは讃美歌に勝る感動を誘うことでしょう。ピレネーは、太平楽の画家が描く陽光にも似ています。リンドウは哀惜の花とは師匠の言葉ですが、このマキノ屋敷で微笑む姿を見れば、意見を一変させることでしょう。他にもタマシャジン、ホタルブクロ、モンタヌム、ロンギフロラと、天衣無縫の花々を上げればキリがありません。嗚呼、私がカリオペの寵愛を受けていればいいのに!叙事詩の女神による加護なくして、マキノ屋敷の美しさを如何に語ることができましょうか。美を存分に語る口を持たぬのも、悪魔と契約した代償なのでしょうね。

屋敷の内観は、外観に劣らぬ品と気高さを持ち合わせていました。そして屋敷は主人に似るとはよく言ったもので、マキノ屋敷の主人であるマキノ・ユーゴは文句のつけようがない美男子だったのです。その美しさたるや、私が女であったならば、おそらくはチャームの魔法にかかっていたことでしょう。しかし、ここまで来るとその神がかり的な金髪も、もはや予測通りであるため、私は理性的な人形売りとして平然を装う事ができました。

「実に見事なお屋敷ですな。巷では美の匠とうたわれる私ですが、貴方様の馬小屋を作るにも及びますまい」

メイドが運んできた紅茶を啜ると、幸福作用のある魔法をかけられた気分になりました。この味は、およそ我が国で味わう事ができないでしょう。つまり、どこぞの秘境から取り寄せた品に違いありません。はなから妥協する気はありませんでしたが、私は己の双肩にかかる仕事に一層の責任を感じました。

反射的に目じりを広げた私をよそに、私の目の前に座る美男子は涼しい顔で紅茶を堪能しています。ふと、長く煌びやかな睫毛が持ち上がると、サクランボのような、愛らしいぷっくりとした唇からようやく美声が零れてきました。

「貴方に依頼させていただいた人形ですが、これからお見せいたします。少々驚くやもしれませんが、どうかお気を悪くされてないでください」

マキノ青年は慇懃な所作で立ち去ると、小柄な人間を抱えて戻ってきました。小柄な人間、というのは正確ではありませんね。美青年の腕の中でぐったりと体を傾けているモノは、限りなく人間に近い形状の人形でした。マキノは人形をまるで陶器を扱うような丁重さで下ろし、瀟洒な卓上に乗せました。

「なんということ!」

私の口からは思わず悲鳴が漏れます。テーブルの上で力なくほほ笑むソレは、華々しい館や主人とは対蹠的な、醜男でした。ソレの創造主は、ソレから背丈と五体の美しい均整を奪い、形を歪め、半分は未完成のままこの世に生み落としていました。見る者は漏れなく、ソレの醜悪さに吐き気を催すでしょう。勿論貴方もです。しかし主人は爛々と光る瞳をちらつかせて、私に柔らかに言い放ちます。

「ええ!なんということ!これ以上に美しい存在がこの世にありましょうか!」

一瞬、私は己の耳を疑いました。客商売をやっている以上、時には蚊の鳴くようなお声も聞く必要があります。そして長年の経験を経た私の耳は、1km先で針が落ちる音でさえ逃しません。しかし私の脳に伝わってきた情報は、間違いなく私の予想の正極に位置するものでありました。上流階級には屡々常識から外れた紳士の方も確かにいらっしゃいますが、これほど野蛮で、無秩序で、おぞましい造物を、品位と清潔に囲まれた方が愛するとは到底信じられません。うん十年と忘れていた感覚に、私は当惑の笑みを浮かべる他ありませんでした。

「美しい…ですか。ほぅ……」

「ええ、美しいですとも!この世のあらゆる生命よりも。神に誓って、これは僕の本心です」

マキノ青年はトランスにも似た興奮を抑えつつ、遠くを見つめる瞳に引っ張られるように、唇を上下させます。

「見てください……この腕。まるで野良犬に食われたかのように残虐な形状をしているでしょう?肩は、エピュロフ山脈の怒りを彷彿とさせる力強さに加えて、愛おしい事に、自然に忠実な、左右非対称だ。腹部の瘤はだって…ああ、愛おしい。なんてグロテスク!」

マキノ青年の瞳は蕩けた桃のように甘く、ジュクジュクとしていています。私の思わずゾッとして、背筋に錐を刺されたような気分に陥りました。それから私は恐る恐る人形を預かり、生きた心地がしないまま店へ帰ったのです。


数日後、人形を解体する作業で、私は世にも恐ろしい悪行を目にすることになりました。人形には肛門が備わっており、内部の皮袋に繋がっています。興味本位で私が革袋を逆さにすると、強烈な悪臭と共に黄みがかった白濁液が零れ出ました。慌てて拭き取っている最中、私はこの液体の正体を知っていることに気が付きました。そう、男根より吐き出され、ヴィーナスを生みし液体です。汚れた布巾の模様は、匣を開けたパンドラの泣き顔のように見えました。

ここから想像できる事象はただ一つです。天使のように美しいマキノ青年は、この世にも醜悪な人形を性の慰みに利用しているのです。人形が手元にない今、彼は如何様に過ごしているのか。それを想像しただけで私は身震いがしました。しかし私めの仕事は人形を直すこと、それだけです。震える手元に発破をかけながら、私は革袋を元の位置に戻し、ネジやゼンマイの整備に勤しみました。

人形は想像以上に精巧な造りをしていたため、修理にはかつてないほどの期間を要しました。そのためマキノ青年の元を再び訪れたのは、あれから数か月後になってしまいました。

マキノ青年も館も、私が初めて訪れた時と変わらぬ美しさでした。庭の自然は衣替えを終えており、再びトラウザー通りの下品さに慣れてしまっていた私には、よき刺激になりました。

人形を手にしたマキノ青年は、非常に満足げな様子で私にほほ笑みました。ミルクの頬はバラのように赤く染まり、長く煌びやかな睫毛と美声は、天使の琴糸に例える他ありませんでしたが、私は一つ、たった一つだけ、彼の微細な変化に気が付きました。マキノ青年の、首の動きがどうにもおかしいのです。病を抱えている様子はありませんでしたが、以前お会いしたような、柔らかな人間味といいますか、余裕を包括する品が薄くなっているのです。それはまるで舞台上のマリオネットのようにカクカクとしていて、魂の抜けた塊にも見えました。しかし私は既に仕事を終えた人形売りの身ゆえ、青年に違和感の正体を聞く事もなく、その場を立ち去りました。

馬車に通じる道を歩く最中、ふと後ろを振り返ると、私が先ほどマキノ青年とお話した部屋が見えました。マキノ青年は丁寧にも、窓越しに私を見送っているようで、私と目が遭いました。異形の人形を除けば、やはりマキノ青年は美しい存在です。改めて関心していると、私は足元から落下しました。


ふと目が覚めると、そこは馬車の中でした。私は船を漕いでいたようで、既に外の風景はトラウザー通り近くになっています。今しがたの出来事は、夢が見せた神秘体験なのか、はたまた……首をひねると、後ろから何かにビンッと引っ張られる感覚がしました。ギョッとして首筋を触りますが、何もありません。襟も探りましたが、いつもと変わらぬボロ布しかありませんでした。

馬車はそのまま店に到着しました。既に時間も遅いため、明日医者を呼ぼうと思いつつ馬車を降りると、馭者が私の手首をつかみます。

「旦那、医者を呼んでも無駄ですぜ。首のソレは一生旦那に付いて回ります」

私の様子を見ていた上で、ふざけているのだろうか。しかし馭者の目は真剣そのものです。おそらく彼の目を見たものならば判官でさえ証言を真実であると認めるでしょう。私は気圧されつつ、尋ねました。

「どういうことですか?」

「旦那、それはね、悪魔の呪いなんです。人形を直して、アレを出しちまったでしょう?アレに触れた人間はね、首に見えない糸を巻かれて、悪魔に死ぬまで操られちまうんです。俺の首も、ほら、すーっとね」

馭者は指毛にまみれ節くれだった指で、その太い首回りをなぞります。

「何、今すぐ死ぬことはありません。ただ、悪魔に操られてるってことは悪魔に都合のいい行いをさせられるってことは、忘れないでくだせぇ」



私の首をご覧ください。先ほどから妙な動きをしているとは思いませんか?そう、私は今もなお、悪魔の呪縛から逃れることができていないのです。そしてマキノ青年は、あの若く美しい容姿のまま、今も館で人形と暮らしているそうです。



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