最近ニュースについての雑記-集団デモ-
この記事が目についた
過去に堀江貴文氏が痛烈に批判した「年金デモ」と全く同じ構造である
また同じことをしている
正直、デモを行ったとて、現状に変化は生じないことは多くの人は気づいたうえで行っていたのではないだろうか
それでは、参加者はどういった心象により参加していたのだろう
何が目的なのだろうか
予想される心象
デモになぜ参加したか
その理由についてふと何故かを考えると、パッと思いつくのは、次のとおり
・正義感
・信条
・雰囲気
正義や信条については、確かに、yahoo のニュースへのコメントや Twitter で主張をする多くの人が30 代前後であるとの話を聞いたことがある
またある程度の役職についている、世間的には社会的な地位が高いとされる層であることが知られている
これが正義である
それが民主主義だ
ネットに目を通すと、自らが定義した言葉を丁寧に紹介してくれる様が見受けられる
しかし、記事の画像を見るに限り、年配の方の参加が多く確認できる
つまりネットで誰かが思い思いに「正義」等を主張している現象とはまた異なるのであろう
ここで、話題に関連する面白い記事に目を通す
この記事には、国葬の反対は 6 割超、手続き違反、安部元総理の実績はほぼ無し
ということが記載されている
コメントには、ストローマン論法よろしく、何の話をしているのかさっぱりわからないことが長文で並んでおり、とても読む気にはならない
つまり、そういうこと、この記事のとおりなのだろう
デモの参加者は
「国民」の大半は国葬に反対していて、
政府の活動は民主主義に反しており、
生活が豊かでないのは安部体制のせいであると思っている、
ということだ
現に、先に紹介した記事において次の記載がある
『「集団的自衛権の行使を容認するときも閣議決定だった。国葬もそう。勝手に決めるな、一番憤っている」と表明。
「閣議で決めれば何でもできる。国会を通せ。それが民主主義だ」』
なんだ、参加者の心象はここに明らかにされているではないか
本当のところは?
しかし、本当にそう思っているのだろうか
はっきり言って、記載された文書だけからすると、言い掛かりの印象を拭えない
閣議決定の本質は何か?
勝手に決まらないものなのか?
国会を通したら欲求が満たされるのか?そうだとして国葬が議決されたのなら、デモ反対の目的を果たすのか?
民主主義のような解釈の難しい概念を断定できる根拠は何か?
デモの参加者はこれらの質問に明確に答えられないだろう
なぜなら、答えられるならデモに参加しないからだ
つまり、記事に記されていること等、参加者は本当は考えていない
いうなら、メディアが流したものをそのまま受け取り、自分の意見だと錯覚しているだけだ
さらに言うなら、何も考えていない
何も考えていないから、本能で行動をする
「危ない」と感じたときに反射的にアクションを起こす
「私」の納めた税金が無駄に使われる、デモをして阻止せねば
「私」の持つ国民の権利が侵害される、デモをして守らねば
といった具合に
要するに卑しいのだ
欲深いだけなのだ
税金は自分に還元されると思っているし、
「権利」なんて正体不明の何かを本当に有していると思っている
そこをマスメディアに狙われる
断片内容で煽りの記事を大量に流しておいて先導しよう、という企みに乗せられる
つまり、このデモをするという現象は、サバンナよろしく、卑しさが招く自然現象であるといえる
雨が降ったと同じレベルということだ
まとめ
メカニズムはあるが、原因など無い
そういった構造なのである
従って、対策もない
そもそも、何の対策かはわからないが
ただ、仕組みを理解し、俯瞰して、自分がそうしないように努めることは意味がある
理性・生産性の没却した行動から脱却するためだ
年金デモの際、堀江氏は「税金泥棒」と大衆を批判した
ごもっともである
それに対して「怒り」の感情を持つということは、やはり「税金泥棒」なのだ
まとめると、次の通り
・デモのような集団行動は自然現象
・極論はこれ「私を守れ」
・こういうことに対しては何も思わないことが善い
・今日も大衆は扇動されている
AIが進出する近未来、仕事を奪われるのは、加速する情報化社会にどっぷり浸かった人なんだろう
Twitterでも、考えをツイートしています
役に立つことが私にとって、徳ある善い行動であるため
覗いていただけると光栄です
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