「ハングリーであれ。愚か者であれ」(後編)
おはようございます。りくです。
ジョブズの名スピーチを読み解くシリーズ、後編です。
今日は、ジョブズのスピーチの三つ目の話、
3.死(Death)
についてみていきます!
1.点と点をつなぐ(Connecting the dots)
2.愛と喪失(Love and Loss)
3.死(Death)←ここ
ではいきましょう!
全文(英文・和訳)はこちら。
3.死(Death)
ジョブズの最後の話は、死について。
死を意識することが、生きるうえで
大切なことを見つけるのに役立つとジョブズは説きます。
3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
すい臓がんの診断
そして、ジョブズ自身が
もっとも死に近づいた体験を話します。
スピーチの1年前、すい臓がんの診断を受けていました。
1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。
これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、
と言われたのです。
診断を経てジョブズが気づいたこと
診断を受けた後、精密検査をした結果、
実は治療可能であることが判明しました。
九死に一生を得た経験から、ジョブズは、
死と向き合うことが大切だと確信を持ちました。
一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。
人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。
死は、生命の最高の発明である
この学びをジョブズは、「死が生の発明である」と表現します。
おもしろいな、と思います。死があっての生であると。
そしてそれが逃れられない真実だと。
誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。
死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。
自分の心と直感に従う勇気を
だからこそ、他人に考えに従って生きてはいけない。
自分の心と直感に従う勇気を持つこと。
それが何より大事であり、ほかのことは二の次であると。
あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。
私の死に接した体験
わたしがもっとも死に近づいた体験は?
わたし自身が死を感じたことは幸い、なかった。
もっとも身近な人が死に近づいた体験は?
母が乳がんで入院したときのことだろう。
しかし当時、あまり実感が持てなかったことも確かである。
ほんとうに家族が亡くなるということがあるのだろうか?
まだのんきな自分もいたような気がするし、
それと向き合うのが怖かった自分もいたと思う。
治療の結果、母が無事に回復し、いまも健康である。
しかしあのとき母が亡くなっていたとしたら?
おそらくいまのわたしはいないし、価値観も変わっただろう。
いまのわたしのまわりの「生」をあたりまえと受け取らない。
じぶん自身の「死」をイメージしづらいとしても、
まわりの「死」がいつ訪れるかわからないと思って生きる。
(確率的にははるかにそちらが先に訪れる可能性が高い)
そう思うと、家族を傷つけようとか、文句を言おうとか、
そんな気持ちはいっさい消え失せていく。
ほんとうにだいじな気持ち、感謝、尊敬。
それらを言葉にして、後悔のない毎日を送りたいものです。
キャリア観でも「終わり」を意識したい
死とはつまり、「終わり」のことになるでしょう。
であれば、仕事やキャリアも「終わり」を意識したほうがよい。
それは定年かもしれないし、広義の引退かもしれない。
会社の決める定年ではなく、じぶんで終わりを決めてもよいのでしょう。
40歳定年制が物議をかもしましたが、長い人生を考えた時、
どこかで自分のピリオドを持つことはよいのかもしれません。
やりきったといえるように、「終わり」をつくっていく。
リスタートすることが、次の「生」のはじまり。
そうして生まれた次のキャリアが、「終わり」を発明していく。
そんなキャリア観もありかなと思いました。
ということで今日はジョブズのスピーチ
3.死(Death)
についての話でした。
次回はあとがきとして、
ジョブズのおわりの言葉とともに
振り返りをしたいと思います。
それでは今日もよい一日を!
ジョブズの問いかけを胸に刻みながら。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」
Have a nice day!!
りく
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