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教育の成果はいつあらわれる?

おはようございます!
 
昨日は人口問題に関して書きました。
 
最近は、E.Toddの人口の話に関心を持ち、
物事を理解するときの指針の一つ
とするくらい大切にしています。
 
自分の考えの中で
自然なものになっているので、
昨日は人口問題を書いたのでしょう。
 
しかし、思い返すと、
私は人口問題はつまらない学問だと
大学時代に思っていました。
 
極めて長いスパン
50年とか100年とか
それ以上の時間軸で、
人口が増えたの、減ったのとやります。
 
それも統計処理がどうのこうのと
数学のような印象を持っていました。
 
学者になると
こういうつまらない専門家になるのか
と見切ったつもりでもいました。
 

 
それほどつまらないことに
何故、出会ったかというと、
切ない事情があったのです。
 
当時一番人気のあったゼミナールは
国際関係論でした。
そこに応募しましたが、
選考で落ちてしまい、
気がついたら
どこのゼミも定員いっぱいで
入るところがなくなっていました。
 
「ゼミなしっこ」と呼ばれていました。
仕方がないので、
知り合いでもない
「ゼミなしっこ」が3人集まって、
ゼミを開いていない教授を口説いて
ゼミを開いてもらおうと企てました。
 
3人の訴えを聞いて
仕方なくゼミを開いてくれたのが
人口問題を専門にしている教授でした。
 
人口の勉強はつまらないので、
卒論は食料問題を取り上げました。
 
学園祭では、
食糧問題の討論会を開き、
各界の偉い人に来てもらったりもしました。
その運営はとても稚拙なものでしたが、
先生は付き合ってくれました。
 
当時の自分は、
本当に世間知らずで、
礼儀もわきまえない
とんでもない人間で、
今思い出しても、
胃がきゅっと痛くなります。
 
それでも、
相手をしてくれた先生や大学とは
すごい組織だと思います。
 
そんな自分が60歳を過ぎて、
一所懸命に人口問題の本をあさったり、
文章にしたりしているのです。
 
教育とは、
いつ芽を出すかわからないものです。
効率などで測れるものではありません。
 
そして、その教育は、
値段をつけて売り買いできるものではなく、
御恩としか表現できないものです。
 
その御恩は先生に返すことはできず、
次の若者に返すことでしか
帳尻は合わせられません。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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