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僕が政治を諦めない理由~なぜ政治なのか、民間ではできないのか~

先日、滋賀県の元知事である、嘉田由紀子さんの事務所に行ってきた。
嘉田さんの事務所は僕が住んでいる家のすぐ近くにあり、歩いて10分もしない距離にある。

その時に対応してくださったのは嘉田さんの秘書の方であった。沢山お話してくださった。
なぜ秘書さんが政治に興味を持ったのか。
今の仕事をする前はなにをしていたか。
今の政治についてどう考えていて、東日本大震災の前後で政治はどう動いていたか、、、などなど、沢山お話してくださった。

秘書さんのお言葉

その時に、僕が秘書さんに言われた言葉で、とても考えさせられた言葉があった。

「なぜ政治の世界に入るのか、それは民間ではできないことなのか、ということを考えることも大事なことの1つですね」

ということだった。その後、しばらく考えて、僕がたどり着いた結論はこうだ。

「必ずしも政治でしなければならないわけではないし、必ずしも政治の世界に入らなければいけないというわけではない。しかし、僕や、僕と同じ世代の若者が政治の世界に入っていくことにこそ、大きな意味がある

と思いました。なぜこう思ったか、説明していきます。理由は2つほどあり、1つは経済的な観点から、そしてもう1つは社会的な観点から。

経済的な面から考えた理由

まず一つは「合成の誤謬(ごびゅう)」を正したいと僕は思っている。合成の誤謬とは「ミクロ(小さい)の視点では合理的に思える判断が、マクロ(大きい)の視点で見ると、非合理的な結果をもたらしてしまう」ということである。

例えば、今の日本社会で考えてみると、日本は未だ抜け出せないデフレの中にいると言われている。簡単に言うと、デフレとは時間の経過とともにお金の価値が上がり、物の価値が下がっていくことを言う。

例を出すと、今300円を払えばリンゴは2つしか買えないが、1週間後に同じ300円を払えばリンゴを4つ買える可能性がある。リンゴだけでなく、おもちゃや車など色んなものが、「今」買うよりも「後で」買う方が得になるのだ。となれば、多くの人がお金を出し渋るようになる。

でも、それで良いのである。今買うよりも後で買ったほうが得なのだから、今はお金を出さなくても良いのである。後でお金を出せば良い。それは合理的な判断である。ミクロ(個人)の視点では。

ここで重要なのは、経済というのは、たった一人で形作られているものではないということだ。この国の経済がたった1人によって作られているとしたら、ミクロ(個人)の観点から合理的だと思われる選択をすれば良い。しかし、この日本では、1億2千万以上もの人々が経済を形作っている。

ミクロの視点では合理的だと思われる「お金を今出さずに後で出す」という選択をマクロの視点から考えた時、それは必ずしも合理的な結果をもたらすわけではないということがよくある。

お金を出し渋る人が増えると経済の血であるお金が滞るようになる。消費者はモノを見ても今は買わない。そして生産者はモノを作ってもうまく売れない。となると売上や収益も減る。原材料費や仕入れの値段を下げるのが難しいとなったら、値下げの対象となるのは、人件費だ。結局、コストカットという刃が人に向くのである。人件費が下がったら、さらにお金は出しづらくなる。そしてさらに売れなくなり、また人件費が下がり、、、と悪循環が続く。

こうなれば、個人的に見れば、必要な支出でさえ渋るようになる。そして、企業側も、多くのお金を出す体力がもう残されていないかもしれない。そんなときに誰にも出来ないほどの大胆な支出が出来る存在は何か。

そう、政府である。

政府の財源の中には税金もあったり、そんなことできるのか!?僕自身思っていたが、そもそも、その税金すら政府がつくり出したお金であることに、勉強をするうちに気付いた。

合成の誤謬が起こると、最初は自分にとって合理的な判断だとしても、巡り巡って最終的にその影響は自分の所に戻ってくる。結果として、多くの人が苦しむことになる。だから、この合成の誤謬を正し、個人も、全体も結果として悩んだりしないような経済社会を作りたいと思っている。

そうすれば、もしかしたらきっと今よりは、皆が色んなものを分け合えるぐらいの余裕が出来る社会が作れるかもしれない。困ってんのは自己責任なんていう冷たい言葉がこの社会からなくなっていくかもしれない。

という経済面からみた理由。

社会的な面からみた理由

若者の中には、LGBT、多様性、気候変動、などなどその他の問題に関心を持ち、さらっと受容し、そして発信している人がいる。

こうした問題も、民間でどうにかできる部分は沢山ある。LGBTも多様性も、気候変動も環境問題もこれらに関するサービスは民間には沢山あるだろう。

しかし、「政治はどうしようもない」「かたそう」「つまらなさそう」というイメージが抱かれている政治だからこそ、若者が思うことを積極的に政治から発信していくことにこそ、意味があるのではないかと思っている。

実際に政治が大きく動けば、そこにかすかながらでも希望を抱く人は沢山いるだろう。

「自助でどうにかしてね、困っても自分でどうにかしてね」と言わない政治が、作れるかもしれないと本気で思っている。

ちょっと論理的ではないが、そんな感じがしてならないのである。

だから僕は、政治を諦めない。


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