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緊急事態宣言 問われているのは「命と命」であり「経済か命か」ではない

僕は1ヵ月程前まではコロナに対して決まった意見を持っていた。しかし、最近は何をどう考えても、思考の泥沼にはまっていくばかりで、まるで何も分からない。分からないけれども、今日は緊急事態宣言を受けて僕が思ったことを書く。

あるニュース司会者の言葉

緊急事態宣言が1月8日から2月7日まで宣言されるらしい。この緊急事態宣言の発令を受けて、あるニュースの司会者がこう言っていた。

「『経済か命』どちらを優先するか、もう決める時にきていますね」

僕はそれに違和感を覚えた。緊急事態を発令しようがしまいが、「経済か命か」どちらかを選ぶということにはなり得ないだろうと感じたからだ。それがなぜか、考えてみる。

緊急事態宣言を発令しなかった場合、今まで通り感染もしくはPCR陽性者が増える可能性がある。そうすれば、高齢の方を中心に苦しむ人や、命を落とす人が増えていくかもしれない。発令しない場合、コロナ患者の方の命をどう守るかが非常に重要になる。

それでは、緊急事態宣言を発令すれば、「命が助かるから良かった」となるのかどうか。今の日本では、緊急事態を宣言すれば、死ななかったはずの命を救えるかと言えばそうではない。発令しても、守らなければならない命があることに変わりはない。

どんな立場であれ、つねに「命と命」である

つまり、どんな立場に立とうが、問われているのは常に「命と命」なのである。

何度も話題に上がる「自殺」などの問題がある。緊急事態を発令しても、亡くなってしまう命は今の日本だと、まだまだ多く存在する。

10月の自殺者数だけで、年間のコロナでの死者数を上回ってしまったらしい。

そして、7月以降5か月連続で去年よりも自殺者数は増えているし、気がかりなのは女性の自殺増加が顕著だということだ。女性は初任給も男性より低い場合があるし、育児休暇を取ったら職場復帰しにくくなる現状もあるし、社会的になにかと男性より不利になっているケースがある。(もちろん男性が何も我慢してないかと言えばそんなことはないですよ)そうした、弱い立場にいる人が死を選ばざるを得ない社会の在り方に、おかしさを感じる。

そして、働き口がなくなり、収入は減り、これから回復する目途を立てることも難しくなる。それが緊急事態宣言発令により、一層強くなるかもしれない。その結果、将来に絶望し、死を選ぶ。従って、緊急事態宣言をすれば、命は救われるのだ、と単純に結びつけることはやはり難しいということだ。

問われているのは命か経済か、ではなく、命と命である。

コロナにかかって亡くなってしまった方も、亡くならなくてすむはずの方だったかもしれない。

それと同じように、緊急事態宣言発令を受けて仕事を失い、将来に絶望して自殺をしてしまう若い人や女性、学生だって、亡くならなくてすんだはずの人だったかもしれない。

皆それぞれの悩みがある。だから「誰かのせいで」とは言えないはず

それなのに社会ではこんな声を聞くことがある

「若者はコロナで死なないからいいかもしれないけど」

それは違う。若者だって苦しんでいる。学生なのに、死を選択せざるを得ない人だっている。

社会において、「この人が助かるからこの人は亡くなってもしょうがない」
という状況が当たり前になることなど、あってはならない。なぜなら、社会でそれが起こっているということは、もはや政治の問題だからだ。そういう状況を起こしてしまう政治的な問題がどこかに潜んでいるはずなのである。

医療の世界でトリアージが起こるということは、医療業界の方も仰っていたので、医療の世界ではあるそうだ。
もしかしたら、医療崩壊を避けるため、そうしたトリアージせざるを得ない状況を作らないため、ということからも、緊急事態宣言を出すのかもしれない。

しかし、医療崩壊が起きて、コロナの患者が死なないように、患者さんを守るために、として政策を実行し、その結果、緊急事態宣言の影響で他の命が失われてしまった、などということはあってはならない。もちろん、逆もまた然りである。他のある命が重視され、その結果コロナ患者の方の命が軽視されて良いかといえば、そんなこともあってはならない。

それと同時に、医療崩壊のリスクが実際の所どれ程のものなのかということも、非常事態宣言を出すのであれば考えなければいけない。医療崩壊のリスクについて書かれている記事はこちら。

「医療崩壊はしませんよ」ということを主張している記事を載せるなら、もちろん反対意見も重要なので、「病床が足りない」という記事もこちらに載せておく。

また、この記事に書かれている病床が「なんの病床」なのか。「コロナ対応」のみの病床なのか。「全体」の病床数から見たら今度はどうなるのか。もっと拡張できるポテンシャルがあるとしたら、それは実現可能なのか。などなど、こういう面から考えることも大切である。

まとめ

最後に言いたいことを整理する。

緊急事態宣言を発令しようがしまいが、問われているのは

「命と命」であるということだ。

もし非常事態宣言の影響を受けてコロナ以外の要因で失われてしまう命があるとしたら、それはもはや医療問題などではなく、政治問題である。

どうしたら生存確率の高い人と低い人の接触を減らせるか。困った人が給付金などをもっと受け取りやすくするにはどうするか。お金だけではない、食の流れをどこにどう変えればいいのか。若者の生存率が高いなら、それを受けて若者はどう社会で動いていくのが良いのか。

どちらかの命を重視してどちらかの命が軽視されるという状況は、社会的な選択によって起こってはならない。

医療で守れる命も、政治で守れる命も、どちらもあるはずだ。

忘れてはならない。1つの国が文明国家であるかどうかの基準はたった一つ、それは「弱者に接する態度」であるということを。

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