見出し画像

ニューヨークの市民性と、日本の国民性

日本では、今日か今週末からほとんどの都道府県で緊急事態宣言が解除されたということですね。
ニューヨーク州でも、いくつかの地域で通常に戻るステップが始まりますが、私の住むニューヨーク市では、自宅滞在令が6月13日まで(あと1ヶ月間)延長されました。
ほんとうにこれから経済を含めた社会のシステムが、どう変化していくのか目が離せません。

個人的には、普段は毎日通勤でオフィス勤務とか、コロナの影響で職をなくしたとか、そういった人々に比べれば、ほとんどなんの変わりもない生活なのですが、
さすがにもう2ヶ月くらい自宅滞在令が続いているので、パソコンでのデスクワークをたまには環境変えて、カフェとかに行ってやりたい、、、とか、なんとなくの不満は感じています。

というわけで、最近は天気のいい日は近所の公園でパソコン作業したりしています。
この2ヶ月の間に、肌寒かった冬の気候からすっかり春めいてきて、さすがに5月も半ばなので、初夏の清々しい気候の日も多く、公園は多くの人で賑わっています。

世界的にはロックダウンと言われる、罰金や処罰の伴う法令を出している地域もたくさんありますが、ニューヨークでは厳密にはロックダウンではなく、オンポース(On Pause)といって、ニュアンス的にはちょっと一時停止、といった政策です。リモートワークに切り替えるとか、最低限の社会活動に必要不可欠なビジネス以外はお店を開けてはいけないとか、そういった事以外では、日本と同じように必要のない外出は控えるという強制力のない自粛といったかんじです。

4月の中頃には、外に出る時にはマスクか鼻と口をカバーできるものを持ち歩き、社会的距離(ソーシャルディスタンス、約2メートルくらい?)を取れない場所ではマスクやそれに代わるものを装着するようニューヨーク州からおたっしが出ていて、スーパーなどの屋内にはマスクなしでは入れてもらえなくなったし、基本的にマスクなんてしてる人を見かけることなんてめずらしいアメリカで、沢山の人がマスク姿で歩いている様子には今でも違和感を感じます。

屋外では社会的距離を置いている限り、マスクの着用は義務付けられているわけではないけれど、公園などで社会的距離を置かずに人と集うことについては、最高$1000ドルの罰金が課されることになっています。

とはいえ、こんなにいい季節に仕事に行けない人達で溢れている市内の公園は、軒並みどこも人で溢れていて、家族や友人達との時間を楽しんでいる光景を普通に見かけます。
一応、マスクを着用して集っている人達もいれば、そんな事を気にせずにマスク無しで集っている人もたくさんいて、私の近所の公園ではお巡りさんが歩いていても、そういった事は黙認されているような印象を受けます。

ですが、びっくりしたことに、先週くらい?にこんなニュースをみました。
ニューヨーク市内で社会的距離を置いていないことにより警察が始動した件数が125件くらいあり、もっとえげつないことに、その内のたった5%くらいが白人だった例で、65%くらいが黒人だった例、30%くらいがヒスパニックだった例というのです。

日本でしか生活してないと、この統計が示唆するところのニュアンスにピンとくることは難しいかもしれないけど、これは、白人はしっかり法令を守って有色人種は守らない傾向にある、といったことでは無いんです。
そうではなくて、同じ行動をしていても、有色人種の方がこういった法にひっかかる傾向にある。つまり、警官達には意識的か無意識的に白色人種に対するバイアスがあり、有色人種、特に黒人やヒスパニックに対しては逆のバイアスがあるということなのです。
やっぱりここはアメリカ。人種差別が今でも根強く残っているのが、こういった件で浮き彫りになります。

もちろん私が目にするのも、人種に関係なく様々な人々がマスク無しで集っている様子で、近所の公園に限っていえば、どちらかというと、白人グループの方がマスク無し率が高いような印象さえ受けます。
(でもこれは、ハーレムという歴史的に黒人の多い地域なので、白人の人達もこの10年くらいでかなり増えてきたとはいえ、まだなんとなく彼らの存在は目立つからかもしれません。自分がどんなバイアスを持っているか客観的に判断するのはなかなかむずかしいですね。)
こういったことは、アメリカに住んでいて数少ない嫌だなと感じることの一つです。

私個人的には、マスクなどは息をしづらいし、耳にかかるゴムの感じも嫌で必要不可欠な場面でしか着用しないですが、一昨日は一人で公園を歩いていると、ボランティアなのか、警察の部隊なのかか寄ってきて、「はいこれ、付けなきゃダメだよ」と、使い捨てのサージカルマスクを何枚も親切にくれました。どうやら、こうやって公園などを徘徊して無料でマスクを配布しているらしいのです。
めんどくさいことにならないように、笑顔でお礼を言って受け取りましたが、内心「うぜーな。ほっといてくれよ!」と思っていた事はここだけの秘密です。


ニューヨーク市ではしばらく前に、社会的距離を置かない人達がいたらそれを簡単に警察に通告できるシステムとして、市長のデブラジオ氏が専用のテキストメッセージの番号をつくりました。携帯でパシャリと社会的距離を置いていない人々の写真をとり、ささっと専用の番号にその写真を送れば警察がやってきてくれる、というシステムです。
私は、そんな市民同士でお互いを監視し合うよう仕向けるシステムを、「ほーら、こんなに簡単。すごいだろ?」といわんばかりに説明しているデブラジオ市長をテレビで観ながら、嫌気を通り越して憤りを感じていました。

何かやらかすと、近所の人や家族からでさえ「非国民」と言われて村八分にされた、という戦時中の日本の話を思い出しました。そうでなければ、これってもはや中国共産党のような制度。アメリカでこんな事がはじまるなんて。。。

ところが、その発表後の週末に奇跡は起きました。
その通告のための専用の番号には、デブラジオ市長の顔にヒットラーのヒゲを加えた写真や、中指を立てた手の写真、チ○コの写真などが市民から大量に送られてきて、システムを一時停止しないといけない事態になったというのです。
(チ○コの写真は、"Suck my dxxk!"という言い回しを表現するためのもので、これは直訳すると卑猥な意味だけど、この場合実際には、誰かを屈辱的に侮辱する為の言い回しです。)

日本人の感覚からするとかなり下品かもだけど、あぁ、こういった自己の自由や権利を守ろうとするアメリカの気質は大好きだなぁ、と、なんだか人間捨てたもんじゃない、と嬉しくなりました。

それとは逆に、日本では、自粛をしていないビジネスや公園で集う人々をわざわざ警察にチクる「自粛警察」と言われる一般市民がたくさんいることや、他県のナンバープレートの車があるとそれを写真にとり、「自粛していない」と誹謗中傷の内容でSNSなどを通して晒しものにする「他県ナンバー狩り」という現象もあるとネットを通して知りました。

大好きな人達や文化に溢れる、大好きな我が故郷ながらも、そういったところはやはり、日本の好きになれないところだな、と感じてしまいます。それぞれの立場にそれぞれの事情があるのだろうし、全員がそういう事をやっているわけではないわけだし、小さいところを切り取り誇張された情報なのかもしれないけれど。

これは、国民性なのか、それとも「自粛警察なんてこんな都合のいい事はない」と思っている法の執行者達が、その存在を助長する何かをしているのか。。。

なにはともあれ、緊急事態宣言も解除されたことで、こんな市民同士で監視し合うような息苦しい生活も終わるといいですね。もちろん、お互いの健康のためにそれぞれが常識的な事はやっていればの話ですが。
(この常識的な事、ってものの認識がそれぞれなところが難しいのだけど。)

いいとこ、わるいとこ。好きなとこ、好きになれないとこ。どこにでもいろんな面があるけど、こうやって文化や風俗、民族性の違いを直に感じられる立場にいるのは、本当におもしろいなと、コロナ騒動のなかで思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?