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【また連載終了】2つの五輪汚職事件の共通点 贈収賄と談合 東京地検特捜部も手を焼くメディアの腐敗

世の中の事象はメディアが報じれば存在するし、報じなければ存在しないことになっている。リアルとバーチャルの境界線というが、しょせんその境目はメディアによって作られている。

ネットの発達により、かえって情報が希釈され、現実がみえにくい。メディアというフィルターは逆機能を果たし、ますます何が起きているのか判断が難しくなっている。

東京五輪を巡る汚職事件は新たな展開を見せている。

昨年夏、元電通で組織委員会理事の高橋治之容疑者が逮捕され、積み上げで1億円超の贈収賄事件にまで発展した。高橋容疑者に払われた1億円超の原資の一部は税金である。現在は司法の場に移っているが、この事件のスキームは、スポンサー企業からのキックバック(資金還流)という典型的な贈収賄にあった。

『週刊SPA!』の連載では、筆者はそれら一連の事件を「スポンサールート」と名付けて、毎週報じ続けたが、とにかく反応が悪い。なぜか。答えは簡単だ。スポンサーにメディアが含まれているからだ。

そもそも、スポーツイベントのスポンサーにメディアが名を連ねるのは、世界的なジャーナリズムの立場からでいえば、完全にタブーである。筆者が働いていた米国のメディアでは、仮にイベントスポンサーにメディアがなった場合は、同社の記者たちは当該イベントにおいて取材することができず、取材バッジを返却していた。代わりに関係者バッジでのみの関わりとなる。

スポンサーでありながら、当該メディアが取材することができないのには当然ながら理由がある。たとえば、仮に同イベントで不祥事や不正が発生した場合、自社による取材が困難になるであろう。手心を加え、なかったかのように扱われる危険性がある。とりわけ、社の幹部やスタッフがかかわっていた場合はなおさらだ。

ところが、日本では、イベントスポンサーの新聞社やテレビ局が、同時にメディアとしても取材することもできる。結果、不正があった場合は、隠ぺいに加担することになる。まさに一連の東京五輪汚職事件がそうである。

年が明けて、今度は、2018年から行われてきた26のテスト大会での汚職がは発覚した。そして、すぐに本大会でも同じスキームでの談合があったことが分かっている。東京地検特捜部は、独占禁止法違反と官製談合の疑いが強まったとして公正取引委員会との合同捜査を始めた直後だ。

テスト大会での談合の金額は5億円であった。昨年のスポンサールートでの贈収賄事件のじつに5倍だ。すでにロッキード事件やリクルート事件を超える大疑獄事件である。きっとメディアも大々的に報じただろう。

結果は、黙殺であった。東京地検の捜査をトレースする「関係者リーク」、つまり事実上の発表モノのみ報じられるが、それも積極的でない。年明けでみても、テスト大会談合事件に関する各社の独自記事は10指に満たない。

また、いつものことなのだ。結局、私だけが報じ続けて、同業者にはしごを外され、誰も報じていないため、すでに、連載も発信も黙殺されている。そして、ほとぼりが冷めたころ、陰湿な仕返しが待っている。番組降板や連載打ち切りはまだかわいい方だ。「上杉隆」という人物の信頼を貶めるため、陰で圧倒的な罵詈雑言が待っている。「胡散臭い」「インチキ」「嘘つき」この20年間、何度おなじことを繰り返してきたのか?メディアが腐敗しているのか?いや、その卑怯なやり方を知っていて書く私が愚かなのか?

そんな風に嘆いていたら、今度は、本大会での巨額談合があるとわかった(あえて分かった報道にする)。東京地検特捜部は捜査で巨大利権を追い詰めていたのだ。その額、なんと400億円に達するという。ロッキード事件やリクルート事件の比ではない。戦後最大、超弩級の疑獄事件である。

ところがメディアはほぼ黙殺である。週刊SPA!の連載がまるで誤報にみえるほど沈黙を貫いている。本来ならば、朝から晩までテレビやラジオで特集が組まれ、新聞は連日の一面トップでもおかしくない。結局、メディアが共犯関係にあるニューズはニュースでなくなるのだ。

先週、佐野眞一さんのお別れ会に行った。集まったジャーナリストや雑誌編集者たちに話しても、この戦後最大級の巨額談合をほとんど誰も知らないのだ。会場にいた300人のうち、10人くらいに声をかけたが、誰一人認識していなかった。

メディアは腐敗し、ジャーナリズムは死んだ。

『週刊SPA!』での私の連載は大人の事情で終わるが、同タイトルで『ZAITEN』で続けることになった。せっかく再開したジャーナリズム活動だが、のっけから茨の道を歩むことになってしまった。いつもながら、なんとツイていないのだろう。

1,公権力の腐敗、2,公人の不正、3,公金の使途。

筆者がニューヨークタイムズで学び、ジャーナリストとして追ってきたのは上記3点のカテゴリーだけである。筆者が芸能ニュースや私人のニュースを扱わないのはこのポリシーを守ってきたからだ。きっと同伴者や伴走者が現れるだろう、必ず追随者が来るだろうと期待していた。だが、結果は、この20年間、無自覚なメディアとジャーナリストに出会うだけだった。ニューズオプエドに出演している同業者を除いては……。

30代のジャーナリストの頃の上杉隆の計算違いは、権力と癒着してしまっているメディアがここまで蔓延っているとは想像しなかったことだ。

メディアが腐ると、国が亡ぶ。

一方で東京地検の捜査は本気だ。今回、私がタブーを冒して、東京地検特捜部の応援をし続けている理由はここにある。

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