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【ハンムラビ】「目には目を歯には歯を」だけではない!?意外と知られていないハンムラビ法典のヒミツ【古バビロニア王国】

どーも、たかしーのです。

今回も『ハンムラビ』について、です!

前回は、バビロン第1王朝(古バビロニア王国)の王になったハンムラビが、メソポタミア統一を果たすまでについてでしたが、

今回は、自身の名を冠した法典「ハンムラビ法典」を中心に書いていきます!

メソポタミア統一後のハンムラビ

ハンムラビ「インフラを整備したるでぇ!」

ハンムラビ(wikipedia)

メソポタミアを統一したハンムラビは、インフラの整備を積極的に行いました。具体的には、道路運河を整備し、また灌漑施設も充実させていきました。

道路や運河を整備した理由は、長年にわたる戦争により荒廃したからというのもあったでしょうが、これまで別々であった元メソポタミアの諸国(都市)をまとめるためには、首都バビロンを中心とした中央集権体制を確立させる必要があり、そのためには、諸国へスムーズにアクセスできるためのネットワークが不可欠でした。

今となっては、電話やインターネットで遠隔地にもすぐに連絡ができますが、この当時は、おそらく粘土板に書いたものを人が頑張って伝達していたと推測できますので、連絡スピードを上げる連絡ミスをなくす、といった意味でも、道路や運河を整備することは、急務だったのでしょう。
※他の国が謀反を起こしたという連絡が、何か月も経ったあとに伝わる、または伝わらないとなると、もはや対処できなくなりますし。

また、中央集権体制を確立させるという意味では、ハンムラビは警察や郵便の制度も作ったりしています。

灌漑施設を充実させた理由については、以前「シュメール人」の回でも書きましたが、メソポタミア南部は、その気候や地域性から、雨水を水源とした天水農業ではなく、ティグリス川とユーフラテス川の水を利用した灌漑農業を行って発展を遂げたという経緯があるため、ハンムラビは、これら設備を充実させることで、農地の拡大、そこから発展して、人口を増加させ、国力を増強する狙いがあったと考えます。

ハンムラビ「ワイの名前で法典を作ったるでぇ!」

そして、ハンムラビが行った国家事業として、有名なのが自身の名前を冠した法典『ハンムラビ法典』の制定でした。

中央集権国家を確立させるには、各都市間とのアクセスのしやすさに加えて、自身の国のルールをしっかりと定めて、他の諸国に浸透させる必要がありました。

仮に企業で例えるなら、とある企業Aが別の企業Bを買収した場合、企業Bは企業Aと同じ会社となるため、社内メールのやり取りなど、企業間がアクセスしやすい環境を整備する必要がありますし、また社内ルール(会社の就業規則や出張費の考え方など)も企業Aと同じ基準にして、社員に浸透させていく必要がある、ということです。
※必ずしも、企業の場合は、中央集権化のように、企業Aの言いなりってことはないとは思いますが…

ハンムラビ法典とは?

石柱に刻まれ神殿に置かれた古バビロニア王国の法典

もともとは、別の媒体(おそらく粘土版)に刻まれていた法典であり、これがのちに石柱にも刻まれ、バビロンの神殿に置かれていました。

ハンムラビ法典(ルーブル美術館所蔵)
by Mbzt(wikipedia)

石柱の上部に刻まれた左の人物がハンムラビであり、右の人物は太陽神シャマシュとされています。

太陽神シャマシュは「ギルガメシュ叙事詩」にも登場した神で、ギルガメシュやエンキドゥをサポートする神としても、描かれていましたね。

このシャマシュですが、正義を司る法と裁判の守護神としても、崇められていました。なので、石柱には、シャマシュからハンムラビが法典を授かるといった構図で描かれています。

石柱は、高さ223cmあり、直径61cm。素材は黒色閃緑岩でできています。
ちなみに、メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手の身長が193cmなので、かなり高いことがわかります。
ちなみにちなみに、比べる意味はないですが、身長216cmの大男であったと伝えられる孔子よりも、さらに高い石柱ということにもなります。

現物が発見されたのはバビロンではなく…

このハンブラビ法典が刻まれた石柱ですが、実はこの石柱が発見されたのは、バビロンではなく、現在のイランにあったスサという都市で発見されました。

スサは、当時はエラム王国の首都であり、古バビロニア王国からみて東方に位置していました。

エラム王国の首都であったスサ(wikipedia)

では、なぜスサにあったのか?
これは、のちの時代にエラム人によってバビロンが征服され、そのときの戦利品として持ち帰られたという経緯があるためです。

また、ハンブラビ法典は、全282条もの条文があり、石柱に刻まれていましたが、このエラム人による略奪によって削り取られ、その何か条かは失われてしまっています…。

ハンムラビ法典のヒミツ

実は世界最古の法典ではない

おそらく世界史の教科書に最初に法典として登場するのが、「ハンムラビ法典」かと思いますが、実はこの法典が世界最古ではなく、メソポタミアではすでに法典と呼ばれるものが3つ確認されています。

まず、現時点で最古の法典とされているのが、ウル第3王朝を建国したウル・ナンムによるウル・ナンム法典です。

ウル・ナンム法典を刻んだ粘土板(イスタンブル考古学博物館所蔵)

(wikipedia)

この法典は、「ハンムラビ法典」にあるような「目には目を、歯には歯を」といった同害復讐法は規定されておらず、損害賠償に重きが置かれた法典でした。言語は、シュメール語で書かれていました。

この法典の前書きには、「わたし(ウル・ナンム)は、憎しみ、暴虐、そして正義を求める叫び声(の原因)を取り除いた。私は国王として正義を確立した」と書かれていることから、社会的に強い立場の人たちから弱い立場にある人たちを守ることを「正義」と定義し、法典に定め、施行したと考えられています。

ちなみに、なぜこのような法典を明文化し、定義する必要があったかですが、これはサルゴンがメソポタミアを統一してアッカド帝国を建国したあたりから、多くの異民族&広大な国土を統治するためには、王は神の言葉を聞く人ではなく、王は神々の支持を得た崇高なる存在であるといった神格化によって、より強い立場に立つようになったことが背景としてあります。

これにより、神が人々に与えてくれるような弱い者いじめに対する裁きについても、王の責務として定義する必要性があって、このような法典を編纂したのではないか?と考えられています。※諸説あります。

その後、ウル第3王朝は、異民族によって滅ぼされますが、代わりに登場したイシン王国でも法典が編纂されます。これを『リピトイシュタル法典』と呼びます。これが世界で2番目に古い法典となります。
※法典名は、イシン王国の王の名前がリピト・イシュタルであったため。

この法典の前書きにも、ウル・ナンム法典と同じような記述がされており、また言語も同じシュメール語で表記されていました。

そして、世界で3番目に古い法典とされているのが、エシュヌンナの王が定めた『エシュヌンナ法典』です。この法典はこれまでと違い、アッカド語で表記されていました。

この後に、ハンムラビが制定したのが「ハンムラビ法典」であり、世界で4番目に古い法典とされています。

その内容は、これまでの法典の内容を継承しており、民法・刑法・商法・訴訟法を含んだ、集大成ともいえる内容となっています。
また、エシュヌンナ法典と同じアッカド語で表記がなされています。
以前の「サルゴン」回でも、シュメールが征服され、楔形文字はそのままに、公用語をシュメール語からアッカド語にしたということを書きましたが、アッカド語なのは、こうした背景もあります。

さらには、前書きには、ハンムラビが「国土に正義を顕す(あらわす)ために、悪しきもの邪なるもの滅ぼすために、強き者が弱き者を虐げることがないために」神々から召し出されたと述べ、後書きには「強者が弱者を損なうことがないために、身寄りのない女児や寡婦(かふ)に正義を回復するために…(略)…わたしはわたしの貴重な言葉を私の碑に書き記し…」と述べ、これまでの法典と同じく、王の責務として正義の確立を明文化しています。

「目には目を歯には歯を」のヒミツ

ただし、他の法典とは異なるオリジナル要素として、ハンブラビは、同害復讐法と呼ばれる内容を追加しています。

例えば、このような条文です。

第196条 もし彼がほかの人の目を損なったならば、彼は彼の目を損なわなければならない。
第200条 もし彼がほかの人の歯を折ったならば、彼は彼の歯を折らなければならない。

出典:『ハンムラビ法典』(日本語訳)

これが有名な「目には目を歯には歯を」です。
ですが、この「目には目を歯には歯を」は、相手が同じ身分であることが前提の条文となります。

ハンムラビが統治した古ハンムラビ王国では、

  • 上層自由人・・・貴族。「アウィールム」と呼ばれる。

  • 一般自由人・・・平民。「ムシュケーヌム」と呼ばれる。

  • 奴隷

の3つの社会的階層、すなわち身分制度があり、相手がどの身分かによって、その復讐内容も異なる定義がなされていました。
なお、上層自由人は、宮廷の官僚やお金持ちではないかと考えられています。

なので、先ほどの第196条と第200条は、相手が同じ上層自由人の場合に適用される条文であり、他の条文では…

◎上層自由人から一般自由人への加害の場合

第198条 もし彼(上層自由人)がほかの人(一般自由人)の目を損なったか、骨を折ったならば、彼は銀1マナ(約500グラム)を支払わなければならない。
第201条 もし彼がほかの人(一般自由人)の歯を折ったならば、彼は銀三分の一マナ(約167グラム)を支払わなければならない。

出典:『ハンムラビ法典』(日本語訳)

◎上層自由人から奴隷への加害の場合

第199条 もし彼がほかの人の奴隷の目を損なったか、骨を折ったならば、彼はその(奴隷の)値段の半額を払わなければならない。

出典:『ハンムラビ法典』(日本語訳)

と規定されています。

つまりは、上層自由人からすると、自分より身分が低い者に対しては、代償は同じものではなく、金銭による代償でよいことが定義されています。

今でこそ、このような法律が規定されたら、大問題ですが、当時は身分が低い人に対して何をやってもいいといった考え方があったように読み取れますので、これを法の力によって、そのような暴走を抑え、上層自由人に対しても刑罰を与えることを明記したハンムラビの実行力は、相当なものだったと考えられます。
※おそらく上層自由人からはめちゃくちゃ反感買われたんだろうなぁと。

また「目には目を歯には歯を」には、身分における違いに加えて、もう1つ重要な意味を含んでいます。

それは、これらの条文が「加害されたら、同じ加害を与えよ」といったことを定義しているのではなく「加害されたら、同じ加害までにとどめよ」ということを定義している点です。

つまり、過度な報復はNGであるということを、この条文では規定しているのです。

これに関しては、上層自由人というより、悲しきかな、われわれ人間は加害を受けた感情により、2倍も3倍も報復をしないと気が済まない生き物であることを、暗に物語っているのかもしれません。
※ドラマ「半沢直樹」を見て、スカっとした人が多かった印象がありましたが、あれは人間の根本的なものなのかもしれません。

現代の法律の先駆けとなる条文もある

その他「ハンムラビ法典」では、このような条文も規定されています。

第229条 もし大工が人のために家を建てたが、彼が自分の仕事に万全を期さなかったので、彼の立てた家が倒壊し家の所有者を死なせた場合、その大工は殺されなければならない。

出典:『ハンムラビ法典』(日本語訳)

「おいおい、大工殺されとるやん」と思うかもしれませんが、これは、現在における製造物責任法(※)の先駆けではないかと言われています。
※被害者が製造業者等に対して損害賠償を求めるができることを定めた法律。PL(Product Liability)法とも呼ぶ。日本では1995年7月1日に制定された。実はけっこう最近。

また、他にも、借金をした人が盗賊に借りた金を奪われたときは返済しなくてもよいといったものもあり、かなり細かいケースが規定されていることから、どちらかというと「ハンムラビ法典」は、法律ではなく、ハンムラビが実際に下した判決を集めた判例集に近いという見方をなされています。

おわりに

ハンムラビ法典の文面
by Maksim(wikipedia)

以上が、ハンムラビが制定した『ハンムラビ法典』についてでした!

ちなみに、余談ですが、これはハンムラビ法典には明文化されていませんが、当時のメソポタミア南部は木材不足は深刻だったので、ハンムラビは「一本の枝でも傷つけたものは、決して生かしてはおかぬ」と、厳しい処置をとったという話があるようです(ヒェェ…)。

そういえば、木材不足が深刻なのは「ギルガメッシュ叙事詩」を読んでも明らかで、王自ら出向き、レバノン杉の森へと遠征をして、杉の木を採りに行っていましたね(ついでにフンババ討伐も…)。

2記事に渡って「ハンムラビ」について書いていきましたが、前回では諸国の動きを冷静に見極めつつ、随所で非情な判断を下して、メソポタミア統一を果たしたハンムラビの姿というものが発見できましたが、今回、勉強するにあたっては、これまで別々であった元メソポタミアの諸国(都市)を1つの国家としてまとめることが、いかに大変か、ということが、よくわかりました。

法律ではなく判例集であったとはいえ、全282条もの条文を規定したのは、さすがに骨が折れたでしょうし、また、それと並行して、インフラ整備も行ったり、新しい制度を作ったりと、まさに、ハンムラビは、王としての責務を十分に果たしきった王であったのだな、と理解することができました。
※ちなみに、エシュヌンナ法典は、全61条でした。

一見、「目には目を歯には歯を」という、なんだか怖い印象が強いハンムラビですが、こうして色々調べていくと、違う一面がだんだんと見えてきたので、このように人物の見方が変わることが、歴史の面白さだと、私は思います!

他にも、この歴史上の人物神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!


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