【シュメール人】やっぱり宇宙人かも...?人類の文明を急速に発展させた謎の民族【メソポタミア文明】
どーも、たかしーのです。
今回は、『シュメール人』について、書いていきたいと思います!
古代オリエント世界において、世界最古の文明であるメソポタミア文明の基礎を築いた謎の民族のことですが、この記事では、この文明が起こった古代オリエント世界、メソポタミアについても、合わせて書いていきます。
そもそも文明とは何か?
似たような言葉で「文化」という言葉がありますが、実は「文化」は「文明」の一部と捉えることができます。
「文明」とは、ひとことで表すと、以下の通りです。
なので、これから「文明」という言葉が何度か登場しますが、その地域に住む人たちが生活を豊かにするために、あれこれ考えて作ったいろんなものというイメージを持っていただければ、わかりよいかと思います。
古代オリエント世界で抑えておきたい用語
古代オリエント
元々は、古代ローマ人たちが、自分たちのいるイタリア半島から見て"太陽の昇るところ(Orient)"という意味で名付けた地域のこと。現在の西アジアあたり。この地域に、人類最古の文明であるメソポタミア文明や、エジプト文明が起こることとなります。
ただし、現代におけるオリエントの意味は、ヨーロッパから見て東の地域(いわゆる東洋)といった広義的な部分を指しており、日本も含むアジアの国々も、このオリエントに含まれて使われています。
なので、この地域を英語で表現する場合は、"Ancient Orient(古代オリエント)"となります。
ちなみに、古代ローマ人から見て、"太陽の沈むところ"をオクシデント(Occident)と呼び、オリエントと対比し、こう呼んでいました。
古代オクシデントは、現在のスペインやフランスあたりの地域のことを指しますが、これも現代では異なり、ヨーロッパ、南北アメリカなどの地域(いわゆる西洋)のことを指します。
メソポタミア
ティグリス川とユーフラテス川という2つの大河の間にできた沖積平野(ちゅうせきへいや)のこと。メソポタミア文明が起こった地域です。
沖積平野とは、川によって運搬された砂・小石・泥などが堆積して生じた平地のことです。
一般的には、水害の危険にさらされやすいというデメリットはありますが、肥沃(※)で平らであることから、農耕に適した土地であるというメリットがあるため、メソポタミア文明に限らず、このような沖積平野で多くの文明が起こっています。
※肥沃(ひよく)・・・土地が肥えていて、農作物がよくできること。
ちなみに、メソポタミアの語源は、ギリシア語が由来で、メソが「中央、中間」、ポタミアが「川」として、この2つを合わせて"二つの川(ティグリス川・ユーフラテス川)の間にある土地"という意味をもち、古代ギリシア人によって名付けられました。(そこは古代ローマ人ちゃうんかいっ!)
シュメール人
今回の主人公。メソポタミア文明の基礎を築いた民族系統不明の民族。目がなぜかデカイ。
現在でも出自がわかっておらず、謎の民族とされており、言語としてはシュメール語を話していました。また一説には宇宙人ではないか?と噂されることから、今なおオカルト的な人気を博しています(月刊ムーに特集されてそう)。
※そんなシュメール人の詳細については、後ほど。
メソポタミア文明の起こり
まずは人類の拡散の話から
現代人の起源である新人(ホモ=サピエンス)は、今から約20万年前にアフリカで進化を遂げ、出現しました。この新人は、約16~10万年前までに西アジアへと移動し、それからユーラシア大陸全域に広がったと考えられています。これを『人類の拡散』と呼びます。
なお、のちに日本人の祖先となった新人は、約4~3万年前までには日本に到達をしたものと考えられています。
人類最初の農耕牧畜が始まる
メソポタミアは、人類の起源となったアフリカに近い西アジアにあるため、当然のことながら、この地に定住をした新人たちによる文明の進歩は早く、約9000~8000年前には、すでに農耕や牧畜を行うようになったと考えられ、これが人類最初の農耕牧畜とされています。
※このとき住んでいた人たちはウバイト人と呼ばれています。
なお、日本人が農耕を始めたのは、弥生時代からなので、約2300年前(紀元前3世紀)頃。牧畜は、もっと後の古墳時代からとされていますが、当初は農耕に使役するのが目的でした。(家畜が食べられるようになったのは、もっと後)
この当時は、雨水を水源とした農業が行われていました。
この農業のことを『天水農業』と呼びます。
メソポタミアは、北部と南部で大きく気候が異なり、北部メソポタミアは降水量が多く、逆に南部メソポタミアは降水量が少ない地域でした。
そのため、天水農業が可能であった北部を中心に、農業がおこなわれていました。
また、この地域は、野生の麦類が多く自生していたことから、山羊や羊などの草食動物が豊富にいたため、これらの動物を家畜にして、同時期に牧畜も行われるようになりました。
南部メソポタミアで灌漑農業が始まる
天水農業が行えなかった南部メソポタミアですが、ただ雨が降らないだけで、沖積平野であることには変わりなく、土地は肥沃であり、水さえあれば、農業が行える土地ではありました。
そこで、約8000~7000年前頃、メソポタミアの両脇を流れるティグリス川とユーフラテス川の水を利用し、人工的に用水路を作るなどして、南部メソポタミアでも農業を始めるようになりました。
この農業のことを『灌漑(かんがい)農業』と呼びます。
あえてゲームで例えてみると、マインクラフトで水のない土地で農業を行いたいときに、水源からバケツで水を汲んでから土地を耕しますが、まさしくこのやり方を灌漑農業と呼びます。(ゲームだと海水でも作物育っちゃうけどね)
これにより、農耕地は北部から南部へと広がりを見せ、メソポタミアにおける定住地の拡大が進みました。
また、この灌漑農業には、川の水を利用するため、当然ながら、大規模な土木工事が必要となります。そして、大規模な土木工事を行うには、多くの人々による労働力が必要となります。
以上のことから、灌漑農業を行うため、南部メソポタミアに住む人々は自然と共同体を形成するようになります。これが集落となり、次第に都市へと発展するきっかけとなります。
シュメール人「ジンルイノブンメイ、ハッテンシトイタデー」
灌漑農業は、天気に左右される天水農業と違い、川の水を利用するため、比較的安定的に食料が生産できました。
これにより、農業以外にもリソースを回せるようになり、その結果として、メソポタミアに文明が発展していくこととなります。
この文明を発展させた人たちこそ、謎の民族であるシュメール人なのです!
シュメール人が遺した功績
世界で最初に都市国家を築いた
今から約6000~5000年前頃、どこからともなくやってきたシュメール人は、南部メソポタミアへと移り住み、そこで麦類やナツメヤシの栽培、牛や羊、山羊、豚などの飼育を行いながら、「村落」を形成し、そこから徐々に「都市」へと発展をさせていきました。
やがて、シュメール人は、それぞれの都市を次々と発展させ、約4700年前(紀元前2700年)までには、ウル(Ur)、ウルク(Uruk)、ラガシュ(Lagash)など20もの都市国家を形成するようになりました。
都市国家とは、城壁に囲まれた中心都市が周辺に農地を持ち、一つの独立し
た政治権力を形成している小国家のことを言います。
なお、世界で最初に都市国家を築いたのはシュメール人であるとされています。
メソポタミアは、大河であるティグリス川とユーフラテス川に挟まれてはいますが、エジプトのような砂漠地帯ではなく、植物が育つ平野だったので、様々な民族がやってきては、移り住む地域でもありました。
こうした背景から、この地域に定住し、都市を形成したシュメール人は、異民族から侵入を防ぐために城壁を築くようになりました。
また、シュメール人は、この城壁の中に神殿を築き、この神殿を祭るために、ジッグラトと呼ばれる巨大な塔も建築しました。
このジッグラトですが、神殿を祭る以外に、洪水が起きたときの避難するための高台としての役割も担っていたと考えられています。
実際、シュメール人が遺した粘土板には、大洪水があったという記述が遺されています。
ちなみに、このジッグラトは『旧約聖書』に現れる「バベルの塔」の元ネタではないか?とも言われています。
ところで、なぜこのような大きな神殿を築いたのか?ということですが、これはシュメール人が王を中心とした神権政治を行っていたためです。
神権政治とは、権力者が神またはその代理人として権力をふるう政治のことを言います。具体的には、権力者が「私は神の子孫である」と自称し、神の権威の下、国民を一つにまとめて、統治する手法のことを言います。
実際、ウルクという都市国家の王様であったギルガメシュは「3分の2が神、3分の1が人間」という半神半人であるとされていました。
世界で最初に青銅器を使用した
青銅とは、銅と錫(すず)の合金のことで、この青銅を使った金属器を『青銅器』と言います。
のちに日本にも伝来する青銅器ですが、この青銅器を初めて使用したのも、シュメール人であるとされています。
約5000年前(紀元前3000年)頃、シュメール人は、銅に錫を混ぜることで、銅単体よりも融点が低くなることを発見しました。彼らは、銅単体よりも鋳造しやすい特性を生かして、青銅器を作り、これらを武器や生活の道具として取り入れるようになりました。
実際、銅の融点が1083℃であるのに対して、錫を混ぜることで875℃にまで融点を下げることができます。※ちなみに、錫の融点は231.9℃。
世界で最初に文字を発明した
なんと文字を発明したのも、このシュメール人なのです。
シュメール人は、世界最古の文字とされるウルク古拙文字(ウルクこせつもじ)という絵文字を使っていました。
この文字が長い間、繰り返し使われるうちに、次第に単純化・抽象化がなされ、これが有名な楔形(くさびがた)文字として使われるようになりました。
シュメール人は、この楔形文字を使って、粘土板に記録を行いました。
なぜ、紙ではなく、粘土板に書いたのか?ということですが、これはメソポタミアには泥土が豊富にあったからとされています。
実際、シュメール人が建てた建造物は粘土で構成されており、また彼らの神話であるシュメール神話では、神が人を粘土から創造したとされていました。
その他の功績
他にも、シュメール人は、文字以外にも、現代にもつながる文明の発展に大きく貢献しました。
例えば、現在われわれが、1分を60秒、1時間を60分としているのは、シュメール人が考案した『六十進法』による影響が大きいと言われています。
実際、シュメール人が考案した楔形文字では、1から59に対応する数を文字として表現していました。
また、月の満ち欠けをベースとした『太陰暦』も、このときシュメール人によって考案がされました。
シュメール人の末路
アッカド人「今日からアッカド語をしゃべりなはれ!」
そんな素晴らしい功績を遺したシュメール人ですが、城壁や文明レベルを上げたとはいえ、都市間同士の争いや、度重なる異民族の侵入によって、衰退してしまい、約4300年前(紀元前2300年)ごろ、セム語系民族であるアッカド人がメソポタミアを統一し、アッカド帝国を形成することとなります。
このシュメール人を破って、アッカド帝国を築いたのが、サルゴンという人物なのですが、こちらもギルガメシュと同じく別の記事で書こうと思います。
このアッカド人が統一したことで、メソポタミアでは、シュメール語ではなく、アッカド語が公用語として使われるようになりました。
ですが、アッカド人は文字を持っていなかったので、シュメール人が考案した楔形文字を継承し、文字として、引き続き利用するようになります。
シュメール人「アッカド、ホロビタ、ワイラノジダイヤ」
しかしながら、約4150年前(紀元前2150年)頃、東方から進出したグティ人の侵略により、アッカド帝国は滅亡してしまいます。
このアッカド帝国の衰退に乗じて、抑圧されていたシュメール人が、再び息を吹き返し、約4100年前(紀元前2100年)頃、都市国家であるウルを拠点とした『ウル第3王朝』によって、メソポタミアは支配することになります。
この王朝の時代に、シュメール人は、世界最古の法典であるシュメール法典(ウル=ナンム法典)を編纂。法に基づいた行政や裁判も行われ、実際、膨大な行政や裁判記録などを記した粘土板が出土されています。
また、このシュメール法典は、のちのハンムラビ法典の元ネタとされています。
さらばシュメール人
再びメソポタミアで繁栄を築いたシュメール人によるウル第3王朝でしたが、約4004年前(紀元前2004年)に、東方から進出したエラム人の侵略にあい、滅亡。
これ以降、人類の歴史からシュメール人は姿を現さなくなることとなります…。
なぜ、シュメール人が歴史から姿を消したのか?についてですが、これは度重なる異民族の侵攻により他民族と混ざり合った、アッカド帝国の統一によりアッカド語が広まったなどの理由から、徐々にシュメール語を話す人が縮小し、結果として、シュメール語を話す人がいなくなってしまったことが、姿を消したとされる要因と考えられています。
なので、決して、シュメール人が宇宙人で、役目を終えて惑星に帰っていったのではなく、シュメール人としてのアイデンティティが失われたというのが、現実的な解釈のようです。
年表まとめ
時系列がわかりづらかったので、まとめました。
約20万年前:アフリカに新人(ホモ=サピエンス)が出現
約16~10万年前:新人が西アジアへと移動(人類の拡散)
約9000~8000年前:西アジアでウバイト人による人類最初の農耕牧畜が始まる
約8000~7000年前:南部メソポタミアで灌漑農業が始まる
約6000~5000年前:南部メソポタミアに移住したシュメール人が村落を形成し、これが都市へと発展する(この頃から青銅器や楔形文字を使い始める)
約4700年前(紀元前2700年):シュメール人がウル、ウルク、ラガシュなど20もの都市国家を形成する
約4300年前(紀元前2300年):アッカド人がシュメール人を征服し、メソポタミアを統一して、アッカド帝国を形成する
約4150年前(紀元前2150年):東方から進出したグティ人の侵略により、アッカド帝国が滅亡する
約4100年前(紀元前2100年)頃:シュメール人が都市国家であるウルを拠点として、メソポタミア支配を再建(ウル第3王朝)
約4004年前(紀元前2004年):東方から進出したエラム人の侵略により、滅亡する(歴史からシュメール人が姿を消す)
おわりに
長くなりましたが、以上が「シュメール人」について、でした。
古代メソポタミア文明についても、記事を書く上で、いろいろ調べたので、理解が深まりました。
やはり、人類の文明レベルを格段に上げたということで「やっぱり宇宙人だったのでは?」という疑念が拭えません。笑
また、私たちが何の疑いもなく利用している時間や暦は、実はシュメール人の影響を大いに受けているというのは驚きですね。
なお、シュメール人の功績や神話については、もっと調べて書きたかったのですが、記事がかなり長くなりそうだったので、泣く泣くカットしました。ギルガメシュやサルゴン1世とともに、また別の記事で書けたらなあと思っています。
他にも、この歴史上の人物や神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!
それでは!
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