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歌謡曲レコード その1 素顔のまま(78)/小柳ルミ子 歌手、小柳ルミ子の再評価

個人的に、ここ1年くらいぐっと傾倒している歌手、小柳ルミ子。「瀬戸の花嫁」や「わたしの城下町」「星の砂」「お久しぶりね」「いまさらジロー」といったヒット曲は知っていても、それ以外はほぼ聞いたことがなかった。恥ずかしながら、わたしにとっての彼女は昔ヒット曲を出していた大物芸能人という認識だった。

あるときネットでふと見たDJ MUROのコンピレーショントラックリストにあった「ブレイク・ダウン」という曲。和モノレコードを探していたところにこの曲がすんなり入ってきて、よし!もっと小柳ルミ子を聞いてみよう!となったのである。

ファンクでグルービーな和モノの傑作「ブレイク・ダウン」をはじめ、中島みゆきが提供した「雨」をシングル曲として収録した小柳ルミ子の78年発表のオリジナルアルバム「素顔のまま」。

大人の音楽を模索していた26歳の小柳ルミ子に舞い込んだ中島みゆきからの提供曲。これがほんとに難しい。いや、わたしが歌うわけじゃないからいいのだけれど、聞いているリスナーの感情も飲み込んでしまうほどの緊張感を持った曲で、ファドのような港町の雰囲気が漂い、クラシックなポルトガルの音楽を彷彿させる凝った楽曲である。小柳ルミ子が真っ向から勝負を受け、一見カンタンな歌のように軽々と歌ってみせている歌唱映像をyoutubeでみると、小柳ルミ子の歌手としての技量の大きさと、表現者としての才能に溢れているのがよくわかる。中島みゆきも彼女の歌唱にきっと満足していたのではないだろうか。

中島みゆきは75年にデビューし、76年に研ナオコへ「あばよ」を提供。77年にちあきなおみへ「ルージュ」を提供。デビューまもなくして実力派歌手へキャリアを代表するような曲を次々に提供している脂の乗りまくっていた素晴らしい初期。彼女の作る歌を十分な解釈で再現できる歌手を選んでいる、もっというと自分の歌を表現できるものならやってごらん、というある種の喧嘩をふっかけるかのような歌い手選びに、選ばれた歌手はビビりまくっていたに違いない。

―ちなみに、ちあきなおみや研ナオコはとかく別格であったのだから、彼女らのように中島みゆきを超える歌手は希有だということは明確にしておきたい―。

中島みゆきには、3年目にしながらすっかりそんな貫禄づいた雰囲気があったのであろうことは簡単に想像がつく。そして78年、そんな彼女の次なるターゲットに選ばれたのが偶然にしろ、必然にしろ小柳ルミ子になったのだ。

そしてその「雨」をメインソングにしたオリジナルアルバム「素顔のまま」は、「雨」を1曲目に、スローからミッドテンポの楽曲を多く収録。「ブレイク・ダウン」の制作裏をもっと知りたいが、当時の記事は見つけられず、TVでの歌唱もどうやらなさそうなのが残念。26歳の彼女にしてみれば当然のようなアップテンポの楽曲も、彼女のしっとりしたイメージとはなかなかシンクロしずらく、きっと当時は話題にはならなかったのだろう。

アルバムの中でポールアンカが2曲提供しているのも注目である。いずれもアメリカン・シャンソン風の曲だが、日本人作家にはかけない西洋の哀愁が再現された素晴らしい歌唱を引き出しているので、是非聞いてみて欲しいと思う。

わたしは偶然知った「ブレイク・ダウン」を聞きたくて手にしたこのアルバムを切っ掛けに小柳ルミ子の歌手としての才能と評価を大幅に軌道修正した。いまよりも軽々と歌い、素晴らしい声量と裏声と地声のミックスボイスを持った希有な才能に気づくのが遅かったと後悔すらしている。

サッカー狂タレントではなく、歌手としての小柳ルミ子はもっと面白い。これから初めて出会うかつての楽曲を思うと興奮が押さえられないでいるのだ。

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